プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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和田竜人さんのDNA、松岡伸矢くんと一致せず-1989年3月7日、そこで何が起こったか?

 報道から一週間ほど経ち、もう過去の話になってしまったのだが――

 例の松岡伸矢くん失踪事件で、伸矢くん本人ではないかとネットで騒がれていた和田竜人さん、DNA鑑定によると伸矢くんではなかったらしい。

www.nikkansports.com

 

(⇒ 独女ちゃんねる 2018年2月8日記事:和田竜人と松岡伸矢くん「DNA鑑定の結果」父親からの証言で北澤ひさしで確定【画像】 )

 

buzz-plus.com

 
 やはり世の中、そんなウマい話はないのである。

 そんなドラマチックな、多くの人が「そうあってほしい」展開にはならないのである。

 大山鳴動して鼠一匹というか、こんな出来事もあっという間に――この出来事についてネットに何か書き込んだ当の本人でさえ――忘れられてしまうのだろう。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 なお、伸矢くんのお父さんは、初めから和田竜人さんと伸矢くんはあまり似ていないと思ったらしい。

 DNA鑑定の後でそんなことを報じるマスコミもマスコミだと言いたいところだが、しかし万が一鑑定が一致したら、そんなことを報じていればマスコミもお父さんも大恥をかくのだから、致し方ないというものだ。


 それはともかく「日本を代表する」未解決事件の一つであるこの事件、やはり謎はそう簡単に解かれないようである。

 私はこの事件について、素人探偵の推理を披露しようとは思わない。

 それはもう、ありとあらゆる可能性を警察は考え尽くしてきたに違いないからだ。

 もちろんその中には、「両親(身内)犯人説」というのもあって当たり前である。

 いかにヒドいと言われようと、そういうことを思いつきもせず調べもしないというのは、よほどのヌケサク警察だろう。

 それでも両親が捕まっていないのは、やっぱり両親はシロだからに違いない。


 おそらく、この事件について知るほとんど全員が思っていることだが――

 伸矢くんは、すでに死んでいるだろう。

 それも、失踪からそれほど間を置かずに死亡したと思われる。

 先日の記事にも書いたが、「たかが40秒、されど40秒」である。

 そしてこの「目を離してたった40秒」というのも、時計やストップウォッチで測っていたわけではないから、本当はもっと長かった可能性が充分ある。

 事件の舞台となった家というのは、徳島県の山間で周りに家が(全く?)ない、正真正銘の一軒家らしい。

 もちろん私が現場を知るわけないが、山肌(や、ひょっとしたら深閑とした森)が、ごく近距離にある立地条件なのかもしれない。

 1分、もしくはそれより長い時間があれば、4歳の子どもの脚でも意外なほど“外からは見つからないところ”に行ける――

 しかも伸矢くんは失踪直前、“もっと散歩に行きたそうだった”という。


 私がこういうことを思うのも、実際に山で迷いかけたことがあるからである。

 それも子どもではなくいい歳をした大人になって、しかも「山」などと言えたものでない、「裏山」よりももっとちっぽけな――

 直線距離で市街まで50mもないような「丘」みたいなところでだ。

(その丘の頂上付近の、とある施設に行く用事があったのだ。)


 6月で草木が繁茂していたこともあるが、しかし全くの白昼である。

 それでもどう上ればいいのかわからなくなり、下りているのか上がっているかもわからなくなってしまう始末。

 まさかこんなところで“遭難”に近い状態になってしまうなど、当然想定外である。

 自分の名誉のために言っておくと、私は何とか「下山」でき、下で待っていた連れの人間が「じゃあ自分が」と代わって登山にチャレンジした。

 しかし彼もまた迷ってしまって失敗し、下山。

 私が2度目(通算3度目)のチャレンジで、ようやく目的に行き着くことに成功した。

 だがこれが、四歳児だったらどうだろう。

 その迷いぶりと恐怖とは、私が経験したことの比ではないのではないか。

 もちろん大声で泣き叫べばいいのだが、しかし恐怖のあまり声も出せないというのはありそうな話である。

 もしそこで、草むらに隠れた「溝」みたいなところに転落し、頭を強く打ってしまったとしたら……


 とはいえ、そんな「山」や「森」がすぐ近くにあるなら、確かに誘拐犯が隠れ・さらって身を潜めるには絶好の環境というのもまた事実。

 「家の玄関から10mばかり離れた石段の下に立っていた」という伸矢くんに走り寄り、口を塞いで抱きかかえ、必死の思いで森に駆け込む――

 というのも、できないことではないのだろう。

 しかし、では、首尾よくさらった後はどうするのか。

 それはやはり、自分の家に連れて帰る。そして監禁することになるはずだ。

 でもそれって、周囲に隠し通せることか?

 
「今まで家にいた人間を、家に監禁する」というのは(比較的に、だが)簡単である。

 その人は職を得て遠くへ出て行ったとか言えば、ふだん近所付き合いのそんなにない家庭なら、別に誰も気に留めはしない。

 しかし「今まで家にいなかった人間を、家に連れてきて監禁する」というのは、この日本では(広いアメリカと違って)段違いに難しいと思う。

 外に怪しい物音や声が全然響かないなんてことが、はたして何年にもわたってあり得るだろうか?

 今まで子どもなんていなかったはずの家から、子どもの声が聞こえてくる……

 それをたまたま耳にした人が、怪しんで警察に通報しないなんてことが、何年間もあるだろうか?

 いや、あるのかもしれないが……

 重要なのは、当の監禁した本人がそんなことを確信できないことだろう。


 小さい男の子をさらうというのは、身代金目的でないのならほぼ間違いなく性的目的である。

 だがいざそんな「夢」を強引に叶えてしまえば、かえって茫然自失とするタイプの人も多いはずだ。

 これからずっとこの子を監禁していくリスクを思えば、「そんなことはやってられない」と発狂したくなる人だっているだろう。

 そうなるともう、その子を殺すしかなくなってしまう。

 この場合、遺体はその犯人の家の床下や押し入れに入れられることになるのではないか。

 ことによると空き家になった家で、今も眠っているのではないか……

(もちろん、誘拐犯人がその当時は一人暮らしだったことはほぼ疑いない。)


 むろん事故説には「徹底した捜索」によっても見つからなかったという弱点があり、

 誘拐説は「犯罪現場があまりにも人里から孤立しすぎていて、かえってリスクが高そう(人混みにまぎれることができない。もし見つかったら言い訳できない)」という弱点がある。

 しかしいずれにしても、たいへん言いにくいことではあるが、伸矢くんが今も生きているとは非常に考えにくいのである。


 もしタイムトラベルなんてものができるものなら、まさにこの事件の瞬間を見たい、と思う人は多いだろう。

 1989年3月7日、午前8時10分ごろ――

 家から10メートルほど離れた石段の下にいた松岡伸矢くんに、いったい何が起こったのか。

 誰かがそこへ駈け寄り(抜き足差し足で歩いてはいないはずだ)、火事場の馬鹿力とでも言うべきもので伸矢くんを抱え上げて走り去ったのか。

 それとも何も起こってはおらず、伸矢くんはただ木々の間へ走って行って、茂みに姿を消したのか……


 そして蛇足ではあるが、タイムトラベルができるということが発表され、みんなに知れ渡ったときこそが、キリスト教のいう人類の“悔い改め”の日なのだろう……

平昌「美人五輪」開幕-日本は、美人ならでは夜も明けぬ国

 開幕した平昌(ピョンチャン)オリンピックに限った話ではないが――

 日本のメディアやネット民にとってそれは、「美人オリンピック」でもある。

 これは2月11日(日)午前3時頃の、あるスポーツ専門サイトのアクセスランキング。

 

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the-ans.jp

 

エストニアの旗手が美人すぎると騒然「激美人」「金メダル」「雪の女王感すごい」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

 


 この「THE ANSWER」というサイトは、“スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト”を名乗っている。

 もちろんスポーツにとても興味のある人が見るサイトである。

 しかしそれでも、上位10記事の中に「美人」「美女」記事が3つもランクインする――

 ことほど左様に、「美人」という文字には人にクリックさせる力がある。

 それはもう一般新聞社でさえも、そのサイトには「美人」という文字を入れたがるわけである。

 エロ雑誌でもない週刊誌や、バイクやパソコンの雑誌でも、美人を表紙に使いたがるわけである。

 そしてもうずいぶん前から、アスリートでさえも美人でなければ(特にその後の人生が)立ちゆかなくなっているような感じを受ける。

 少なくとも美人アスリートに比べれば、そうでない女性アスリートは取り上げられ方が少ないのである。


 しかし、それも当然のこと――

 そりゃ、メディアは美人を取り上げたいに決まっている。

 やや弁護するようなことを言えば、美人でないと取り上げにくいのである。

 それと言うのも、世間はやっぱり美人を好み(賛美し)、ブスはバカにするからだ。

 F1でグリッドガールレースクイーン)が廃止されようとも、まだ今のところ……

 日本の「美人資本主義」は大多数の人民に支持され、民主主義的に堅牢なままでいる。


 本当は女性団体は、こういう「美女ギャラリー」とか「美人賛美記事」こそ糾弾しなくてはならない。

 だって、「女を顔でランク付けする」「女を顔で賛美したりしなかったりする」というのは、女性をそういうものとして扱っていることに他ならないではないか。

 “厳選美女”に入らなかった女性たち、女性アスリートたちの心は、気遣わなくていいのだろうか。

 なぜ彼女たちが入場行進しても、ネットは「騒然」とならないのか。

 その人民の態度は、矯正すべき態度ではないか。

 また、どうしてスポーツ専門サイトは“厳選美男”選手の特集記事を書かないのか。書くべきではないか……


 もちろん大部分の男女は、「そんなの言っても仕方ないこと」と感じるだろう。

 男性のほとんどは(たとえ極左共産主義者だろうと)美人資本主義の支持者であり、

 女性のほとんども、世の中はそういうものだと受け入れて(諦めて)もいるだろう。

  
 日本は昔から、「女ならでは夜も明けぬ国」とか言われてきた。

 神話での皇室の祖先・天照大神(あまてらすおおみかみ)は女だし、

 あの卑弥呼もまた、日本のあけぼの時代の女王である。


 しかし女は女でも、実はその女とは「美女」のことだとみんな知っている。

 「日本は、美人ならでは夜も明けぬ国」というのが、今の日本の最も正確な描写である。

 美人はクリック数を稼ぎ、人にカネを落とさせる。

 日本の経済のかなりの部分が、いまや「美人資本主義経済」で回っている。

 美人であるということは、女性にとって最も強力な価値ある資本となっている。

 そうでなければ、何をしようとも世の中からバカにされるのが資本主義社会の――

 実力主義の優勝劣敗社会の、厳しい現実なのである。

北朝鮮・美女軍団またも現る-「美人資本主義国・北朝鮮」とマルクスの予言

 毎度毎度、何か国際的イベントに北朝鮮が参加するときいつも現れる「美女軍団」が、今回の韓国・平晶オリンピックにも「応援楽団」として出現した。

 その韓国の反応は、次のとおりらしい。

www.afpbb.com

 

www.recordchina.co.jp


 「(一応敵対してるから)言いたくはないが、やっぱ可愛い、やっぱ美人だ」――

 世の女性の皆さん、これが男というものである。

 “美しい”は、敵国の男心さえかくのごとく挫いてしまう。

 古今和歌集の序ではないが、鬼神の心さえ和らげてしまう。

 皆さんが美を渇望・追求したからって、誰に何を言われることがあろう。

 勉強ができるとか何とかいうよりも、美しいということの方が、女性にとってははるかに重要で価値が高い――

 と言ってしまっては世間にボロクソ叩かれてしまうが、しかしやはりそれは真実の(巨大な)一面である。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 さて、つい最近F1でグリッドガールレースクイーン)が廃止されたように、欧米諸国では「美人資本主義」に対する反動が出てきている。

 しかし欧米諸国とは正反対の北朝鮮では、どうやら(少なくとも対外的には)美人資本主義が全盛のようである。

 何と言っても国が率先して美人を選抜し、国際的部隊へ戦略的に送り込んでいるのである。

 女性団体は、こういうことこそ厳しく指弾すべきではないだろうか?


 しかも上記引用記事によれば、今の北朝鮮世襲最高指導者・金正恩の妻は、この美女軍団出身だという。

news.yahoo.co.jp


 もうこれは美人資本主義というより、まるきり近代以前の封建王国の様相と言える。

 思えば西太后(清末の女独裁者)も則天武后(中国市場唯一の女帝。唐王朝を中断させた)も、こういう成り上がり方をしていたものである。

 美少女だから皇帝の後宮に入り、息子なんかを産んで権力を得たものである。

 そう、この21世紀の日本においてさえ、“お局の中のお局”みたいな人のことを「西太后」と呼ぶことはある。

 その西太后も、則天武后も、元は美少女だったのだ。だからこそ成り上がることができたのだ。

(これは「美」というものの儚さと虚しさを、何よりも雄弁に語る歴史的事実だろう……)


 かつて共産主義の祖・マルクスは、共産主義は資本主義が極限まで進んだ段階で出現すると書いた。

 しかし実際に世界初の共産主義国家となったのは、資本主義が極限まで進んだとはとても言えないロシアであった。

 そして現代、“世襲社会主義国”という奇怪な政体の北朝鮮は、国策として美人資本主義を採用している。

 これに対して資本主義の欧米では、美人資本主義への反動が始まっている(と、一応は言えそうだ)。

 ではこの日本、まぎれもない美人資本主義国である日本では、いったいどうなるものだろうか。

 ここはマルクスに甦ってもらって、意見を聞いてみたいものである。