プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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宇和島訪問記(2) 宇和島城の天守閣は非常に小さい-天守閣は最終防衛拠点なのか?

 消防本部側入口側からの城門をくぐると、天守への行き際は二つに分かれる。

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 左なら180メートルで天守に着く最短コースだが、傾斜のきつい階段になるらしい。(右なら児童公園経由でなだらか)
 
 こういう場合、私は迷うことなく左を選ぶ方である。
 確かに石階段はいささかきついのはきついが、近所の神社の階段など上り慣れているならばどうということはないだろう。
(むろん年寄りにはかなりキツそうだが……)

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 そして登り切ったところに、いよいよ天守閣の鎮座する「山頂部」がある。

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 天守内部の観覧開始時刻は朝9時なのだが、このときまだ8時40分ぐらい。
 よってタバコでも吸うかと灰皿があるか見渡すと、そう広くもない広場の至る所に灰皿ボックスが設置されているというタバコフレンドリーな環境だった。
 愛煙家にとっては実にありがたい環境、嫌煙家にとっては実にけしからん環境と言うべきだろうか。
 ところで近くによって天守を見ると、なるほど事前にコンパクトな規模とは聞いていたが、聞きしに勝る小ささである。
 

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 人の大きさと比べてみると、そこらの小規模アパートの高さ・幅とあんまり変わらない――いや、それ以上に小さいことがわかる。
 なお、観覧入口に置いてある城パンフレットによる天守閣のスペックデータは――
 高さ15.72メートル、1階軒面積212.75㎡。
 同じ愛媛県内の城である巨大城塞・松山城天守及び連立櫓を見てきた者からすれば、ミニチュアと言いたいほどの規模ではないか。
 ちなみに宇和島城を最初に建てたのは、あの“戦国の築城王”藤堂高虎である。
 しかしさすがに初代天守(1596年~1601年の間に創建)は残っておらず、いま残っているのは宇和島藩伊達家2代目の宗利(むねとし)が1666年前後に建て替えた2代目だ。
(江戸期以前から残る天守は国内に12しかないが、その一つ。)

 さて、観覧開始は9時からなのだが、実際はその10分くらい前からオープンしてくれたため、中に入ることができた。
 そして再び驚くのが、その小ささ。
 1階は一番広いはずなのに、何というあっけない小ささだろう。(中央1室の四周は廊下のため、よけい中央1室が狭くなる。)
 また三度驚くのが、上に上がる階段の急傾斜ぶり。
 

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 なるほど昭和40年代くらいまでの2階建て家屋にはこんな急傾斜階段の家が多かったものだが、これこそ高齢者泣かせの坂と言える。
 しかし宇和島城は3階建てなので、階段を上るのはわずか2回のみ。
 その最上階も他の城のように(ベランダのように)広々と外を展望できるわけでなく、狭間のスキマから覗き見るしかない。
 

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 結局のところ私の場合、わずか10分程度で観覧を終え天守閣を出ることとなった。
 ここで思わざるを得ないのが、「天守閣は城の最終防衛拠点」とのイメージである。
 もちろん宇和島城は一度も実戦を経験したことのない城だが、しかし実戦となれば、これほど小さい天守が何の役に立つだろう。
 この小ささでは100人も立てこもることはできず、戦闘行動を行うとなれば(スペースが必要なので)さらに人数は少なくなる。
 とはいえ考えてみれば、天守閣の攻防戦を行うということは、もう敗北寸前/敗北決定ということである。
 だから天守閣の収容力・防御力を堅くしたとて、まるきり何の意味もない。
 よってもし実戦となれば、天守閣は「倉庫 兼 望楼(ウォッチタワー)」としてしか使われない/使い道がないのではなかろうか。
 天守閣の防備にカネと資源を使うなら、外郭の防備にそれらを回した方がはるかに実益がありそうである。
 また少なくとも天守は城の中心にあるので、そこに備蓄した物資を四囲の外郭前線に届けるには最適の位置にあると言える。 

 しかし天守閣の最大の効用および目的は、やはり配下武士・領民たちへのアピールにあるだろう。
 実際これほど小規模な宇和島城天守でも、山の上にあるおかげで城下からはっきり見ることができるのである。
 現代でさえ市民がその光景を誇りに思うことがあるのだから、昔の人はもっとそうだったのではないかと思う。
 そしてそのランドマークとしての役割は現代でも立派に役に立ち、私のような観光客を引き寄せているわけでもある。
宇和島に来て宇和島城を見に行かない人は少ないだろう。
 しかしもし宇和島に(天守閣を備えた)城がなかったら、宇和島に来る人自体がガクンと減っていたに違いない。)

 その意味で天守閣とは、やっぱり城の最重要施設である。
 名古屋城江戸城天守閣を(創建時と同じような)木造で再建しようという運動を、「税金の無駄遣い」と一笑に付すことのできない理由がここにある。
 たかが10日くらいのオリンピックごときのために、体育館や会場を何百億円もかけて整備する――
 誰が費用負担するのかという議論はあれ、そんなのを建てること自体には目立った反対が見当たらないのは、いったいどうしたことなのだろうか?

宇和島訪問記(1) 宇和島市は南国のレトロな街 附:私の旅行規準について

 ゴールデンウィーク後半を利用して、小旅行に行ってきた。
 行き先は四国の今治宇和島である。
 私には旅行に行く際の規準めいたものがあって、それは――

(1) 100年仕事してても絶対に行かなそうなところに行く。
(2) 日本人の9割が一生に一度も行くことも、電車や車で通過することさえないところに行く。

 というものである。
 今回の今治はともかくとして、宇和島を含む四国の南西部って、みなさんも行く用事はないのではなかろうか。
(地元の方々、ゴメンナサイ。)
 そういうところをあえて選んで行くのが、旅行の面白さというものだろうと思っている。
 そしてこういう規準を当てはめれば、誰にでもいくらでも日本国内に旅行先がありそうではないか?
 私もいつか、青森県とか南西諸島(九州と沖縄の間にある喜界島とか)、東京都青ヶ島村北大東島南大東島などに行ってみたいものである。

 ……それはともかく、まずは宇和島について。
 宇和島と言えば、幕末四賢侯の一人である宇和島藩伊達宗城(だて むねなり)が有名である。
 あとは、2001年にアメリカの原子力潜水艦と衝突・沈没したえひめ丸は、宇和島水産高校の船だった。
 また、闘牛も有名なようだ。(私は今回行くことになるまで知らなかったが。)
 しかしやはり最も有名なのは、名城と言われることの多い「宇和島城だろう。
 このたび宇和島に行くことにしたのも、まさにそれを見るためである。

 宇和島市へは松山市から電車で行くのだが、その料金は特急で片道2,260円。
 まずこの段階で、松山市在住の人も滅多に宇和島へ行くことはなさそうである。
(鈍行にすれば半額くらいになるのでそれでいいじゃないかと思われそうだが、特急「宇和海3号」でも1時間25分かかるのだから、鈍行となればほとんど1日の労働時間の半分ほどもかかってしまうのだ。)

 さて宇和島駅に降り立つと、そこは寂れた地方都市という風情であった。
(重ね重ね地元の方、スミマセン。しかし正直な感想です。)

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 しかし市街の大通りには“南国の木”が天に向かって高く伸び、いかにも南の国の風情を漂わせてもいる。

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 駅前から大通りを右に進んでいると、そんなに歩かなくても宇和島城天守閣の遠景が見えてくる。

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 そして「栄町港交差点」で左に曲がると、宇和島城の入口はもう近い。

 すると交差点を曲がった途端、何としても目を奪われるものが飛び込んできた。
 この2017年になって、いまだ「ファミコン」と書かれた店を見つけるとは思わなかったので、ちょっとした感動でカメラを向けてしまった。
(さすがに、営業している様子ではなかったが……)

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 また道を進んでいると、奇異と言えば奇異であるが、日本全国には似たような物件が多くあるのだろう――と思えるような物件も見つけた。
 それは“川の中に建つ家”というものだった。

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 この川は増水することはないのだろうか、きっとこの家を建て替えることはできない(許可が下りない)だろうな、などということを思わざるを得ない。
 もう少し進むと宇和島市消防本部があり、その角を右に曲がれば宇和島城への入口である。

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小さすぎて蒔くのが面倒なニンジンの種を適当に蒔くと、こうなる

 家庭菜園をやっている人は多いが、私もその一人である。
 「小さな畑でも、自分で野菜を栽培できれば食費が浮くのではないか」と考えて野菜の種を買ったことがある人なら誰でも知っているとおり――
 ニンジンの種というのは非常に極小で、「ちゃんと指で土を指して穴を作り、等間隔で植える」ことを想定して袋を開けると、アッと驚く始末になる。
(これ、“ニンジンの種ってこんなに小さいのか”とビックリして気が遠くなった人は、世の中にたくさんいるのではなかろうか。)

 もちろん私も、いくら畑が極小だからといって、そんなのを「指穴」を開けて一つ一つ落としていく気にはならない。
 よって、溝を付けて適当に振りまくことになる。 
 そしてさらについつい面倒になり、間引きもしない――
 そんないい加減な育て方(実は、実験的にわざと何もしなかったのだが)をすると、収穫はこうなる。
 

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 これはまさに「ヒメニンジン」である。
 で、こんなのを食うのかって? どうやって食うのかって?
 まあ、葉っぱは取り除くとして、残った実を鍋に入れてただ沸騰させるだけ。
 そうすれば食えるようにはなるのだが――
 もちろんあのニンジン独特の甘みは(味は)ほとんどなく、美味くも何ともないものである。

 実験の結論。
 たとえもったいなくても、間引きはしましょう。(広い畑なら、別の所に植え替えられるのだが……)
 ヒメニンジンを育てても、食費を浮かすことにはなりません。
(味がないのでオカズにもならない……)