またも、7月6日である。
2018年(平成30年)の西日本豪雨災害からぴったり2年の今年7月6日、九州地方は大豪雨に襲われた。
このあまりのタイミングは、もう偶然とは言いがたい。
7月6日は呪われた日であり、この日の前後には今後も豪雨災害が起こる確率が非常に高い。
しかもその頻度は、今現在のデータによる限り、「2年に1回」という超高確率だ。
まるで「7月6日は豪雨災害の日」と、日本記念日協会が制定してもいいほどである。
日本の災害と言えばナンバーワンは「地震」であるが、いかんせんこれは何年・何十年に一度のこと。
(むろん「大地震」のことである。)
それに比べれば、豪雨災害の方がはるかに頻度が高いのはもう間違いない。
おそらくこれから数年で、日本人にとって「最も身近な大災害」は、地震から豪雨ということに意識が変わっていくだろうと思われる。
さて、ということは――
これからの防災対策の主役は、豪雨対策ということになるだろう。
それどころか国政全体の中でも、豪雨対策が主役の一角を占めそうである。
具体的には河川の氾濫防止のための堤防強化、ダム建設、都市部の排水機能充実、といったものになるだろうか。
思えば近年、特にダム建設は「ムダ」の象徴であった。
きっと国民の半分くらいは、「新たにダムを造る計画がある」などと聞けば、すぐさま
「またムダ遣いしようとしている」
「自然を壊そうとしている」
「土建業者が政治家とつるんで儲けようとしている」
などと直感したはずである。
しかし時代は、ほぼ明らかに「豪雨災害の時代」に入った。
国民感情というのはたちまち掌返しするところがあるので、
ダム建設事業というものは、それこそ今年中にでも「それはいいこと・やるべきこと」というコンセンサスを得ることができるだろう。
だがこれは、そういう「新しい時代」に入ったのではない。
それどころか、何千年もの大昔に時代が戻ったということである。
思えば神話時代の中国では、堯・舜・禹という伝説的な帝王がいた。
彼らのことは現代の日本人にも(特に三国志ファンには)知られているが――
そのうち舜と禹のやった業績として憶えているのは、「治水」しかない人が99%を占めるはずである。
それよりもっと遡れば、エジプトの初期ファラオやメソポタミアの人々がやっていたことも、
(ピラミッドや神殿の建設を除けば)
やはり「治水」であったとしか、我々の大部分は答えられないのではあるまいか。
それから数千年経った日本で、再び「治水」が国政の中心に戻ってくる。
その主目的はもはや「灌漑」ではないが――
氾濫防止・洪水防止という目的は、何千年前と変わっていない。
しかし日本は、いや人類は、さすがにその頃よりはよほど進歩している。
今回の九州豪雨災害がもし鎌倉時代に起こっていれば、九州では飢饉と疫病で何千人も死んでいただろう。
2年前の西日本豪雨災害がもし江戸時代に起こっていれば、やはり歴史の教科書に載るような大飢饉になっていたろう。
それに比べれば今の日本は、昔よりぶっちぎりでマシである。
しかしそれでも、これからの日本は「ウィズコロナ」に加え「ウィズ豪雨」でも生きていかなくてはならない。