4月1日、5月1日からの新元号が「令和」になると発表された。
私は先日の記事で、当たらないのを承知で「文光」になるかもと予想したのだが、カスリもしないハズレであった。
まさか「令」なんて字が使われるとは、
そして昭和に続きまたも「和」の字が最後に付くとは、完全に予想外である。
一本取られることはわかっていたが、見事に一本取られたものだ。
しかし、こんなのでも最低1名は的中者がいたというのだから、世の中は広くも恐ろしいものである。
さて、この新元号、概ね好評のようである。
(もっとも、提灯記事みたいなのばかりが出ているからそう感じられるのかもしれないが……)
とはいえ、どんな年号になろうとそうなのだが、やはり懸念材料はある。
以下、思いつくままに挙げてみよう。
(1)「命令に唱和しろという意味か」なんて取る人間が必ず出てくる。
すでにもう、「命令の令なんてどういうことだ」と言っている人が何百人もいるだろう。
しかしもちろん、令は「令嬢、ご令室」の令でもある。
だが漢字なんてどうにでもこじつけられるのだから、安倍首相をはじめとした自民党政権が今後も続くなら、こういうことはずっと言われるはずである。
(いっそ「玲和」にしておけば、佳字でもあるし、こういうコジツケもなかったろうが……)
しかしまあ、「国民に命令したいから元号に令の字を押し込みたい」なんて考える人がもしいるとすれば、それはギャグ漫画の中だけという気がする……
(2)景気が冷え込めば「まさに冷和時代」なんて書かれる
これは週刊誌なんかが絶対に使う、と予言しておこう。
(3)漢字の書き方とアクセントで文句を付ける人間が必ず出てくる
「令」と書くか「今」みたいな字を書くか、
昭和のように「ワ」にアクセントが付くのか、それとも「レ」にアクセントが付くのか――
これは政府見解では「どちらでもよい、どちらでも正しい」である。
しかしそれでも「いや、こっちが正しい」と自分の好みで言いたがる人間が多いのは、周知のとおり。
これから日本中で、そうしたメンドクサイ事態が起こることになると思われる。
(そしてそのたびに、元号離れが進んでいくのだ。)
(4)どうしても「零和」を想像してしまう
「零和」すなわち「ゼロの和(足し算)」である。
年号なのでこの後に数字が続くため、よけいに「ゼロの和?」なんて感じてしまう。
(5)思わず「りょうわ」と読んでしまう
「律令」「令旨」など、日本史に詳しい人(好きな人)ほど、思わずこう読んでしまうのではなかろうか。
そして日本人のナチュラルな発音的にも、「りょうわ」と読むのが言いやすいのである。
(もしかしたらこれは、外国人にも配慮したのかもしれない。
外国人レスラーが天龍源一郎を「てんりゅう」と読めず「テンルー」と呼んでいたというのは、有名な話である。)
以上、思いつくことをざっと挙げてみたが、それでも令和という元号は――
そこまで素晴らしくもないが、そこまで悪くもない、そして確かに新鮮ではある元号ではあるまいか。
そしてなんだかんだ言っても、日本に元号や改元があるというのは、基本的には良いことである。
何と言っても何十年に一度の全国的「イベント」であるし、現に盛り上がるし……
これだけ国民の趣味・嗜好・関心が分かれた中、全国民的に気分を一新しようとすれば、これが一番のイベントなのだろう。
そして1ヶ月後の2019年4月30日、平成最後の日――
私が(子どもの時だったが)昭和最後の日、1989年1月7日のことをいまだに断片的に覚えているように、
今を生きる人たちの多くが、その日のことを記憶に留めると思われる。
それは西暦ではなしえない、懐かしくも味のある記憶である。
なんたって私は、1999年や2000年という一千年に一度の年のことでさえ、何も覚えていないのだから……
(こういう人って、割と多いのではないだろうか?)