突然の訃報とは、このことである。
保守論壇の重鎮とされる評論家の西部邁(にしべ すすむ。78歳)氏が死去した。
しかも、多摩川に飛び込んでの自殺だという。
どうも3年前の妻の死から、(普通の人の死に方である)病院死でなく自殺死を考えていたようで、著書でもそのことをほのめかしていたとのこと。
西部邁と言えば、(私はそんなによく知らないが)保守論壇でも最も名高い人物だった。
確か2000年前後頃には、あの「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーとして、小林よしのり・西尾幹二とともに“保守論壇の3巨頭”みたいな地位にあったはずだ。
(もっともウィキペディアによると、西部氏はつくる会の理事にはなったものの理事会には出席せず、会から距離を置いていたらしい。)
西部氏は東京大学に入学して共産主義者同盟(ブント)に入り、全学連の中央執行委員を務め、60年安保闘争に左翼として参加した。
しかしほどなく左翼から転向し、カリフォルニア大学・ケンブリッジ大学を経て東大教授となるが、人事上のいざこざから辞職。
以後は保守派評論家として活躍するという、聞くからに波瀾万丈な経歴である。
「元・共産主義者同盟&全学連」だったのに転向者になった上に、保守論壇のほとんど頂点に達したのだから――
元の仲間たち(左翼の残骸みたいな人たち)には、ずいぶん恨まれもしたと思う。
そういう人が自分の最後に選んだのが、川に飛び込んでの溺死……
どうやら遺書はあったが、家族(長男)には全く何も言わずに実行したようだ。
つまり彼は、自分の思う病院での“醜い最期”を迎えるより、溺れ死ぬことを選んだのである。
そしてもちろん、そういう自分の美意識が命よりも――また、家族よりも――大事だと判断したわけである。
私はこういう選択を、自殺するということを、必ずしも悪いこととは思わない。
結局人間、死にたい人や死にたい時はあるものである。
自殺はダメだと言って止めたとして、だからといってその人が以後、自殺しようとした人に何をしてやれるわけでもない。
いや、何をする気もあるはずないのが本当だろう。
その意味で、自殺しようとする人を助けるというのは、むしろ無責任だという言い方もあるはずだ。
今の日本では、とにもかくにも「生きる」ことが最高の“道徳”だとされている。
映画『もののけ姫』だってそのメッセージは「生きろ」であったし、
同じメッセージを発している漫画やドラマと言った創作物は、本当に枚挙に暇ない。
沖縄発の「命どぅ宝(ぬちどうたから)」(命が何よりも大事)という言葉は、かなり人口に膾炙している。
そして、あろうことか戦国時代を描いた大河ドラマさえ、「とにかく生きよ」と熱く語るのが定番である。
そこには「見事な最期を遂げよ」なんて言う人はほとんど一人もおらず、いたとしてもエキセントリックな狂人みたいに描かれるのが関の山だ。
こういう雰囲気がいささか鼻についてくる……というのは、むしろ健全な精神の持ち主の証拠みたいにも思えてくる。
むろん西部氏は生命よりも、自分の思う「美しい死」を選んだ。
世の中には、そういう人も(まだ)いるのである。
「生きることが何より大事」とする生命至上主義をはっきり拒絶し、背を向け、中指を立て、侮蔑する人もいるのである。
そういう人は他にも多いはずだが、たいていの人は自殺する勇気がないから実行できない。
たぶん西部氏の自殺は、妻を失ったことによる“気落ち”とか“ノイローゼの悪化”の末のものではなく、はっきりとした意識的な裁断だろう。
さすがは保守論壇の領袖的存在と言うべきか、信念に殉じた最期である。
ただ惜しむらくは、西部氏の自殺は遅きに過ぎたということである。
これが昭和中期くらいまでであれば、彼の自殺は「語り継がれる伝説」になったかもしれない。
“人生不可解”と書き置きして華厳の滝に身を投げた17歳・藤村操(ふじむら みさお)は、伝説となった。
三島由紀夫の割腹自殺もまた、そうである。
彼らの死は、半世紀も一世紀も経った今でも知っている人は知っている。
しかし西部氏が命を絶ったのは、現代というニュース化社会の時代である。
今の日本はたった一人の自殺なんかにかかずらっている雰囲気でなく、今の日本人もそういう精神状態ではない。
まるで多摩川の流れのように次から次へとニュースは流れ……
数日前のニュースはもはや、話題にするのも恥ずかしいような時代遅れのものとなる。
論壇の大立て者がこんな自殺を遂げたのがもし大正時代であれば、きっと今でも少しは語り継がれているだろう。
だが現代でこんなことが起こっても、わずか数日のネットアクセスを稼ぐだけだ。
おそらく西部氏は、生命至上主義が道徳となった現代日本も軽蔑していたろうが……
こういうニュース社会もまた、嫌悪・侮蔑していたのではないかと思ってしまう。