プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「雑炊の盛り付け・作り方で店主惨殺」事件-日本で極大化する「労働リスク」

 年の終わりに、何とも陰惨な事件である。

 滋賀県草津市のちゃんこ料理店「隠れダイニング蔵間草津店」のオーナー・糸岡真二さん(60歳)が、客2人に2時間半にもわたる暴行を受けて死亡した。

 犯人は、不動産仲介業・浜野慶治(46歳)と土木作業員・関一也(45歳)。

(彼らは7~8人で個室で飲食していた。)

 その原因は、「締めの雑炊の作り方(盛り付け?)が悪かった」ためだという。

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 確かに、こんなにも些細なことが夫婦の離婚の原因になることはありうる。

 しかし惨殺にまで至ることが現実にあると言うのだから、もはやおちおち「店で働く」ことなどできそうもないではないか。

 
 上記記事によるとこの2人、警察に対してさえも極めて態度が悪い。

 こんなニュースを知った人は、「これ殺人だろ、コイツら死刑にしろ」と思うのが当然である。

(しかしもちろん、死刑にはなんないのである。どうせちょっとの刑期でシャバに出てくるのである。)


 誰でも思うとおり、こんな事件が起きる背景には日本の「おもてなし」がある。

 すなわち「お客様は神様です、お客様にはとにかく謝るのが正義」という社会道徳である。

 当たり前の話だが、これは歴然たる「奴隷道徳」であり、そうでなかったら「封建道徳」としか言いようがない。

 もうとにかく日本人は、どうでもこうでも「人間には上下がある」としたくてたまらず、それをまっとうな道徳としているのだから始末に負えない。

 その道徳に従って――

 同じ人間が労働者・従業員としては客に封建従者同然に振る舞い、

 いざ客となれば相手に対して封建支配者さながらに振る舞う、

 という光景が別に珍しくないのだから、まったくもって気色の悪い国・国民である。

 これはおそらく、自虐史観に反対し「日本人は世界的に見て優秀」と言いたい人でさえ、認めざるを得ないと思われる。


 旧日本軍が残虐行為はしなかったとか、日本人にそんな残虐なことができるはずがないと言う人たちは、いったい現代のこんなニュースを見ることがないのだろうか。

 もちろん旧日本軍は残虐行為をやったし、日本人にはそんな残虐なことがやれるのである。

 世界の中で日本と日本人だけがやらない/やれないなんて、そんな異常なことがあるわけないのだ。

 上記記事では犯人2人と来店していた「他の5~6人」が暴行の最後まで同じ個室にいたのかどうかは定かではないが……

 少なくとも、その発生を止めることはできなかった/しなかったということである。


 現代のそこらの庶民さえ、「雑炊の作り方が悪かったから」2時間半も暴行して惨殺できる。それを止めることもない。 
 
 まして昔の庶民(昔の日本軍は徴兵制なので、まぎれもなく庶民である)においておや……

 

 要するに、何も昔の君主や武士だけが残虐な圧制者なわけではない。

 専制君主やエリート層が悪者で、庶民は正義の側の犠牲者だなんて三文ラノベみたいな構図が正しいなんて、あり得ないことである。

 浜野慶治や関一也みたいな人間は、たまたま現代の庶民に生まれただけである。

 これが昔の貴族や武士に生まれていれば、庶民の命なんてゴミのように扱っただろう。

 それゆえに、こういう人たちは殺すべきである。

 暴虐な君主を革命戦争で殺すべきであるように、「たまたま現代の庶民に生まれた暴君タイプ」は殺して然るべきである。

 そしてこういう「たまたまカリギュラ帝として生まれなかった」人間は、現代社会にも未来社会にもウヨウヨしている。

 何と恐ろしいことではないか。


 もう一つこの事件から言えるのは、日本において「働くことのリスク」は、ついに極大に達してしまったということである。

 飲食店の従業員は学生バイトの定番であるし、「人と接するサービス業」は現代の労働形態で最大の割合を占めている。

 かつて「就きたくない職業」として“きつい・汚い・危険”の「3K」というのがあったが、もはやサービス業に従事すること自体・全体が3Kになってしまったようなものだ。

 たとえ殺されることはなくても、メンタルを壊される最大要因が「普通に仕事をすること」だというのは、非常に絶望的である。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 こんな世の中では、若者も社会人も働くことを嫌がるのが当然だろう。

 人と接するのが嫌だ・怖いとして、引きこもりになったりコミュ障になったりすること。

 できるものなら働かずに暮らしていきたい、働く側になりたくないと願うこと。

 これらは全て、病理と言うより当たり前の適応と言うべきである。

 普通に働くことのリスク――「労働リスク」というのは、採用戦略・人事戦略・賃金政策などといったものを遙かに超えた根源的な大問題だろう。

 そしてこれは、日本人がいい加減「人間には何が何でも上と下がある、あるべきだ」という道徳を守り続ける限り、いつまでも解決できないはずだ。

 そしていずれ、人と接する全ての職業が「賤業」と見なされる日が来る……