プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

モハメド・アリ“ザ・グレーテスト”死去 グローバルボクサーと猪木vsアリ戦の記憶

 本ブログ【プロレス・格闘技編】で記事を書いたが、モハメド・アリが6月3日に死去した。

 アリの死は社会的現象でもあるので、この【社会・ニュース・歴史編】でも書いておこうと思う。

(スカパーのCNNニュースでもかなり時間が割かれている。いや、ずっと流れている。)

 おそらくアリの死について、1976年6月26日の「猪木vsアリ戦」を引き合いに出して報じるのは日本だけの事象である。

 “総合格闘技の源流となった試合”として再評価・高評価がされているとは言っても、それはたぶん日本に限った話なのだ。


 モハメド・アリは、ボクシングの歴史において史上最強の呼び声高い男である。

 その対抗馬と言えば、マイク・タイソンくらいだろうか。

 そしてこの二人だけが、日本においては誰でもその名を知っているヘビー級ボクサーであり、(よく知らないが)世界的にもそうなのだろう。

 その死が世界中のテレビ・新聞・ネットのトップニュースで伝えられるボクサーというのは、マイク・タイソンが最後になるのかもしれない。

 しかしマイク・タイソンも確かに追悼されるだろうが、その記憶と言えばあのメガトンパンチ以上に「試合相手の耳を噛みちぎった」ことにあるような気がする。

 黒人差別と戦い、ベトナム徴兵を拒否し、自由勲章を得た――

 そういう社会的・人格的な意味を帯びたアリとはレベルが違う、とも言えるだろうか。

(アリも相手を口汚く罵ることで有名だったのだが……)


 アリの声望・威信というのは、現代の日本人には想像も付かないほど巨大だったのだろう。(私も、実感を持って知っているわけではない。)
 
 ついでにボクシングがスポーツ界と人心に占める地位というのも、現代よりはるかに高く大きかったのだろう。

 特に日本においては、あらゆるスポーツが「日本人・日本チームが活躍しているかどうか」によって、人が興味を持つかどうか決定されている観がある。

 日本人がたいして活躍しない(もしくは全くいない、ボクシングヘビー級のような)世界に対し、今の日本人は興味も関心も持たないようになっている。

 オリンピックでさえもそうである。

 1976年当時の日本人は、今の日本人よりずっとグローバルなスポーツ感覚を持っていた、と言えるかもしれない。


 そしてそんなアリが東洋の一レスラー、アントニオ猪木異種格闘技戦を戦ったというのは、(世界の世間的には無視されるにしても)現代の感覚では想像も付かない出来事であったろう。

 それは、ある意味で狂乱と混沌の1960-70年代だからこそ実現した奇跡だったろうか。

 
 アリ戦を実現させたことは、アントニオ猪木にとって人生の決定的な出来事だった。

 当時は試合内容を酷評され、何十億円の借金も負ったが、それだけのリスクを負う価値は充分にあった。

 猪木vsアリ戦は“今世紀最大のスーパーファイト”と題されたが、今世紀(20世紀)どころか歴史上空前絶後のスーパーファイトであって――

 「現役の」ボクシングヘビー級チャンピオンとプロレスラーが「真剣勝負」で戦い、世界中に中継されるというようなことは、もう二度と起こらないはずである。

(今で言えば、マニー・パッキャオ新日本プロレスオカダ・カズチカないし棚橋弘至が対戦するようなものだ。)

 

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 猪木vsアリ戦から、今年はちょうど40年。

 アリにとって猪木vsアリ戦が、果たしてどんな風に意識されていたかはともかくとして――

 その名はプロレス・総合格闘技ファンにとっても、永遠に忘れられないものとなった。

 仮に、仮に万一ボクシングファンがその名を忘れる時代が来ても、プロレスファンは絶対に忘れないことは皮肉と言えば皮肉である。

 
 猪木とアリがリング上で対峙した姿は、まさに奇跡の瞬間だった。

 アリとボクシングファンには迷惑を通り越して不快なくらいかもしれないが――

 二人のモノクロ写真姿は、スポーツの歴史の中でも最上級に美しく、意義深い瞬間を切り取ったものだと私には感じられる。

 それを掲載することで、“ザ・グレーテスト”モハメド・アリの追悼に代えたい。

 

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