プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「日本スゴイ」の集団オナニーを止めよ-カズ・ヒロ氏「日本の文化は嫌だからアメリカに住んでいる」

 2月9日、米アカデミー賞の授賞式があった。

 最高賞(作品賞)を獲得したのは韓国映画『パラサイト 半地下の家族』で、他3賞も獲って4冠王となった。

 英語以外の言語の映画が作品賞を獲ったのは、史上初めての快挙らしい。

 これとは別にアメリカ映画『スキャンダル』でメーキャップ賞を受賞したのが、日本出身のカズ・ヒロ氏(日本名:辻 一弘)であった。

 そのカズ・ヒロ氏の、授賞式後の会見は――

 「日本での経験が受賞に生きましたか?」と質問されて、

 「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って、米国人になった。

  (日本の)文化が嫌になってしまい、夢をかなえるのが難しいからだ。

  それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」

 というものだった。

(⇒ 朝日新聞 2020年2月10日記事:韓国映画「パラサイト」、作品賞など4冠 アカデミー賞)

 
 私は、このカズ・ヒロ氏の発言に「共感」した日本人は、相当多いのではないかと思う。

 もちろん、日本の文化が嫌でなじめない日本人がいるのは、当たり前のことである。

 というかそもそも、日本の文化になじめないという方が世界ではグローバルスタンダードである。

 それは措くとしても、日本の文化(という名の雰囲気)が嫌いだと感じる日本人の数は、時々刻々と増えている……

 たぶんあなたもそのことは、(特にネット上で)肌で感じているのではあるまいか。 


 その一方で、ネット上でもテレビ上でも書店でもよく見かけるのは、いわゆる「日本スゴイ」の日本礼賛ものである。

 これは本当にどこでも、いとも簡単に見つけることができる。

 いやわざわざ能動的に探さなくても、それこそ嫌でも目に入ってくる。


 私はこの日本スゴイ」コンテンツというのは、集団オナニーだと感じずにいられない。

 そしてまた、こんなのを見て・読んで、気持ちよくなるという感性が気色悪いと思っている。

 たとえ本当に日本の技術がずば抜けてスゴかろうと、別にあなたや私がスゴいわけではない。

 昔の日本人にどんなスゴイ人・気高い人がいようと、あなたや私がそうであるわけではない。

 日本の何がスゴかろうと、あなたや私には何の関係もない話である。連動しようがない話である。
 
 こんなことは明々白々の話だと思うのだが、しかし世の中にはなぜか――

 日本の何かのスゴさが、自分個人の誇りと(どうやってか)繋がりがあると感じる人が多いようだ。

 
 こういうことですぐナチスの話を持ってくるのは、安直で短絡的と思われようが……

 この「日本スゴイ、日本人スゴイ」というもの、ナチスの「ゲルマン民族スゴイ、アーリア人種最高」というのとそんなに違っていはしない。

 私はこの地球上に、「他の民族(人種)より優れた民族(人種)」がいるなどとは全然思わないし思えない。

 どの民族にも人種にも、バカがいれば偉いのがいる。

 気高い人がいればクズみたいな人間もいる。

 優しい人がいれば冷血なのもいる。

 日本人がスゴイのならアメリカ人も中国人もスゴイし、古代マヤ人やシュメール人やモンゴル人、マジャール人だってスゴイ。

 人口に占めるバカと天才と普通人の割合は、どんな民族・人種でもそんなに変わりはしないだろう。

 もちろん日本のゆとり世代、戦中世代、令和世代でも、ほとんど差はないだろう。 


 ナチスがやっていたことは、いわば「人種オナニー」である。

 (もちろん自分が属している)ゲルマン民族だのアーリア人だのが優れていると言うのが・聞くのが、気持ちよくて興奮高揚するのである。

 ナチズムは、史上最も先鋭的な人種オナニズムであった。

 ナチスの主導者らは、他民族を下に見る民族オナニストであった。

 そういう気持ち悪い変質者集団が抹殺されたのは、もちろん人類にとって良いことであった。


 私は別に、オナニーするのが悪いとは思わない。

 健康な男性のほぼ100%、女性でも半分くらいは、そういうことをしたりしたことがあるはずだ。

 しかしオナニーとは、間違っても人前ですべきものではない。

 人種オナニー・民族オナニー・自国オナニーを人前でするのは、まぎれもない変態であり変質者である。

 他人からは、間違いなくそう見えるのである。

 そして、そんなことを仲間たちとしているうちに……

 「同胞」の多くが「こんな日本は嫌だ」と本当に海外に出て行くことが平行して起こっているとしたら、それは救いようのない光景ではあるまいか。

「刀1本に5億円払う」は無駄遣いか?-上越市は取得断念し瀬戸内市は買う

 上杉謙信の愛刀であり国宝である日本刀「山鳥毛」――

 それを最初に購入しようとしたのは上杉謙信の地元・新潟県上越市であったが、その専門家による評価額は3億2000万円であった。

 上越市はその額を2017年度予算に計上したのだが、所有者が5億円を提示したため交渉は決裂し取得断念となった。

 それをこのたび、備前刀(備前長船)の産地である岡山県瀬戸内市が(ふるさと納税の寄附金で)8億239万円を集め、ついに購入できることになったという。

(⇒ 上越タウンジャーナル 2020年1月28日記事:上越市取得断念の国宝「山鳥毛」は瀬戸内市へ 購入費5億円の寄付集まる)

(⇒ 上越タウンジャーナル 2017年11月22日記事:交渉決裂も「落ち度なかった」 国宝の太刀「山鳥毛」取得断念で村山上越市長

 
 みなさんは、これを聞いてどう思われるだろうか。

 まず、専門家の鑑定額が3億2000万円なのに(所有者の言い値の)5億円で買う、というのは、瀬戸内市は高い買い物をした(する)ということである。

 しかし、(こう言ってはその専門家の方に悪いが、)日本刀(古刀)の鑑定額なんてしょせん水物であることは容易に想像が付く。

 そして、特に日本刀なんかに興味がない人にはそうなのだが――

 根本的に、いくら国宝とはいえ上杉謙信ゆかりのものだったとはいえ、日本刀1本ごときに3億円なり5億円も払うのは無駄遣いではないか、という疑問や反対もあろう。

(そして、その所有者という人に5億円も儲けさせるのが許せない、という感情ももちろんあろう。)


 上越市は、(結果的に)刀1本に5億円も出す気はなかった。

 しかし瀬戸内市は、寄付によって8億円集めて5億円で買うことにした。

 このどちらが正しい選択だったと言えるか、真面目に考えればものすごく難しい問題である。


 ただ、こうなってしまって上越市民の中には、「だから5億円出して買っときゃよかったんだ」と言いつのる人がたくさん出てくるのは容易に想像できる。

 そしてたぶん、瀬戸内市の展示施設(備前長船刀剣博物館)には、ある程度の大勢の来館者が見込めるだろう。

 そもそも8億円も寄付が集まったのは、やはり日本には刀剣愛好者がかなり大勢いるのだと推測させるに充分である。

 また、こんなに集まったのは、それが「山鳥毛」の購入資金になるからこそであって――

 瀬戸内市の普通のふるさと納税では、こんなにも集まらなかったのは100%確実である。


 俗に「世界三大無駄遣い」というのには、「エジプトのピラミッド」「中国の万里の長城」「日本の戦艦大和」が挙げられる。

 しかしこれらが今でも無駄遣いだったかと言えば、そんなことはとても言えない。

 ピラミッドも万里の長城も、今となってはそれが所在する国の観光の目玉である。

 戦艦大和も日本人(の男性)にとってはロマンに満ちたものであり、

 広島県呉市の海事博物館「大和ミュージアム」は、近年の官製施設の中で最も集客に成功したものの筆頭格だろう。

 特にピラミッドなど現代エジプトの屋台骨、「尾張名古屋は城でもつ」ならぬ「エジプトはピラミッドでもつ」と言っていいほどである。

 別にエジプトをバカにするわけではないが……

 ピラミッドとスフィンクスとミイラ(とスエズ運河)のないエジプトって、世界の人々にとって何の価値があるだろう、とさえ思えないだろうか?

 
 日本刀1本に、5億円――

 これが瀬戸内市にとってエジプトにとってのピラミッド、呉市にとっての戦艦大和になるかどうか。

 5億円は出せない(鑑定額を超える値段は出せない)とした上越市の判断が、良かったのか悪かったのか、賢明だったのか愚かだったのか。

 世の中には答えの出ない問題があると言うが、これもその一つではなかろうか。

新型肺炎で「武漢封鎖」-もしかして中国共産党政権は正しいのでは、との疑念

 東アジアで突如として勃発した、新型コロナウイルスによる肺炎の感染……

 その感染源はヘビだ、とも言われているが、中国湖北省武漢市は1月23日、

●市外へ出る航空便や鉄道、市内全域のバスや地下鉄などの公共交通機関の運行を停止

●市民に「特別な事情がなければ武漢市を離れてはならない」との禁足令

 を発令し、武漢市は事実上「封鎖」された。


(⇒ 読売新聞 2020年1月23日記事:人口1100万人の巨大都市・武漢、事実上の封鎖…公共交通機関の運行停止)

 

(⇒ ハフィントンポスト 2020年1月23日記事:武漢市、事実上の封鎖措置。中国メディア「大きな代償」「感動的な一幕」と市民を激励)

 
 むろん形式は武漢市の決定といえど、それが中国共産党政権の決定であることは容易に推測できる。

 中国メディアがこれを感動ヒューマンストーリーとして報じているというのも、中国共産党政権の意向に沿ったものだ――

 と物事を斜めに見るのも、必ずしも的外れとは言えまい。

 
 だが、しかし……

 皆さんはこの報道を聞いて、思わなかっただろうか。

 確かに中国共産党は人権軽視だし覇権主義だし嫌いだが――

 今度ばかりは、中国共産党の封鎖断行は正しい行いなのかもしれない、と。

 武漢市の人口は1100万人、日本の東京圏にも匹敵する。

 それを「封鎖」するなど、日本ではきっとできないことである。

 もしかしたら他の西側諸国ではやるかもしれないが、この日本だけはできないだろう……と、日本人なら普通に感じるはずである。

 あるいは、こんなパニック映画における戒厳令政府みたいなことを本当にやれる中国共産党王朝という国を、羨ましく思った人もいるかもしれない。


 そう、ここにはパラドックスというか、疑念がある――

 もしかしたら人権と自由を重視する西側民主主義陣営よりも、

 この手の抑圧陣営の方が生き残れるし、もしかしたらより(結果的に)人類に貢献することになるのではないか、と。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 歴史に「もし」はないと言われるが、ひょっとすると中国政府が今回のような封鎖断行をしなかった「もう一つの世界」では、

 日本を含む東アジアはとんでもない打撃を被っていたかもしれなかったのである。

(あなたも感染死していたかもしれない。)


 一党独裁の抑圧国家は、こういう時のために世界にとって「あった方がいい」かもしれない――

 それは、人類にとって新たな道徳的難問とも言えるだろうか。