日本に死刑制度があることが「国際社会」からたびたび批判されている――
とは、日本人なら知らない人があまりいないことである。
ここでいう「国際社会」というのが欧米社会のことであるというのも、まず知らない人はいないだろう。
そしてまた――これからも続くに違いないが――、そういう趣旨の記事がネットに掲載された。
(⇒ 共同通信 2024年9月23日記事:人の命奪う死刑制度、国際社会からは批判の声 決して一様ではない被害者遺族たちの思い)
欧米の中でも欧州(ヨーロッパ)では、EU基本権憲章で死刑が禁止されている。(ブレグジットでEUを離脱したイギリスも)
今ヨーロッパで死刑制度が残るのは、悪名高いロシアの同盟国であるベラルーシのみ。
そして現役の駐日イギリス大使ジュリア・ロングボトム氏は、
「残念なことに死刑存置国という観点から見ると、日本は中国、北朝鮮、シリア、イランなどの国と同じグループに入ってしまいます」
と語る。
また、自民党の鈴木貴子衆院議員は、日本に死刑制度があるせいで、日本が(中国などの)覇権国家を批判しても「同盟国からは価値観のダブルスタンダードに映る」と言う。
さて、私はこのことについて、2つの素朴な疑問を持つ。
一つは、この「価値観」というのが結局は欧米の価値観ではないか、という疑問である。
いま世界では、奇妙な二律背反が起きている――
一方では西欧「中心」的意識というのがやたらめったら批判され、諸悪の元凶とまで決めつけるのが正義とされながら……
その一方では死刑制度や捕鯨の是非などについては、西欧的価値観がほとんど絶対善とされているのだ。
これは結局、古き西欧は否定しながら、新たなる西欧の「文化帝国主義」を広めようとする陰謀の一種ではないかと感じるのは、別に陰謀論者でなくても普通のことだろう。
それはまるで、西欧的価値観と違う価値観を持つ世界は、世界のうちに入らないと言っているようでもある。
最近の日本政府は「価値観を共有する同盟国」というセリフを決まり文句のように使っているが、しかしこの「価値観の共有」という言葉をあまり軽々しく使うべきでないと思うのは、これまた私だけではないはずだ。
おそらく大多数の日本人にしてみれば、欧米で死刑がない代わりに科される「懲役何千年、何万年」という判決なんて、なんじゃそりゃという違和感を持ちまくりの刑罰なのである。
そして、もう一つの素朴な疑問とは――
死刑制度のないヨーロッパの民衆や殺人被害者遺族らは、本当に死刑制度がないことを良いことだと思っているのか、死刑制度があるべきだとは思っていないのか、ということだ。
はたして欧州の残虐殺人の被害者遺族らは、犯人が死刑にならないことに納得しているのだろうか。
それはしょうがないことで、こんな犯人を死刑にするのは野蛮国のやることだとみんな思っているのだろうか。
私にはこれは、まるでホトケのような心に思える。
もっとハッキリ言えば、人間離れした心に思える。
また、こうも思うのである……
もしかしたら欧州の殺人被害者遺族というのは、本当に言いたいことも言えずに「抑圧されている」のではないか、と。
私はこういうことを、興味をもって調べているわけではないが――
しかし何とも不自然に思うのは、欧米の殺人被害者遺族へのインタビューで「犯人は生かしておいてほしくない、死刑にしてほしい」と答える人のニュース記事を、今まで一度も読んだことがない(気がする)ことだ。
欧州には、そんな遺族や国民は一人もいないのだろうか。
そんなことはあり得ないと思うのだが、どうしてそういう意見を一つも聞くことがないのだろう。
もしかしたら欧州国民は、欧州の殺人被害者遺族たちは、欧州の価値観というものに抑圧され、死刑賛成と言おうものなら非国民扱いされる恐怖に晒されているのではないか――
と想像するのは、はたして的外れなのだろうか。