プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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日本大学会見・林真理子理事長「スポーツに遠慮があった」-むかし軍閥いまスポーツ閥

 「またもやったか日大アメフト部」と言われても仕方ないが……

 日本大学アメフト部員が大麻覚醒剤の所持により逮捕された事件で8月8日、林真理子理事長らが会見を開いた。

 この会見もまた「ヒドい」と評判のものとなったのだが、やはり最大の注目点は、林理事長の次の発言だろう。


●就任してから、スポーツはほとんど副学長に聞くという立場で、はっきり言って遠慮があった。

●実は、一番重たい問題を抱えていたのはスポーツの分野だったということを今、皆様からの質問で認識した。

●私の分野じゃないから知らないということは言うつもりはないが、しかし私の方でもっと積極的に遠慮せずどんどんいくべきだった。

●他の文系の方々とは親しくお話できても、ちょっとスポーツ関係の方とは距離を置くというような私の心理が、今回のことに影響しているのではないかと考えている。

●言い訳になるが、就任して1年いろんなことやってきたが、スポーツの方を少し後回しにしていたのは事実。改革をスポーツにも伸ばしていかなければならないという気持ちでいっぱい。


 私は正直、林理事長に同情する面もある。

 いや、あなただって、自分の知らない・縁のない分野に対して「遠慮がある」「距離を置く」という気持ちは、痛いほど理解できるのではないか。

 しかしやっぱり、疑問もあるのだ。

 まず日本大学の改革というのは、初めからスポーツが(特にアメフト部が)本丸の一つだとわかっていたのではないか。
 
(⇒ 2018年5月22日記事:日大アメフト選手が殺人タックル謝罪会見-「部活マフィア」の狂気の世界)


 次に思うのが、自分に縁のないスポーツ系の人たちに遠慮があるというのなら、理系の人たちにはもっと遠慮があるんじゃないかということである。

 あなたがもし文系だとして、スポーツ部に遠慮したり距離を置いたりする気持ちがあるのなら、理系にはもっと何も言えない気持ちになるのではあるまいか。

 スポーツ系の人たちが言うことはまだしも理解できるが、理系の人が言うことはサッパリ理解できないというのは、文系にとって普通のことのような気がする。

 逆に、もし理系に対して林理事長がグイグイ行けていたというのなら、スポーツ系に対してそうできなかったというのは面妖である。

 しかも林理事長は、文筆家として世間的知名度や威信があるはずなのだ。

 それをもってしてもまだスポーツ系に遠慮や距離感、アンタッチャブルな気持ちを持ってしまうというのは、現代日本の非常に興味深い面を映している。

 つまり現代日本において、スポーツというのは異様な威信を持っているのである。

 「スポーツはペンよりも強し」と言うべきか、はたまた「むかし軍閥、いまスポーツ閥」とでも言うべきか……

 しかもその威信は、ところもあろうに「大学」という最高教育機関にさえも浸透している。

 大学って、当然ながら最高度の教育を受ける・施す場所である。

 そこにおいてスポーツは、当然ながら余技に過ぎない。

 学問に比べれば、当然に第二線の地位にあるべきだ。

 ところがそれが、世間的威信があるはずの理事長でさえ手を出せない(出したくない)聖域と化している。

 これはやっぱり、昔で言う軍閥みたいなものではないか。

 そしておそらく、スポーツ閥を改革するにはスポーツ閥の理事長を……ということになると、

 それは「軍部を抑えるには軍部の別の(派閥の)軍人を」みたいな話になってしまうのだろう。

 ではどうすればいいか、という話になるが――

 むろん特効薬などないが、いっそ「ノーベル賞受賞者の理系の人」を理事長に据えてはどうかと思う。

 それは別に、日本大学出身者でなくてよい。

 とびきりの業績があり、スポーツに特に関心も引け目もなく、軍閥スポーツ閥に遠慮する心理的要素のない人であれば――もちろん精神的な強さはいるが――よい。

 とにもかくにも、問題は日本大学だけではなく……

 日本全体に蔓延するスポーツ賛美、それによるスポーツ閥の跋扈、これが現代の宿痾というものではなかろうか。