インターネット上のポルノコンテンツを延々と見続け、麻薬のごとくそれに中毒・依存してしまう……
それはインターネット登場からあまり間を置かず(?)出現した症状だと思うが、今でも間歇的に(それこそネットニュースの)記事になる話題である。
(⇒ 毎日新聞 2023年8月7日記事:「やめたくてもやめられない…」 実は深刻なネットポルノ依存)
このネットポルノ依存というのは、あらゆる依存症の中でも――特に男性にとっては――最も身近で陥りやすいものだというのは、衆目の一致するところだと思う。
それはもしかしたら、超有名なギャンブル依存症やアルコール依存症の患者数さえ凌ぐかもしれない。
今も日本中・世界中で、ネットポルノ中毒者が延々とエロ画像を見ている。
それが人生の9割を占めるとか人生が破綻するとまでは行かなくても、「空いた自由時間」はネットポルノを見ることに費やしている(費やしたい)という人は、万人単位でいるだろう。
しかしこれ、何もポルノに限った話ではない。
おそらくこのネットポルノ依存症さえ上回るのは、ネットゲーム依存症である。
隙さえあればネットゲームをせずにいられない人というのは膨大な数に上り、もはやそれは世界の巨大産業と言ってよい。
いや、これをも上回るかもしれないのは、ネットニュース依存症である。
いったい世の中で、とにかく隙さえあればネットニュースを見ずにいられない人というのは、何百万人いるのだろうか。
どうも「ネットを見る」「ネットを介して何かを見る・やる」というのは、人類にとって史上最も相性が良く、史上最もツボにはまる行為のようなのだ。
これは、皆さんも感じていることだと思うが――
かつて「本を読む」とか「社交をする」、それどころか「セックスする」とかに向けられていた人間の営為――「テレビを見る」ことさえも含まれる――とかは、そのほとんど全てがネットを見ることに吸収・強奪されてしまった感がある。
いったいスマホという機器でネットを見ることが、どうしてこれほどまでに人類を惹きつけて(そして離さないで)やまないのか。
このスマホ=ネット快感の前では、セックスの悦びや快感でさえも太刀打ちできない。
いまや日本人をはじめとする人類の多くの部分が、最も悦びと安らぎを感じるのは――
人と交わるときではなく、スマホを見ているときではないだろうか。
それどころか人と交わるなんて面倒やリスクばかりが感じられ、例えて言えば「舌打ち」に値する行為ではないか。
そんなヒマがあれば、少しでも一人きりでネットゲームやネットニュースやネットポルノを「楽しむ」方が、はるかにホッとするのではなかろうか。
それはもう、スマホを見るのは「人権」の域にでも達するかのような勢いである。
しかし、だからと言ってネット依存を非難したとすれば、特に「ネットゲーム勢」からは叩かれるのがオチである。
今までゲームの悪影響を非難してきた人たちは、全てそうやって叩かれてきたものだ。
あらゆる依存症患者は、自分が依存しているとされるものが害悪だとか悪影響だとか言われれば、猛然と立ち上がって反論する。
しかし私には、ネットポルノ依存もネットゲーム依存もネットニュース依存も――
アヘン中毒やタバコ依存・アルコール依存などなどと、全て同列の依存症だと感じられる。
よってアヘン中毒が悪ならば、ネットゲーム依存も問題なく悪だと思う。
私見では人類のネット依存は、全てとは言わないまでも人間社会の「悪化」の原因・底流を成しているように感じられる。
少子化も「恋愛離れ」も貧富の格差の拡大も、その根底には人間のネット依存がある――
と考えるのは、たぶん私だけではないだろう。
しかしもはや世の大勢は、「人類総ネット中毒」みたいな状態になっている。
はたしてこの状態が西暦何年まで続くのか、「中世・近世・近代・ネット時代」の次に来るのは何時代なのか、誠に皆さんも興味津々ではなかろうか。