プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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志村けん、コロナで死去…「この人はいつどうやって死ぬ」と過去の自分が知っていたら

 新型コロナに罹患して闘病中だった志村けんが、3月29日11時30分に亡くなった。享年70歳。
 3月17日に倦怠感を覚えて自宅療養入り、20日に病院搬送、23日に新型コロナ陽性反応、
 21日は既に人工呼吸器を着けたが、そのとき麻酔で眠ってからは意識がなかったという。
 自覚症状が出てから死までがあまりに急速で、こんなことがイタリアなどでは毎日何十人・何百人にも起こっているのだ。

 さて、これは誰でも思っていることだと思うが、志村けんと言えば「ドリフターズで最後に入ってきて、最も出世した男」である。
 たぶん「荒井注」という人の名は、「志村けんの前にいた人」という知識しかない人が大部分を占めるだろう。
 私も「8時だヨ!全員集合」世代で、あの有名な「停電事件」もテレビで普通に見ていた記憶がある。
 そして志村けんは、子ども時代の私にとっては、最初に認識した面白すぎる「お笑い芸人」(と、当時は言っていなかったと思う)であった。
 ドリフ時代、加トちゃんけんちゃん時代、そして顔面白塗りのバカ殿姿……
 今回の突然の死去の報を受けて、自分が子ども時代の記憶を(ブラウン管のテレビがあった昔の自宅の情景を含めて)思い起こした人も何百万人もいたのではないか。

 そこで思うのは、1980年代の当時、ブラウン管テレビの前で笑って志村けんを見ていた子ども時代の自分に――
 「この人は、2020年3月29日に新型コロナという病気で70歳で死ぬんだよ」
 と教えてあげたら、どうだったろうという想像だ。
 未来を知ることは、必ずしも良くも幸せでもないと言われる。
 そんなことを言われたとしたら(そして信じることができるとしたら)、やはり当時の自分は、志村けんをそういう目で見てしまうだろう。
 心からは笑えないだろう。
 そしてやはり、これからドリフやバカ殿の過去の映像を見るときは、まさにそうなってしまうだろう。
 
 プロレスファンであれば、三沢光晴の過去の試合を見るとき、
 「ああ、この人は2009年6月13日に広島での試合で死んだんだ。死ぬことになるんだ」
 と必ずや思うに違いない。それと同じことである。
 
 「見習い」から「日本の喜劇王」とまで言われるようになった、まるで太閤立志伝のような人生は、芸能生活50周年を迎えた年に、ある意味これ以上ないほど劇的な幕切れを迎えることとなった。
 何百万人もの人に、何十年も前の自宅や学校での光景を追憶させて――