「『嫌韓』ではなく『断韓』だ」
「厄介な隣人にサヨウナラ」
この反応を見て同誌編集部は、「誤解を広めかねず配慮に欠けていた。お詫びする」と謝罪した。
言うまでもないことだが、今回の週刊ポストの例は氷山の一角である。
表紙や見出しの文章も、今回の週刊ポストと同程度かさらに強い調子であって、それが通常運転みたいなものだ。
そして、これも言うまでもないことだし、このブログでも何度か書いてきたが――
出版社というのは、もちろんのこと営利企業である。文字どおり「出版業者」である。
そこらのどこの会社や業者とも同じように、売れなきゃ話にならないのだから、いかにも売れそうな商品を(便乗してでも)出そうとするのは当たり前のことだろう。
だから私は、こういう記事を書くなとは言わないし思いもしない。
しかし、他業種の業者がどんな商品を出した場合とも同じように、別にそれに付き合って買う義理もないと思うのである。
そしてこれが、
これはどちらが正しいというのではなく、それこそこの二つが相互作用しているのだろう。
もちろんこういう本を買うのは、「こういう記事を読みたい人たち」である。
反韓の人が親韓の本をわざわざ買って読むなんて、まずあり得ない話だし――
人は自分の好みでない意見の記事を読むなんてことはせず、自分が好む意見の記事こそ読みたがる。
決して公平な裁判官のように両方の意見を読んでみようということはなく、自分の意見を強化してくれそうな意見だけを選んで読むものである。
それが、世間一般の普通の人間というものだ。
ある意味これは、エロ本にも似ている。
この9月1日から全国のコンビニでエロ本コーナーが撤去されているはずだが――
その代わりと言っては何だが、こうした「思想的活字エロ本・エロ雑誌」というのは、普通に書店に氾濫している。
たぶんこれは、ライトノベルならぬ「ライト(右派)マガジン」とでも言うべきなのだろう。
もっとも、かつては岩波書店の「世界」なんかが左派の知的エロ本として売れていた時代もあったのだろうから、これはどっちもどっちである。
ところで皆さん不思議なのは、「反韓も親韓もどっちの意見も両論併記する」雑誌が、とんと見当たらないことではないだろうか。
そんなことは、いとも容易くできそうに感じられる。
しかし、実に簡単に見えるこんなことが、まず行われないところを見ると――
両論併記的な本や雑誌というのは、つくづく庶民に人気がないのだと思わざるを得ない。
たぶん世の中の人は、想像以上に「どっちつかず」というのが嫌いなのだろう。
そして実際、そういう本は片方に偏った本より、目に見えて売れ行きが悪いのだろう。
庶民の好みがそういうものである以上、ここ当分の間はライトマガジン・ライトブックの多量出版は続くと思われる。
そしてまたいつの日か、レフトマガジン・レフトブックの時代が戻ってくるのだろう……