8月12日、高円宮家の3女・絢子(あやこ)さまが、日本郵船の男性社員32歳との婚約式(納采の儀)を行った。
これはもうほとんどの国民が思ったろうが、同じ皇族でも秋篠宮眞子さまと比べれば、何という残酷なまでのコントラストだろうか。
眞子さまと結婚するはずだった “海の王子様” 小室圭さんは、アメリカで弁護士資格を取得するためとか言って3年間の留学の旅に出た。
メディアに登場した当初は全く「素敵な王子様」扱いだった彼も、いまや「国民的問題児」みたいな扱いである。
そして絢子さまと言えば、イギリス留学中には少々“おイタ”や“ご乱行” めいたことがあったので有名な王女様だ。
対する眞子さまは、これとは対照的な “理想の清純派” としてしばしば賞賛の的になってきた。
(もちろん、美人だからである。)
ところがここに来て、このはっきりと明暗分かれる婚約の成り行きぶり……
このことではっきりわかるのは、(やはり)天皇家もそんじょそこらの普通の家と全然変わらないのだ、ということである。
「あの家のあの娘は……」などと近所に言われる(いささか評判かんばしからぬ)娘が、意外な良縁を得て順調な人生を歩む。
その一方で「あんないい娘が」と言われる方は、なぜか男運が悪くてイバラの道を行くような目に遭ってしまう。
こんなことは、日本中のあらゆる家庭でごくありふれたコントラストである。
当然ながら天皇家と言えども、その例外であるはずがない。
しかしむろん、こんなことは戦前ならばなかったことだろう。
(あったとしても、一般国民が知ることはなかっただろう。)
眞子さまももし戦前に生まれていれば、海の王子様なんて人と恋愛結婚したいなんて夢にも思わなかったのではないか。
だがこれも、 “開かれた皇室” を目指した以上、避けることのできなかった結果である。
家庭を世間に開くなら、こんなことくらいごくごく普通に起こりえるし、世間にも知られてしまうに決まっている。
いまや天皇でさえ「最高ランクの芸能人・有名人」みたいな扱いをメディアでされていると思うが、それはもう当然の成り行きなのだ。
いや、戦争に負けたからと言うよりも――
そもそも明治維新で皇室まで欧米化を進めるようになった時点で、今日のこの扱いは決まっていたと言っていいかもしれない。
たぶん「明治維新=欧米化」は皇室にとって、それを食わなければ当面は生きていけなかったが、いずれ後遺症がでてくる類いの毒まんじゅうだったのである。
現人神の一族から人間へ、そして「高級芸能人一家」へ……
皇室が22世紀も存続できるかどうかは、ひょっとするともう一度大戦争でも起こることにかかっている、と思わないでもない。