さて、聖職者の腐敗堕落と乱脈・贅沢ぶりは、何も日本に限った話ではない。
しかし今回の富岡八幡宮殺傷事件(身内の殺害)については、明らかに根本的な原因がある。
それはもちろん、「宗教(聖職者の地位)を世襲しているから」というものだ。
そうでなければ実の弟が姉と長年いがみ合い、ついには姉を殺害し――
自分自身も妻を刺し殺し、自らの胸と腹を突いて死ぬなどという、まるで戦国武将のような最期を迎えることはなかったろう。
私は思うのだが、放蕩乱脈を極めた観のある弟・茂永はもちろんのこと――
長子さんもまた、代々宮司の家に生まれていなければ、神社の神主になろうなんて夢にも思わなかった人ではないだろうか。
そういうのが宮司になったり、生まれつきの宮司後継者候補になったりするのだから、いつか宮司に向いてない人が宮司になっちゃうのが当たり前なのだ。
しかし、こんなことはバカでも誰でもわかることなのにもかかわらず――
それでも日本人は(アジア人は?)世襲を支持し、愛着を持っているのである。
神社の神主どころか、政治家や会社経営者まで世襲である「べきだ」とさえ思っているのである。
(当の世襲家系の人たちがそう思いたがるのは完全に理解できるが、赤の他人までそう思っている。)
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たとえば、「ビル・ゲイツが自分の子どもをマイクロソフトの後継者に指名した」などと聞いたら、あなたはどう思うだろうか。
「故スティーブ・ジョブズが、自分の子どもや親戚をアップルの後継者にするよう遺言していた」などと聞いたらどうだろうか。
そんなことはまずは想像できないし、もし本当にそんなことがあったとしたら、まず間違いなく株価は急落しそうである。
思えば、あれほど司教だの牧師だのが「実は幼児姦の常習者だった」とニュースが流れるキリスト教会さえも――
あれほど教皇や教会が腐敗堕落して権勢を振るっていた中世でさえ、(少なくともおおっぴらには)その地位が公然と世襲されることはなかった。
これは「何となく」の感想に過ぎないのだが――
これってやっぱり、なぜ西欧が他の社会を差し置いて近代化し世界制覇を成し遂げたかの主要要因になっているのではないだろうか?
今回の殺傷事件はいささか極端だとはいうものの、しかし世襲の末路とは得てしてこんなものである。
世襲が「当然」で「美しい」と感じる土人の国は、いずれ似たようなことになる。
一つの家系なんて狭すぎるリソースから人材を供給しようとすれば――
そうでなく広く人材供給源を持つ競争相手に負けるのは、(やや長い目で見れば)わかりきったことだ。
こんな時代でも、金銭欲・物欲よりも純粋な信仰の方が大事と思う人間は絶対にいる。
別に神主の家に生まれなくたって、神社で神に祈りを捧げたい(氏子のために尽くしたい)と望む人間は何人もいる。
(確かに、珍しい部類ではあるが……)
神社界は、そういう人材を広く集めて(求人して)採用すべきである。
いい意味で「企業化」すべきである。
もちろん同じことは、いまだ世襲が「当たり前で、美しい」と国民に思われている歌舞伎界にも言える。
だいたい、かつては囲碁界も将棋界も「名人」は世襲だったのだ。
今ではそれが正しいと思う人はいないはずだが……
(それがいまだに正しいと思われていれば、永世七冠になった羽生善治(はぶ よしはる)なんて人を見ることはなかったかもしれない。)
だったら神社界も歌舞伎界も、もちろん政界もビジネス界も、世襲が正しいわけがないではないか?