ホリエモンこと堀江貴文氏が、「保育士の給与が低いのは、誰でもできる仕事だから」とコメントして物議を醸している。
もちろんこの人は物議を醸すためにこういうことを頻繁に言う人なので、反応を示すことこそがこの人の思う壺である。
(別に思う壺になったっていいのだが。)
ちなみに「保育士の給与が低いのは、誰でもできる仕事だから」と呟くことは、それこそ誰にだってできる。
しかしそこらの人たちが呟くのと違い、ホリエモンが呟けばニュースになる。
これはどういうことだろう。
誰にでもできることをしていながら、それを誰がやったかによって世間の注目度は(ニュース価値は)雲泥の差が付く。
これは当たり前のことと見なされているが、しかし不思議なことである。
「日本人は話の内容ではなく、誰がそれを言ったかによって重要度を決める」との嘆き節はよく聞くところであるが、これは日本人に限った話ではなく世界中の人間がそうなのだろう。
さて、「誰でもできる仕事だから給与が低い」というのは、非常に理に叶った当然の論に感じられる。
ホリエモンの言っていることは、真実でありド正論に思える。
しかしここでよく考えてみれば――いや、たいして考えなくても――、
世の中の仕事って、誰でもできることばかりである。
総理大臣やその他大臣だって、誰にでもできる。その地位にありさえすれば「やった」ことになるからだ。
(もっと言えば天皇だって、誰にでもできる仕事である。天皇でありさえすればいいのだから。)
そういえば会社の社長だって、それもかなりの大企業の社長だって、誰にでもできる仕事だろう。
だって実際、世襲で社長になっている人が日本中にはゴマンといるのだから……
そしてまた「株式投資」も、誰にでもできることである。
なのに大儲けして世界的に有名になる人がいる反面、大損して首をくくる人もいるのはなぜだろう。
一方、IT技術者って明らかに誰にでもできる仕事ではない。
それなのに「IT土方」とIT技術者自身が自嘲するように、そんなに高くない賃金で延々と仕事している人たちも多数に上ると言われている。
また、量子物理学者となると世界でもごくごくわずかな人数しかできない仕事に決まっているが――だからその給与だの稼ぎだのはべらぼうに高くて当然のはずだが――、文学部だの社会学部の教授と比べてそこまで高い給与だろうか。
誰にでもできる仕事なのに、他人よりはるかに高い稼ぎを得ている人がいる。
誰にでもできるわけない仕事なのに、他人とそんなに変わらない稼ぎしか得られない人がいる。
(ひょっとしたら、失業してる人だっている。)
保育士が誰でもできるから(私にはできそうもないが)給与が低いというのなら、総理大臣や会社の社長や管理職だって時給800円くらいでいいはずなのだが、しかし現実はそうなっていない。
世の中は、不思議に満ちているものである。