プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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三原じゅん子と“池上無双”―「神武天皇実在論」はトンデモ話なのか

 7月10日の参院選では、大方の予想どおり与党(自民党)が大勝した。

 そしてテレビ東京の選挙特番で、またも池上彰(65歳)による“池上無双”が展開されたとのこと。

 神奈川選挙区で当選した自民党の中でもガチガチの保守派”三原じゅん子(51歳)から、「神武天皇は実在の人物」とのトンデモ発言を引き出したというのである。

 ハフィントンポスト7月10日記事によると、そのやりとりは次のとおり。

 

(引用開始)*******************************

――先ほどのVTRの中で、神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らないといけないとおっしゃってましたね。どういう意味なんでしょうか。明治憲法の方が良かったということでしょうか?

  全ての歴史を受け止めて、という意味であります。

――神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?

  そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。

――あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?

  神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います。

――神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?

  はい、そうですね。

(引用終わり)*******************************

 

 そして日刊ゲンダイ7月11日記事は、「三原じゅん子を一刀両断 池上彰氏の“無双ぶり”今回も炸裂」と題して、これを次のように報じている。

 

(引用開始)*******************************

 “池上無双”はこの日も健在だった。
 10日に投開票が行われた参院選。各局はエースキャスターが開票速報特番を担当、そんな中、ダントツの存在感を見せたのはやはりテレビ東京系「池上彰参院選ライブ」でキャスターを務めたジャーナリストの池上彰氏(65)だった。

 当選に浮かれる議員や与野党幹部を鋭い質問できりきり舞いさせるのはもはやお馴染みの光景。

 (中略)

 また、自民党内きっての保守派である三原じゅん子(51)に対しては憲法問題と歴史認識に関する質問を浴びせ、古事記日本書紀に登場する神武天皇が“実在の人物”だとするトンデモ発言を引き出したりと、化けの皮を剥ぎまくったのだった。


(引用終わり)*******************************


 天皇家初代の神武天皇以下、第8代までは架空の存在とするのが一応の定説である。(「欠史八代」という。)

 そして古事記』『日本書紀』とは、天皇家の権威と正統性を証するため当時の朝廷がデッチ上げた造作だ、というのが一応の雰囲気になっている。(私はあえてこう書く。)

 とはいえ「神武天皇実在論」というのは、日刊ゲンダイが書くほどのトンデモ発言なのだろうか。

 それを口にする人間は、「化けの皮を剥がされまくった」ことになるのだろうか。

 また池上氏は、そういうトンデモ発言を引き出そうと意図して質問したのだろうか――そして、その目的を達して内心ニヤリとしたのだろうか。


 天皇家の初代が誰であるか、どこの何者であるかは、日本古代史の大きな謎である。

 それは第10代の崇神天皇であると言う人もいれば、第26代の継体天皇だと言う人もいる。

 だがそうでなく、誰かはわからないがもっと昔に初代天皇(大王=おおきみ)がいたはずだ、という説もむろんある。

 とにもかくにも、初代天皇というものは絶対にいた。

 その初代天皇をとにかく神武天皇と呼ぶのだとすれば、神武天皇は絶対に当然に実在した、と言ってもよいくらいだろう。


 私は“池上無双”をテレビで見たことは一度もない。(そもそも地上波番組をほとんど見ない。)

 たぶん知識豊富で話術も巧みなのだろうとのイメージを持っているだけである。

 三原じゅん子氏についても政治家としての彼女の名前しか知らず、その前身の歌手・女優時代(カーレーサーまでやっていたようだ)は全く知らない。書いたものを読んだこともない。むろん弁護したり肩を持つ気も全くない。

 しかし同時に、「神武天皇実在論」をトンデモ論と片付けようとも思わない。

 それは充分に可能性のある論であり、それどころかたぶん史実を伝えているのだろうとさえ思っている。


 むろん私は、神武天皇の即位が紀元前660年であるなどということが史実に近いと思っているわけではない。

(『日本書紀』の記述を西暦に換算するとそうなるらしい。)

 そして三原じゅん子氏も、そんなことを信じているのではないと思う。

 これは昔から言われていることだが、もし『古事記』『日本書紀』の大部分(特に前半部分)が造作だとすれば、なぜ天皇家の祖先が九州から近畿に来たと“設定”することになったのだろう。

 いわゆる「神武東征」では、神武天皇ら皇室の祖先は「日向」から近畿地方に向かい、征服を遂げたとある。

 この「日向」とは旧国名の「ひゅうが=宮崎県」とは限らず、「ひむか」と読んで宮崎県以外の地に比定する説もあるのだが、いずれにしても九州のことである。

 そこから瀬戸内海を経て、神武軍は大阪湾から近畿への上陸を図る。

(当時の大阪湾は今よりずっと内陸に食い込み、貫入湾の様相を呈していたらしい。今の大阪平野は海だったのだ。)

 しかしそこで先住勢力にいったんは撃退され、神武の兄2人も戦死してしまう――

 そう、神武は初めから王として軍勢を率いて出立したのではなく、ここで初めて軍団の長となるのである。

 そして神武は大阪湾への突入を断念し、南に迂回して紀伊半島に上陸する。

 驚くべきことにそこから陸路で北上して近畿に侵入、ついに征服を果たす。

 「紀伊半島を縦断して近畿に侵入、征服を果たす」――こんなことをやってのけた例は後にも先にもない。

 紀伊半島と言えば今でさえ人の頭に浮かぶように、深々とした森と山岳の地帯である。(グーグルアースで見てみればいっそうその感を強くする。)

 こんなところをある程度の数の軍勢が陸路で進み、征服戦を成功させてしまうなど、はっきり言って信じがたい。

 私が『古事記』『日本書紀』は造作ではないかと最も感じるのは、まさにこの部分である。


 いや、しかし、それゆえにこそこれは史実なのかもしれない。

 人口希薄な当時(それがいつのことだったかはわからないが、西暦元年~400年の間と見ておけば確実だろう。)にあっては、後代では/現代では想像もできないようなそんな行為が可能だったのかもしれない。

 そしてこれが事実なら、「まさかそんなところから攻めてくるとは」という、今風に言えば完璧な“戦略的奇襲”であったことになるだろう。


 それにしてもなぜ、天皇家の祖先は九州から来なければならなかったのか。

 『古事記』の成立は西暦712年、『日本書紀』は720年。

 むろんこの頃の大和朝廷天皇政権)の所在地は、もうずいぶん前から近畿(今の奈良県)にあった。

 だったらなぜ、“大昔から、天地の開けたときから”天皇家は近畿にいたのだ、としなかったのだろう。

 せめて、今の京都府滋賀県あたりからやって来たことにすればよかったではないか――どうせデッチ上げなのなら。

 しかしそうしなかった最も合理的な原因は、“天皇家の祖先は九州から来た”ということが、貴族から庶民まで誰でも知っている(そう記憶している/言い伝えられている)事実だったからではないだろうか?

 “我々は最初から近畿にいた”とウソを書いたところで、却って「何を言っているんだ」とバカにされるからではなかったろうか?