ここで一つ、シミュレーションをしてみよう。
もし公立の保育園が初めから一つもなかったとしたら、あるいはこれから全て廃止するとしたら、どうだろう?
国も自治体も保育園など作らない。
しかし「働いている間、小学校進学前の子どもを預けておきたい」ニーズはある。
あるいは「保育園(のようなもの)に子どもを行かせるのが当然だ」という意識がある。
そうなると、当然のこととして民間がその需要を満たそうとするのではないか?
私は常々思うのだが、そしてみんな思っていることと思うが、コンビニって全国の津々浦々によくもまああんなにあるものである。
しかもそれらはけっこう広い、良好な立地にあるのが多いように見える。
ああいうのはほとんど全て借地に違いないが――
もし公立保育園が一つもなく、民間が業として保育園を設置する世界であったなら、
あれらの土地のうち、かなりの部分がコンビニでなく保育園に貸し出されていたのではないだろうか?
地主にしてみれば、コンビニだろうと保育園だろうと、賃料はじめ条件がいい方に貸すだけの話である。
コンビニ用に貸すのなら、保育園用に貸さない理由はそんなにないように思える。
(保育園が子どものうるさい迷惑施設だと言うなら、コンビニだって不良の溜まり場になりやすい/車の出入りの激しい迷惑施設と言える。)
そしてどうせ親は子を車で保育園に連れて行くのだから、別に街中の立地でなくてもいいはずだ。
あるいは人は、「保育事業は金額的に引き合わないので、民間が全ての需要を満たすことなどできない」と言うかもしれない。
特に田舎ではそうだ、と言うかもしれない。
そう言えば「公立の保育園を民営化する」話になると、絶対に反対の声が大きく上がる。
役所のやることなど全て民間に劣る/公務員は全て民間労働者に劣る、という一般通念があるにもかかわらず、まるで保育園・保育士だけは例外であるかのようである。
しかしもちろんそんなことはなく、民間保育士が公務員保育士に全般的に劣っているなど考えがたいことだろう。(だいたい民間保育士に失礼だ。)
たぶんあの反対の声というのは、「公立が民営(私立)になったら保育料が上がるのではないか」――つまるところ公立は私立より安くつく、という前提に基づいているものと思われる。
だが、もしその前提が正しいとすれば、それは自分以外の誰か(=赤の他人)が差額を負担しているのである。
本来ならもっとカネがかかるところ、無理矢理よそからカネを持ってきて穴埋めしているのである。
そういうことを「すべきだ」と言うのは、むろん民間の市場原理を否定することになる。
もちろんそういう意見があってもいいが、だったら「公立は民営を見習え」などとは口が裂けても言ってはならなくなるだろう。
なにせ、儲からない(コストの方が上回る)とわかっている事業を、自分で「すべきだ」と言っているのだから……
シミュレーションでなく実際的な提案をするなら――
待機児童問題に悩んでいるという大都市圏に限ってでも、民間保育園の参入要件をより低めてはどうだろう。(ここら辺、私は詳しくなくて申し訳ないが)
需要があるのはわかっているのだから、全部が全部とは言わないまでも1社くらいは経営が成り立つと思うのだが。
それとももしかして、預ける親の方には「やっぱり公立じゃなきゃダメ」という(保育園より上の学校とは全く逆の)ブランド信仰のようなものがあるのだろうか? だから民間保育園ってあんまり見かけないし、その参入を促進しろという意見もほとんど聞こえないのだろうか?
もし本当に「やっぱり民間より公立が信用できる(=上だ)」との意識があるなら、それはこの日本社会の中で極めて珍しい例外ということになってしまう。
そしてここでも、大学との共通点を見る。
東大・京大・阪大などの国立系が(早稲田・慶応などという例外はあっても)たいていの私立大より「上」だというのは、日本人の共通認識だからである。