プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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親が子を保育園に行かせたい理由:大学との共通点

 ところで、保育園は義務教育ではない。親は子を、保育園に行かせる義務はない。

 しかし親は子を「保育園に行かせたい」のである。

 実際、「自分は仕事があるからやむなく子を保育園に預ける」のではなく、「子を保育園に預けたいから、そのタイミングに合わせてわざわざ働きに出る」人も多いのではないかと思う。

 そうなると「保育園も義務教育にすべきだ」という声が出るのも当然だろう。

 もともと保育園(保育所)とは、親が働いているなどの理由で“保育に欠ける”子を預かる場だった。

(しかし近年、保育に欠けていなくても入所できる「保育所こども園」ができた。)

 だが今現在、「保育園には当然行かせるもの」というのが全国の親の共通認識――大都会でも田舎でも――になっていると思われる。

 これはどうも、大学の場合と似ているようだ。
 
 きょうび、わが子が「大学に行かない人生」を想定している親というのは、全体の1割くらいではないかと思われるからである。


 では、なぜ親は、義務でもないのに子を保育園に入れたいのだろうか。

 その理由として親たちが口を揃えて挙げそうなのは、「集団生活に慣れさせたい」「小学校に上がったときの友達を作らせておきたい」というものだろう。

 私は「集団生活に慣れる」だの「友達を作る」だのといったことを頭からバカにする人間なので、決してそういう理由に共感しはしない。

 しかし、そうでない人間の方が圧倒的に多いだろうことはわかっているつもりである。

 また同時に、そういう理由であるならば、多くの人が保育園の代替案として提示する「ベビーシッターの活用」など、絶対に親たちに選択されないことも予想できる。


 そしてもう一つ、本人たちがあまり言わない理由もあるのだろう。

 と言うのも、「ずっと家にいて子どもの面倒を見る」というのは――

 現代の親にとって望むところどころか「非人間的な苦行」、「避けたい人生」、「社会が引き受けて然るべき負担」、

 と受け止められているように思えるからだ。


 私は親がこういう風に思うのを、別に批判するわけではない。

 私が親だったら(母親だったら)、やっぱりそう思いたくなるだろうと想像できるからである。

 よって、「働いている間に子どもを預けておきたい」ニーズに応えるのは――「応えるべきだ」と国民に見なされるのは、やはり保育園しかないことになる。

 しかし、新規の保育園設置は(資金的にも立地的にも)非常に困難なこととされている。

 そもそもこれから少子化が進むのはわかっているのだから、いずれ過剰設備になる施設を新たに作ろうなんて国も自治体も思わないのは、むしろ健全な判断というものだ。

(どうせ一度作ったものは、そう簡単に潰せないのである。しかも住民・利用者の願いによって、だ。)