プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ハンコ主義・紙決裁・対面主義は「道徳」の問題である

 コロナ禍でテレワークがようやく広まりを見せたのと平行し、

 日本の「ハンコ主義」「紙決裁」などが、もう何度目か厳しい批判に晒されている。

toyokeizai.net




 今どき「ハンコで」「紙で」「出頭・対面して」仕事を進めるなんてこと――

 「もちろん」誰でも、遅れてると言うに決まっている。

 しかし、内心はそうでもないだろう、というのがこのたびの記事の主題である。

 つまり、実は日本人の過半数くらいは、

 本当はハンコで紙で出頭・対面して仕事を進めることが「あるべき姿」だと思っているのではないか

 という疑問の提示である。

 もっともこの件については、これまでもこのブログで複数回すでに書いてきている。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 繰り返しを気にせずに言うと、とどのつまり日本では、

 「決裁書類を紙で作って紙で持っていき、口頭で説明してからハンコをもらう」

 というのが、単なる仕事の流れに留まらず、もはや確固たる「道徳」なのである。

 単にメール(電子的手段の総称をこう言っておく)で流して決裁してくれというのは、

 許しがたいほど無礼でカチンとくる、不道徳かつ反社会的かつ非常識な所業なのである。


 あなたもこれには、ピンとくるのではないか。

 そういう風に決裁を流したらたちまち怒るだろう人・不快に思うだろう人は、あなたの職場にウヨウヨいるのではないか。 

 そう、これはビジネスにおけるスキルだのスキームだのマナーだのという問題ではなく、人間の「道徳」という根源的な問題である。

 そしてこの意味でいう「道徳的な人間」は、日本人の過半数くらいは占めているのではあるまいか。

 ハンコ主義も紙決裁も対面主義も、根本的にはこのような道徳観に支えられている。

 メディアではハンコ主義は批判の的だが、

 実のところメディアに出ない草の根のサイレント・マジョリティは、ハンコ主義ほかを精神的に支持している(捨てられない)可能性が多分にある。


 だから、もし本気でハンコ主義ほかを廃したいなら――

 それにはハンコ主義ほかを「遅れた封建土人道徳」と決めつけ、

 バカにし、

 そんなことだから世界との競争に負けてしまう「国賊」行為である、

 とする風潮を広めるしかないのだろう。

ろくでなし子「女性器裁判」敗訴-わいせつ関連罪廃止論

 漫画家・芸術家の「ろくでなし子」氏(48歳)が、自分の女性器の3Dデータを作品支援者に頒布したとして逮捕された事件で――

 7月16日、最高裁はろくでなし子氏の上告を棄却して罰金40万円の有罪判決を確定させた。

 なお、自分の女性器を芸術作品としてアダルトショップに展示した「わいせつ物陳列罪」については、1審・2審どおり無罪であった。

www.bengo4.com




 敗訴したろくでなし子氏側は、この判決を「古くさい価値観から抜け出せない、時代錯誤の判決」と批判している。

 しかし私は、時代錯誤というより――

 そもそもこれが刑法に規定するような犯罪なのか、ということからして、常々疑問に思ってきたものである。

 私は「女性の乳房」というのも充分に扇情的なわいせつ物だと思うし、少なくとも公然と街中に陳列するようなものではないと思う。

 だがもちろん、街中の銅像にはそんなのが普通にあるではないか?

 女性器の街中陳列がダメなら女性の乳房もダメだと思うが、なぜかそうはなっていない。

 これは特に、イスラム世界の人などには大いに疑問な(そして西欧流に腐敗したと決めつけられる)ところだろう。


 しかしそれとは別に、なぜ「希望者に女性器(3D)画像を配る」のがダメなのだろうか。

 希望もしてない人に送りつけるのは、もちろん犯罪である。

 だが、希望してきた人に渡すのが犯罪だというのは、なぜなのだろう。

 これがダメなら、存在自体がわいせつ物であるはずのエロ本・エロビデオ・エロ動画を売ることも犯罪のはずだ。

(もっとも、こういうのを全て犯罪にしてしまいたい人は多いだろうが……)


 そして、「なぜこれが犯罪になるのか、逮捕されるのか」と思う「犯罪」は、他にもある。

 その代表が「乱交パーティ」というものである。

 これももちろん、乱交パーティに強制参加させるのが犯罪なのは言うまでもない。

 しかし、集まりたい人だけが集まって乱交するのが、なぜ犯罪なのだろう。

 そんなものを犯罪にしておかないと、人々が「ああ、そういうことはやっていいんだ」と思い、世の良風美俗を壊すことになるからだろうか。

 あなたは、もし乱交パーティが犯罪でなくなったら日本では乱交パーティ参加者が急増し、日本はメチャクチャになってしまうと本気で憂えるだろうか。

 それは、あまりに飛躍した(そして的外れの)感覚だと思わないだろうか。


 私は、今ある「わいせつ関連罪」のほとんどは、廃止すべきだと思う。

 ついでに、あの「モザイク」というのも廃止すべきだと思う。

 そんなのに関わるのは、警察力のムダ遣いだからである。

 他人のパソコン上に強制的に女性器を表示させるのは、犯罪である。迷惑だから取り締まるべきである。

 しかし、見たい人だけがそのページにアクセスして見るのは、何の問題もない。

 それで世の良風美俗が壊されるというのは、実に考えすぎである。

(ヒネくれた考えである、とさえ言える。)


 乱交パーティに無垢な少女を捕らえてきて放り込むのは、許しがたい犯罪である。

 しかし、大の大人でやりたい人だけが自分の意思で参加するのは、何の問題もない。

(ただし、病気の感染という観点からは、やや問題がある。)


 サイバー空間も含め、そんなことを取り締まるのに警察力が割かれているというのは、まさに「国家の費え」ではあるまいか。

 資金と人員の限られた警察には、他にもっと力を入れる領域があるはずである。

 
 そして、もう一つ。

 ハッキリ言って、女性器ごときにそんなたいした――人の心と人生を惑わすような力は、それほどないと私は思う。

 男性器もそうだが女性器もまた、別にそれほどまでの興奮を引き起こすものではなく、むしろ単体ではグロさを感じるだけではあるまいか。

 「若者のセックス離れ・性離れ」が進んでいるとされる現代になっても、なお……

 我々は「性器」というものを、なぜか過大評価しているようだ。

呪われた7月6日-自然災害の主役は「大雨」に、再び「治水」が政治の要に?

 またも、7月6日である。

 2018年(平成30年)の西日本豪雨災害からぴったり2年の今年7月6日、九州地方は大豪雨に襲われた。

 このあまりのタイミングは、もう偶然とは言いがたい。

 7月6日は呪われた日であり、この日の前後には今後も豪雨災害が起こる確率が非常に高い。

 しかもその頻度は、今現在のデータによる限り、「2年に1回」という超高確率だ。

 まるで「7月6日は豪雨災害の日」と、日本記念日協会が制定してもいいほどである。

 日本の災害と言えばナンバーワンは「地震」であるが、いかんせんこれは何年・何十年に一度のこと。

(むろん「大地震」のことである。)


 それに比べれば、豪雨災害の方がはるかに頻度が高いのはもう間違いない。

 おそらくこれから数年で、日本人にとって「最も身近な大災害」は、地震から豪雨ということに意識が変わっていくだろうと思われる。


 さて、ということは――

 これからの防災対策の主役は、豪雨対策ということになるだろう。

 それどころか国政全体の中でも、豪雨対策が主役の一角を占めそうである。

 具体的には河川の氾濫防止のための堤防強化、ダム建設、都市部の排水機能充実、といったものになるだろうか。

 思えば近年、特にダム建設は「ムダ」の象徴であった。

 きっと国民の半分くらいは、「新たにダムを造る計画がある」などと聞けば、すぐさま

「またムダ遣いしようとしている」

「自然を壊そうとしている」

「土建業者が政治家とつるんで儲けようとしている」  
 
 などと直感したはずである。

 
 しかし時代は、ほぼ明らかに「豪雨災害の時代」に入った。

 国民感情というのはたちまち掌返しするところがあるので、

 ダム建設事業というものは、それこそ今年中にでも「それはいいこと・やるべきこと」というコンセンサスを得ることができるだろう。


 だがこれは、そういう「新しい時代」に入ったのではない。

 それどころか、何千年もの大昔に時代が戻ったということである。

 思えば神話時代の中国では、堯・舜・禹という伝説的な帝王がいた。

 彼らのことは現代の日本人にも(特に三国志ファンには)知られているが――

 そのうち舜と禹のやった業績として憶えているのは、「治水」しかない人が99%を占めるはずである。

 それよりもっと遡れば、エジプトの初期ファラオやメソポタミアの人々がやっていたことも、

(ピラミッドや神殿の建設を除けば)

 やはり「治水」であったとしか、我々の大部分は答えられないのではあるまいか。


 それから数千年経った日本で、再び「治水」が国政の中心に戻ってくる。

 その主目的はもはや「灌漑」ではないが――

 氾濫防止・洪水防止という目的は、何千年前と変わっていない。

 
 しかし日本は、いや人類は、さすがにその頃よりはよほど進歩している。

 今回の九州豪雨災害がもし鎌倉時代に起こっていれば、九州では飢饉と疫病で何千人も死んでいただろう。

 2年前の西日本豪雨災害がもし江戸時代に起こっていれば、やはり歴史の教科書に載るような大飢饉になっていたろう。

 それに比べれば今の日本は、昔よりぶっちぎりでマシである。

 
 しかしそれでも、これからの日本は「ウィズコロナ」に加え「ウィズ豪雨」でも生きていかなくてはならない。

 そして言うまでもなく、「南海トラフ巨大地震」と「第2次関東大震災」は、今後何十年の間に絶対確実に起きるのである。