プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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“狂犬大統領”トランプはバカなのか? その2 「ドル高とドル安はどっちがいいのか?」という“愚問”

 いや本当、毎日毎日トランプ大統領の話題は尽きることがない。

 彼はまさに世界最大のニュース供給源になっている。

 大部分のメディアとトランプは対立しているようだが、メディアにとってこれほど汲めども尽きぬネタ元というのは、なかなか得がたいものだろう。

(いや、そうでもないか――ニュースのネタなんて、毎日毎日掃いて捨てるほどあるのだから。)

 もちろんそのニュースの中に、トランプを好評価するものは一つもない。全てがトランプを非難したり馬鹿にしたりするものである。


 つい最近の2月9日には、こんなニュースがあった。

 アメリカのニュースサイト・ハフィントンポストが「複数の関係者からの話」として伝えたところによると――


●トランプ大統領は、午前3時にフリン大統領補佐官(国家安全保障問題担当。軍出身)に電話して叩き起こす。

●トランプは問う。「強いドルと弱いドル、アメリカ経済にはどっちがいいのか?」

●フリンは答える。「私の専門範囲ではないので、エコノミストに尋ねられてはいかがでしょう。」


 なるほどこれはジョークに聞こえる。(このニュースは事実を伝えたものと仮定する。)

 午前3時はともかくとして、なんでこんなことを専門外のフリン補佐官に聞いてくるのかよくわからない。

(しかし、たぶん、フリンは心やすい仲なのだと思われる――トランプにとっては)


 ただ、「強いドルと弱いドル、アメリカ経済にはどっちがいいのか?」という問いは、浅いと言えば浅いし、深いと言えば深い。

 あなたは「強い円と弱い円、日本経済にはどっちがいいのか?」と問われたらどう答えるだろう?

 「円が強ければ日本の輸入産業にとっては良く、円が弱ければ輸出産業にとっては良い」と答えておけばいいのだろうか。

 「それで結局、日本全体にとってはどっちがいいのか」と重ねて聞かれたらどうするか。

 「いいとか悪いとかの問題じゃないんです、適度なのがいいんです」というのは、「答えになってない」と叱られるのではないか。 


 私は、トランプというアメリカ大統領ともあろう者が、「ドル高とドル安、どっちがアメリカにとっていいことなのか?」と人に聞くこと自体――

 世間から“なんてバカなんだ”“この程度のアホが大統領なのか”と嘲り呆れられるだろうことが、“なんとなく”わかる。

 しかし、なぜこれが愚問なのか/なぜこんなことを聞くとバカにされて然るべきなのか、本当にはわかっていない。

 トランプに比べれば日本の安倍首相の方が、「はるかに金融政策に通じている」とされているようだが、その「通じている」レベルがどれだけのものなのかもわからない。

 きっと世間も、大統領や総理大臣が金融工学の本を読んで理解できることまでは求めていまい。しかし、一般常識程度はわきまえておくべきだとは思っている。

 では、その一般常識のレベルとはどのくらいのものなのか?


 これは自戒を込めて書くのだが――

 世の中には、「債券の金利が上がる=債券の値段が下がる」法則を知らない人が(もちろん、いい年した社会人が、だ)たくさんいる。

 まして、なぜそうなのか明確に説明できる人はさらに少ない。

 むろんブラック=ショールズ式についてなにがしかでも知っている人は非常に少なく、理解する人はさらに少ない。 

 経済学や金融工学の本を30秒たりと読んでいられる人が、はたして無作為に選んだ社会人中どのくらいいるものだろうか。

 トランプの「愚問」を笑うことはたやすいが、しかし我々には正真正銘の難問がある――

 それは、「いったい自分は、誰が/どんな人が(大統領などの)政治指導者にふさわしいと考えているのか?」という問題である。

“狂犬大統領”トランプはバカなのか? その1 ニュース化社会に適応した大統領

 アメリカのトランプ大統領が、飛ばしに飛ばしまくっている。

 就任1ヶ月も経たないのに、派手な大統領令やツイッターなどを次々出しているのは周知のとおり――

 その数々はみなさんご存じに違いないので、いちいち書くまい。

 ここで書くのは端的に、「トランプはバカなのか? 狂っているのか?」ということである。


 まず、もともと反トランプの人が「トランプはやっぱりバカである、狂ってさえいる」と言ったり思ったりするのは当然である。

 自分と反対の意見・政策を持つ人に対しては、そういう反応をするのが(いわばまっとうな、ごく普通の)人間というものだ。

 しかし冷静に考えて、トランプが本物のバカで狂人であるというのはほぼ信じられない。

 バカな狂人が世界的「不動産王」になれる、というのは、非常に説得力のない話である。

 ドナルド・トランプとは、「世界人口の半分に等しい富を持つ8人衆」とまではいかないが、大成功したビジネスマンであり事業家である。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 
 そんな人間がモノホンのバカであるなんて、信じる方がバカなのではあるまいか。

 しかしそういうバカなことに、普通の人間は簡単に陥ってしまうものなのもよく知られている。

 「敵を甘く見る」というのは、戦いにおいて最もやってはいけないこと――そんなことをする将軍は負けて当然と思われている。

 そんな話を本で読んだりドキュメンタリーで見たりすれば、百人中百人が「全くだ、そもそも何で敵を甘く見るなんてことができるのか」と感じるものだ。

 しかしいざ、自分自身のこととなると――

 自分と反対の意見を持つ人間に対しては、簡単に「こいつらはバカ」「わかってない」と感じないではいられないのだ。

 おそらくこれは人間の本性であって、ただ超人的な精神力を持つ人だけが、この誘惑を(何とか)免れるのだろう。

 だからこそ「敵を舐めて敗北する将軍」は歴史上腐るほどいたのだろうし、これからも何度でも同じことが繰り返されるに違いない。


 それはともかく思うのは――

 トランプとは、現代という「ニュース化社会」に(意図的かどうかはわからないが)極めてよく適応した大統領だということである。

 ニュース化社会においては、常に最新ニュースだけが重要性を持つ。

 いくら大事な事象だろうと、何日か何週間か経てばもう時代遅れの代物と化す。

 もちろんそれは、マスコミにとってだけではない。我々民衆自身がそう感じるのである。

(だからこそマスコミは、生き残るために最新ニュースを伝えるのに鎬を削るのだ。)

 
 ここ3週間のトランプは、まさに世界の耳目を集めまくっている。世界中にニュースのネタを提供している。

 このニュース攻勢の前には、イスラム国などどこへ行ってしまったのかと感じるほどだ。

 さすが世界的スーパービジネスマンのやり方だ、と感心すべきだろうか?

 少なくともトランプは、「やることが遅い」とか「有言不実行」とか、「ブレている」などという非難だけは受けなくて済みそうである。

 そしてまた――

 最初に超スピードでガツンとやっておく、というのは、ビジネスマン時代からの彼の流儀なのかもしれない。

 確かに、「こいつはマジでやると言ったらやる男だ」と強烈に印象づけておくのは、(ビジネスに限らず)世の中で舐められないための有効な手段ではある。(この点トランプは、意識的にやっていると思う。)

 さらに言えば、これはトランプの年齢にも関係するのかもしれない。

(私は、その人物の行動について、その人物の年齢はかなり大きなファクターだと思っている。)

 トランプは今、70歳。もし大統領を2期やるつもりなら78歳で退任となる。

 その間に自然死するのは、おおいにあり得ることである。

 しかも“暗殺されるかも”という恐れを、結構現実的に感じていることもまたおおいにあり得る。

 自分が死ぬ前に、自分が思っていることを少しでも実行してやろう――

 トランプがそういう焦りに駆られていても、まったく不自然なことではない。

アパホテルvs中国(5) 「社長の見解=会社の見解=従業員の見解」の激ヤバさ

 アパホテル本について、最後に一点。

 アパホテルがその全客室に「南京大虐殺否定本」を置き、中国・韓国などの批判を受けても撤去に応じない――

 という今回の件は、日本のネットユーザーの喝采と支持を受けている。

 「ネットは見るだけで書き込まない」膨大な数の人たちのかなりの部分も、おそらくは同じ感覚を持っているだろう。

 しかし、である。

 本記事(3)でも書いたように、もしアパホテル本の内容が「南京大虐殺の実在肯定」であったらどうだったか。

 「沖ノ鳥島は(中国の言うとおり)『島』でなく『岩』である。よって、日本が沖ノ鳥島排他的経済水域の根拠とするのは無理筋としか言いようがない」などという内容だったらどうだったか。

 果たして今回の件でアパホテルに喝采と支持を送っている人は、「これは言論の自由だ」「民間企業のやることなんだから自由に決まってるだろ」と、同じように擁護・肯定するだろうか?


 また、アパホテルという会社のトップが書いた(自分にとって好ましい内容の)本を、当のアパホテルの全客室に置く。そして撤去しろと迫られても応じない――

 だからアパホテルという会社を支持する・応援するというのは、ものすごく危険なことではないだろうか?

 というのも、アパホテルの社員・従業員全員が、そのトップと同じ政治的意見・歴史意識を持っているわけは絶対にないからである。

 「南京大虐殺はあった(と思う)、日本と日本人はアジア諸国に対して罪を犯した。深々と謝罪しなければならない」と思っている人も、おそらくは何人かいるだろうからである。

 本記事(1)で書いたように、私自身はそんなことは思わない。

 しかしだからといって、そういう風に思う人がいるのを否定はしないしケシカランとも考えない。

 だいたい、人が何かを「思う」ことを止めさせることはできないものだ――たとえどんな鉄の独裁国家であったとしても。

 だって「思う」んだから、しょうがないではないか?
 
 
 言うまでもないことだがアパホテル本は、たまたまアパホテルのトップである“元谷外志雄”氏個人の書いた本である。

 その見解は彼個人のものであって、当然すぎることながら、アパホテル従業員の見解を代表するものでは絶対にない。

 しかしアパホテル本の「内容」と「撤去拒否」ゆえに“アパホテルという会社”を支持するということは、結局その内容も撤去拒否も、アパホテル従業員みんなが支持し・やっていることだと受け止められないではいない。

 もちろん、悪いのはそう受け止める側である。

 社長が自らの思想や政治的・歴史的見解を綴った本を自らの店に置いたからと言って、それが社員・従業員全員の総意であるなどと、受け止める方がおかしいのだし悪いのである。

 だがそういう基準で言えば、世の中は悪い人ばっかであることは、みなさん周知のとおり――


 もしあなたが、アパホテルの従業員だったとする。

 そして「南京大虐殺なんてあったわけないだろ。そんなのは反日プロパガンダに決まってる」と常々思っているとする。

 しかしそこにアパホテルの社長が、南京大虐殺は「あった」とする本を全客室に置くよう命じ、それが騒動になったとする。

 むろん世間はアパホテルを叩きまくる……むろん社長だけではなく、あなたを含むアパホテルという組織(及びその構成員)全体が叩かれまくる。

 当然あなたは「いや違う! 違うよ! オレはそんなこと思ってない! あれは社長個人の意見なんだ!」と言うなり思うなりするだろう。

 それに対する代表的な反応として、「だったら(そんな会社は)辞めればいいじゃん」と書き込まれるのは請け合いである。

(しかし、あなたはもちろん辞められない――でしょう?)

 とはいえネット界には救う神もあり、「いや、これって社長が自分個人の意見を職場を通して押しつけてるだけだろ? 従業員はむしろ被害者じゃないか?」とレスキューの書き込みをしてくれる人も必ずいる。

 そう、もしアパホテル本が「南京大虐殺肯定」の内容だったら、必ずやそういう意見がネット上にたくさん見られたはずである。

 これは社長の横暴であり暴走であり、従業員の思想信条を踏みにじる行為であるとの非難が、たっぷり浴びせられたはずである。


「社長(トップ)の政治的見解が、社員・従業員個々人の見解と同じと見なされる」――

 これは、恐ろしいことである。

 ただでさえ我々は、1人の従業員が何か不祥事を起こしたら、他の同僚従業員が電話やメールで責められまくるという“繋がりという名の鎖”が張り巡らされた社会に生きている。

 アパホテルトップの政治的見解がアパホテル従業員一人一人の政治的見解の代表でも総意でもないことは明らかなのに、アパホテルを応援したいと思ってしまう――

 これを“軍靴の音が聞こえる”という(今では評判の悪い)言葉をもじって言えば、まさに“全体主義の足音が聞こえる”である。


 はっきり言えば元谷氏は、その著書をホテルの全客室に置くなどということはすべきでなかったろう。

 それこそ普通に、書店販売やネット通販などで純粋に一個人の著書として、天下に内容を問うべきだったろう。

(しかしもちろん、今回のような大反響は得られなかったろうが……)

 それならばまさに言論の自由表現の自由・出版の自由であり、中国・韓国が何を言おうと知ったことではない。

 だが、自社の従業員のいる「職場」にそれを置くことは、必然的に従業員の思想・信条の自由を(結果的に)侵害せずには済まないのである。

(あなたが勤務するホテルに、反キリスト教本・反イスラム本・反イスラエル本が備え置かれることを考えてみよう。)


 民間企業という部分社会内であれば、社長はたいていのことを/何をしてもよいか。

 職場や店舗に社長自身の“思想”“歴史観”“政治信条”、あるいは“宗教観”を綴った本を置くことは、従業員の思想信条の自由を踏みにじる行為ではないか――

 今回の件は、たまたま今の日本国民の好みに合った本の内容だったから、こういう疑問を呈されずに済んでいる。

 しかし内容次第では、まさしく憲法判例の本に載るような裁判例ができかねないケースだと思うのである。