プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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日本、ついに国際捕鯨委(IWC)脱退へ-クジラの肉はそこまで美味くないけれど

 ついにその日が来るようだ。

 12月20日、日本政府は国際捕鯨委員会IWC)を脱退し、30年ぶりに商業捕鯨を再開する方針を固めたという。

 来年1月1日(もうすぐだ)までに脱退通知をするらしい。

(⇒ 時事ドットコム 2018年12月20日記事:政府、商業捕鯨再開へ=30年ぶり、IWC脱退方針-来月1日までに通知)

 
 このニュースに何らかの感想を抱く日本人のうち、過半数は「よくやった」「それでいいだろ」と思っているものと思われる。

 確かに日本人のほとんどは、クジラ肉を日常的に食べてはいない。

 ごくたまに「珍しいから」スーパーに売っているのを買うくらいである。

 そして正直なところ、その味は牛肉や豚肉及び鶏肉ほどには美味くない――と、大多数の人は感じているだろう。

(やっぱり、牛肉に勝る肉はないということか。)


 しかし普通の日本人が「捕鯨反対」「クジラの肉なんて食うな」という欧米諸国の声に反射的に反発するのは、言うまでもなく――

「何で牛や豚やニワトリを殺して食うのは残酷じゃなくて、クジラを殺して食うのは残酷なのか」

 と、すぐに思いつくからである。

 もちろんIWCでの欧米諸国は、「商業捕鯨を続けていたらクジラが絶滅してしまう」という資源保護の名目・理由で捕鯨反対の論陣を張り、「クジラを食うなんて野蛮・残酷」などという感情論を根拠としてはいないだろう。

 しかしその根底にはそういう感情論があると、日本人として感じないわけにはいかないのだ。

 そしてたぶん――

 ウシ・ブタ・ニワトリ・(オーストラリアでは)カンガルーを殺して食うのは別にいいけど、クジラをそうするのは残酷で可哀想だ、

 という理屈を日本人に納得させるのは、ほとんど無理だと思われる。

 日本人からすれば、いったいどうして欧米諸国は(陸生哺乳類の肉は平気で食っているくせに)そんなにクジラ食反対に必死なのか、と不思議に思うのが普通だろう。

  
 私もまたクジラの肉はたまにしか食わないし(3割引以下になっていれば買う)、ぜひとももっともっと食いたいものだとも思ってはいない。

 しかし商業捕鯨再開でクジラ肉の供給が増えるものであれば、それに伴い値下がりするのであれば、もう少し食べる機会は増えるだろう。

 別に私は韓国人が犬を食うからといって野蛮だの残酷だのと思うことはないし、オーストラリア人がカンガルー肉を食うのにも反対しない。

 誰が何を食おうとどうでもいいし、食える肉の種類が増えるのは(食肉供給源が増えるのは)基本的にはいいことである。

(どうせならカンガルーの肉なんかもオーストラリアからたくさん輸入して、スーパーに並ぶようになってほしいものだ。)


 それにしても2020年の東京オリンピックを控え、今この時期に日本政府がIWCを脱退を決断するというタイミングだけは、やや意外に感じる。

 韓国では「外国に聞こえが悪いから」犬食をやめよう、なんて動きがあるのと比べ、これは全く正反対の動きだ。

 だが、別段それでもよい。

 そもそも外国とそんなに仲良くならなくていいし、オリンピックがあるから外国の反発を招きそうなことは止めようというのも、私にとっては噴飯物の理屈だ。

(オリンピックって、そんなたいした価値があるもんじゃないだろうと思う。

 それよりはクジラ肉の供給拡大の方が、はるかにずっと重大な話である。) 


 クジラを食っていいかどうかは、ただ純粋に種の絶滅があるかないかで判断されるべき話だろう。

(そして現代では、いかに苦痛を与えずクジラを殺せるかという面も重要だ。)


 また日本人としては欧米諸国に、

 「クジラ(と犬・馬)は殺して食ってはダメだが、その他の動物は殺して食っていい」と思うのはなぜなのか、

 ぜひとも国連でのスピーチなんかで聞かせてもらいたい、

 というのがホンネだろう。