人間関係すなわち「人と接するリスク」こそ現代社会の、そして人類最大最後のリスクである――
ということを述べた記事は、このブログでも何度となく書いてきた。(興味のある方は過去記事を検索されたい。)
そしてネットメディアにも最近は、同様の記事が多く載るようになっている。
(⇒ 2018年12月6日記事:ハラミ会とウォール街の新ルールはアリかナシか-女性は「リスク」の一種になった?)
(⇒ 2017年11月10日記事:女児、秋祭りでボランティア老人に叱られPTSD発症⇒主催の深谷市に賠償命令-裁判所の示す「人と接するリスク」)
(⇒ 2016年9月22日記事:働くことには危険がいっぱい~或る車掌の飛び降り事件~)
(⇒ 2016年1月26日記事:恋愛離れと未婚率上昇の真因 その1 非婚化の三大要因)
(⇒ 2016年1月27日記事:恋愛離れと未婚率上昇の真因 その2 時間資源の有限性)
(⇒ 2016年1月30日:恋愛離れと未婚率上昇の真因 その3 「人と付き合いたくない」心理進化)
(⇒ 2016年1月30日記事:恋愛離れと未婚率上昇の真因 その4 結婚・恋愛の加重多重リスク、そして美人資本主義)
(⇒ 2016年1月30日記事:恋愛離れと未婚率上昇の真因 その5 甦る家康の旗―「ろくでもない現実を離れ、個人の楽土を追い求めよう」)
(⇒ 2016年2月8日記事:「デートDV被害は男の方が多い」その2 人類は分岐する、という当然の未来)
あなたははたして、誰かに「告白」されたら嬉しいだろうか?
十中八九、迷惑に感じるのではないだろうか。
そして、だからこそ他者への配慮に基づき、自分からも告白しない(しようなんて考えもしない)……
これがいま日本で起こっていることの真相ではないか、と私は思う。
(そしてもう一つの真相は、「自分の今の生活を変えたくない」という、真の意味での保守思想の浸透だろう。)
今の日本列島には、歴史上最も「配慮」が行き渡っている。
「21世紀は人権の世紀」などという言葉に倣えば、「21世紀は配慮の世紀」と言っても過言ではない。
少なくとも日本人は、ますます他者と接することを「リスク」や「賤業」とみなすようになり――
これを先祖返りと言っていいのかはわからないが、昔の「隠者」や「仙人」のような生活を目指すようになると思われる。
もちろん未婚率も出生率も、昔の水準に回復することはもうないだろう。
しかし、だからといって、日本人や先進国の現代人が「緩慢な自殺・絶滅」に向かうとするのは早計である。
なぜなら結局のところ、
(1) 自分の遺伝子を持つ子孫を残したい
(2) 素敵なパートナーと愛し合いたい
というのは今でも、おそらくは未来でも、人間の二大願望・二大需要だからだ。
そして需要あるところ、必ず供給あり――
だから未来は(そんなに遠い未来ではない)必ず、
自分好みにカスタマイズした人工彼氏彼女・人工わが子を、
たぶん企業に発注して入手するようになるだろう、
と思うのである。
私は人類が西暦3000年になってもまだ、今みたいに
●偶然任せの出会いによって誰かを好きになり、
●その人がこの世で自分にベストフィットしていないのは確実なのに、それでも世界一好きだと思い、
●女性が痛い思いをして自分の腹から子どもを出産する、
なんてことを続けているとはとても思えない。
こんなことって誰もが一目見て、改善や効率化の余地がありまくると感じるではないか。
たぶん未来の日本人は、女性の腹から子どもを産むなんてこと、なんて野蛮でグロくて遅れてるんだと普通に感じるようになっている。
いまだにそんなことをしている人は、よく言って「変わり者」だと見られると思う。
昔の人はアナタ任せのデタラメな出会いによってパートナーを見つけていた、見つけられない人も大勢いた、なんてことを聞けば――
「なんて原始的なんだ」
と感じることは想像に難くない。
SFみたいに感じるだろうが、未来の日本人のほとんどが「人工人間」で占められる日が来たとしても、私は別に驚かない。
従来の(女性の腹から生まれた)天然人間が滅びたとしても、別にそれはディストピアではなく、未来人にとっては当たり前の歴史である。(よって、別に悲しみも抱かないだろう。)
現代の日本人にとって、「告白するなんて配慮がない」。
ナンパに至っては、もう異常者のやることである。(犯罪者、と言ってもさほど違和感はないだろう。)
そんなことが横行していた(ほんの少し前の)過去の時代というのは、全くもって配慮のないけしからん時代だったということになる。
現代はたぶん、
「なるべく他者と接するのを避けて仙人暮らしをしながらも、
本当に自分の選んだパートナーや子ども、友人と心豊かに暮らす」
という理想郷に向かう、移行期の時代に当たるのだろう。