プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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激震考古学!? 巨大水中洞窟でマヤ文明の遺跡発見、トンデモ超古代文明論は真実なのか?

 世の中こういうニュースばっかりだったらいいのに、と思う人は多いだろう。

 なんか最近、異常なまでに「マヤ文明」が熱い。

 1年に何度も何度も、新発見・新発掘のニュースがネットに載るのである。

 そしてつい先日は、メキシコはユカタン半島でつい最近発見された「世界最大の水中洞窟」において、マヤ文明の神殿などの遺跡が発見されたと報じられた。

www.afpbb.com


 Googleのニュース検索で「マヤ文明」と入力検索してみればわかることだが、またまたつい最近の2月2日には中米グアテマラ北部で6万個ものマヤ文明の遺跡がレーダー発見されているのだ。

www.afpbb.com


 そして今回の水中洞窟では、「マヤ神話の戦争や商業の神を祭った神殿もあり、神殿にはジャングル内の陥没穴に通じる階段も設置されていた」とのこと。

 それはまぁこんな洞窟があれば、現代人でも神殿を作りたくなってしまうというものだ。

 「ジャングル内の陥没穴」があれば、そこに通じる階段を作りたくなるのが人情である。

 そう考えると、謎に包まれた古代マヤ人にも親近感が湧いてくるというものだ……


 しかし、今回の報道のハイライトはそれではない。

 上記AFP BBニュースの記事には、「ゾウに似た絶滅動物であるゴンフォテリウムの骨」も見つかった、とサラリと書いてある。

 そこでゴンフォテリウムとは何なのか検索すると……

「2000万年前にアフリカで出現し、その存続期間は「中新世前期~鮮新世前期」と書いてある。

pepper - ゴンフォテリウム


 そこでさらに「鮮新世」と検索すると、「約533万3000年前から約258万年前の期間を指す」と書いてある。

鮮新世(せんしんせい)とは - コトバンク


 いや、ちょっと待て。

 ゴンフォテリウムの存続期間が鮮新世前期までとすると、それは今から「約533万年前から400万年前くらいまで」ということになるではないか。

 なんで今から400万年も前の動物の骨が、マヤ文明の遺跡から出てくるのだ。

 人類最初の文明とされるメソポタミア文明において、シュメール人の土地国家が形成され始めたのは紀元前3000年くらい(今から5000年前)の話である。


 おお、これはまさに……

「人類は恐竜と共存していた!」なんていうトンデモ超古代文明論に匹敵する、考古学と古生物学を激震させる大発見ではないか!!!

 ハァハァ……


 とビックリ仰天したいところだが、もちろんもっと穏健な解釈はある。

 一番穏健なのは、古代マヤ人がたまたまゴンフォテリウムの化石を見つけ、そのあまりに印象的な形に惚れ込んで祭儀に使った、というものである。

(ゴンフォテリウムには今のゾウと違い、上顎にも下顎にも牙が生えている。

 これもまた、現代人でも見つけたら家に飾っておきたいような、言い知れぬ魅力をたたえている。)

 そういえば中国人は昔から、恐竜などの化石をそれと知らずに粉にして薬にしていたというではないか。


 二番目に穏健なのは、実はゴンフォテリウムは鮮新世前期で絶滅はしておらず、細々とではあるが古代マヤ人の時代まで存続していた(そしてたぶん、飼われていた)、というものだ。

 穏健とは言え、むろん衝撃的な話である。

 ゴンフォテリウムが400万年も前に絶滅した生物だという“常識”は、たったこれだけで否定されることになる。

 前にもこのブログで書いたが、考古学と古生物学というのは、ただ一つの発見で今までの定説がすぐひっくり返るという、はなはだしく不安定な学問分野なのだ。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 また、もしこれが本当だったら、世界中の未確認・未知動物ファンに非常な勇気を与えることだろう。


 そして最も過激なのは、言うまでもなく「マヤ文明は最低400万年前から存在していた!」なんて説である。

 当然ながら、こんなわけがないのだが――

 しかし私には、近々あの『ムー』を筆頭とするオカルトエンタメメディアが、勇躍こんな説を取り上げるのが目に見えるような気がする。

(あなたにだって見えるだろう。) 
 
   
 それにしても「マヤ文明の遺跡」と「何百万年前の絶滅動物の骨」、これはオカルト心をビンビンに刺激せずにいない組み合わせだ。

 従来の“オーパーツ”というのは、「ものすごく古い時代の地層の中から、点火プラグや光ディスクなど場違いすぎるものが発見された」というパターンだったのだが――

 今回のこれは、「人類の古代文明の遺跡の中に、さらにもっと古い時代の(はずの)動物の骨が発見された」という逆パターンである。


 マヤ文明、どこまで男心をくすぐってくれるのか……

 

【注記】

 こんな記事を書くのも、報道記事にゴンフォテリウムの「骨」が見つかった、と書いてあるからである。

 しかも「大型のナマケモノ、クマ」の骨と一緒に見つかった、と書いてあるからである。

 クマはもちろん、大型のナマケモノは人類と同じ時代を生きていたことが知られているので、「骨」でいいかもしれない。

 しかしゴンフォテリウムについては、これらとは分けて「化石」と書くべきではなかったろうか。

(確かに記事タイトルには「化石」と書いてあるが、肝心の本文に「骨」と書かれては誤解を招く……)

 これ、ホントに「化石」じゃなく「骨」だったら、エラいことである。

羽生結弦の五輪2連覇と安倍首相の小さな・明らかなウソ

 平昌オリンピックフィギュアスケートで、羽生結弦(23歳)がオリンピック2連覇(金メダル)を果たした。

 これはフィギュア史上66年ぶりの快挙だそうだ。

 そしてこのことで何が最も印象に残ったかって、その66年前に連覇を果たしたディック・バトン氏(アメリカ)が88歳でまだ生きていて、それどころかツイッターまでやっているということだ。

 なんかこれ、すごくないですか……?
 

www.nikkansports.com

 

www.asahi.com


 さて、それはともかくとして今回触れるのは――

 この快挙を受けて安倍首相が、2月17日夜に私邸から羽生結弦に電話をかけた件である。

 かけた以上は「おめでとうございます」と言うのは当たり前だが、なんと安倍首相――

 「演技の後半には、興奮のあまりテレビの前で握っていたミカンを握りつぶしそうになった」らしいのである。

 

www.jiji.com

 

www.sankei.com


 私はこれ、はっきりとウソだと思う。

 スポーツを見ていて「興奮のあまりミカンを握りつぶしそうになった」なんて、極度に熱狂的なプロレスファンでも決してやりそうもないことである。

 こんなこと、ただ異常者のみがやりそうなことだ。

(「興奮のあまり足を踏み鳴らしました」なら、プロレスファンもすんなり納得するかもしれない。

 重低音ストンピングと言われるものだが、これでさえ最近のプロレス会場ではほとんど聞かれなくなった。)

 いったいあなたは、本当に安倍首相がそんな状態になったと信じるだろうか。

 この発言、誰がどう聞いても「そんなわけないだろう」と一笑に付す態(てい)のものである。


 もちろんこういう発言、ジョークならば全然アリだ。

 友人などの知り合いと、この手の軽口を叩き合うというのは、非常によく見る光景だし我々自身もそんなことを言ったりしている。

 しかしどうも安倍首相、報道記事のニュアンスからして、本当にそんな状態になったと言っているようだ。


 言うまでもないが私は、こんな片言隻句を取り上げて

「このウソつきが」

「適当なこと調子に乗って喋ってんじゃねーよ」

 などと、安倍首相を非難したいわけではない。

 しかし一国の首相がこんなあからさまなウソを笑顔で言っちゃう/言ってしまいたくなる/言わせてしまうという社会の雰囲気は、やや非難に値すると思う。


 私は安倍首相が、そんなに興奮してテレビを見るほどフィギュアスケートが好きなのか、という点にまず疑問を持つ。

 選手の演技を見て「おー」とか声を上げるというのは普通の人間らしくわかるのだが、ミカンを握りつぶしそうになるほどフィギュアスケートのファンだなんてこと、まずないだろう。

 おそらく、というかほぼ確実に安倍首相――

 日本人選手の誰がどの種目で金メダルを取ろうと、大同小異のことを言うのではないか。

 全然興味がない種目だとしても電話をかけ、興奮しましたとか言うのではないか。

 そしてまた、安倍首相でなくても誰が首相であったとしても、そんなことを言うのではないか。

 なんかこれ、バカバカしいというか寒々しい光景である――

 民主主義国の一国のトップって、そんなにしてまでスポーツ選手に、引いては国民におもねらなくてはならないのか。

 いくら自分が人気商売の政治家だからって、金メダルさえ取れば(別に自分はそんなに興味はなくても)さっそくに電話をかけて祝意を伝えなければいけないのか。


 そもそも「自国の選手が金メダルを取った直後、首相や大統領がその選手に電話をかける」ということ自体、ありふれたことなのだろうか。

 私にはこれ、ずいぶん(いかにも人気取り的な)浅ましいことに感じられるのだが、どうだろう。

 アメリカの選手が金メダルを取ったら、トランプ大統領は早速に電話をかけているのだろうか。 

 フランスの選手が金メダルを取ったら、マカロン大統領は早速に電話をかけているのだろうか。 

 今回のオリンピックでは、サフチェンコ&マッソの男女ペアがドイツとして(奇しくも)66年ぶりの金メダルを獲得したそうだが――

number.bunshun.jp


 メルケル首相は、この人たちと早速電話で話したのだろうか。

(こういうことって、日本のメディアでは報道する価値もないことだろうから、私には全くわからない。)


 少なくとも私が首相なら、さっき金メダルを取ったばかりの選手と電話で祝意を伝えようなどとは決して思えない。

 人気取りと思われるのが嫌だということもあるが……

 何よりもまず、そのスポーツについてほとんど何も知らないというのに(普段から見てるわけでもないのに)、いったい何を話せというのだ。非常に困っちゃうではないか。

 しかし日本の首相というのは、そういった万難を排して金メダリストに電話をかける。

 きっと、そうしなければ「金メダリストに祝意を伝えないなんて、一国の首相として配慮が足りない/けしからん」とか批判されるのが嫌なのだろう。

 何となく日本には、そういう雰囲気があるのだろう。

 だからこういう「常識・礼儀」が自然形成されるのだろう。

 そう思うと日本の政治家というもの、悪党なのか哀れなのかわからなくなってくるというものだ……

アメリカの風物詩、(高校での)銃乱射事件またも-犯罪予備軍対策は民間監視会社・NPOへ委託する?

 アメリカの風物詩もとい風土病である銃乱射事件が、また起こった。

 米フロリダ州パークランドの高校で現地時間2月14日、その高校を退学になった元生徒ニコラス・クルーズ(19歳。名前だけは俳優みたいだ)が半自動小銃を乱射し、生徒ら17人を殺害した。

www.jiji.com

 

mainichi.jp

 
 我々はもう、こういうニュースを聞くのに慣れっこである。

 なんだかこういうのは、アメリカの生活の一部になっているように見える。

 毎年必ずどこかで火事が何百件何千件と起こるように、銃乱射事件も必ず年に何回かは起きる。

 銃乱射事件のないアメリカなんて、アメリカじゃない――そう言っても過言ではないほどの名物である。

 アメリカの銃乱射事件を年表にしてみれば、それを読んで慄然とすると言うよりは、さぞ退屈するのではなかろうか。


 ところでこのニコラス・クルーズ、発煙弾を持参して学校の火災報知器を作動させ、生徒らが外に出てくるのを狙い撃ちしたそうだ。

 そして自らはガスマスクを用意し、煙を吸わないようにしていたとのこと。

 なかなか用意周到だが、察するに彼、こういうことを考えるのがさぞ好きなのだろう。

 要するに、武器マニアの戦術マニア少年である。

 そしてそういう嗜好は隠しようもないもので(体の内側から込み上げてくる衝動に抗えないのだ)……

 在学中にも「学校で銃を乱射したい」と人に言ってたり、

 SNSには武器を持った自分の写真や「自分の銃で人を撃ちたい」とかのコメントを投稿していたという。

 退学になったのも「他の生徒を脅した」からだそうで、つまりは札付きのワルであり危険人物である。


 さて問題は、こういう人を退学にしたのは(結果論的に)良かったのか悪かったのか、当然だったのか思いとどまるべきだったのか、ということになってしまう。

 むろん、こんな奴だからまともな学校は退学にするのである。

 しかし一方、こんな奴を退学にすれば生徒や教師を標的に“復讐”しに来る可能性も、それはやっぱり高いと言わざるを得ない。

 つまり本当の問題は――

 アメリカに蔓延する銃器所持がいいか悪いかと言うよりも、

 こんなあからさまな危険人物・犯罪者予備軍に対し、先制攻撃することは本当に許されないのか、ということだろう。

 むろん今の(西欧的)社会で、たrとえ言動がアブナくはあっても、まだ犯罪を犯してもない人間を警察が先制逮捕することなどできはしない。

 逮捕できなければ監視下に置くしかないが、しかし四六時中監視できるわけでもない。

 となるとここは、民間有志あるいは民間「軍事探偵社」みたいな存在が、その役を引き受けることにならざるを得ないのではないか。


 つまり……

 退職初老者の集まりや企業・NPOとしての探偵社が、

 地域コミュニティ(町内会とか)や学校から依頼を受け、

 明らかにヤバそうな犯罪者予備軍や前科者への、

 監視業務を請け負うのである。

 これについては以前このブログでも書いたのだが、けっこう有望なニュービジネスではないだろうか?

(全国の新聞で毎日報じられる小犯罪の記事を切り抜き、デジタルデータ化して犯罪するのははたして違法だろうか?

 個人情報保護法がどうとか言ったって、それは単なる「記事の切り抜き集」である。

 むしろ問題になるのは著作権法の方だろう。

 それだって犯罪発生日時と行状と逮捕者名だけ切り抜くならば、新聞社の著作権に触れるかどうか怪しい。)

tairanaritoshi.blog.fc2.com

 
 もしアメリカが国民の銃所持を抑制することができないなら、いずれ本当にこういうことが解禁になってもおかしくない。

 と言うか、そうでもしなければ銃乱射事件を抑制することはできないだろう。

 何と言っても、明らかにアブナいヤバい奴を「せめて監視してほしい」というのは、人民・市民・国民の切なる願いである。

 自分はそんなこと願わないという人も、いざ自分の身近にそんな人間がいれば(現れれば)、たちまち豹変するに違いないのである。

 そういう声に応えないというのは、やはり民主主義に敵対する態度だと言わざるを得ない。


 国外での軍事活動が民営化されているというのは、もう言われ始めてから久しいものがある。

 今それは、取り立てて話題にするほどのこともない日常的なルーチンである。
 
 ならば今度は、国内での治安維持活動に「民間犯罪監視会社」「犯罪抑止NPO」が参入したとして、何の不思議があるだろう。

 たぶん警察はそれを許可制にし、民間からの委託によって許可業者・許可NPOは監視業務を請け負うことができる、となるはずである。

(さすがに警察から彼らに委託するのは禁止されると思われる。)

 そして委託した側は「誰を監視対象に依頼したか」を明かす義務は負わず、受託した側は守秘義務を負うことになるだろう。


 ビジネスに長けた人によると、ビジネスチャンスはどこにでも転がっているそうである。

 ただ多くの人にはそれが見えないか、見えていてもやろうとしないのだと言う。

 私にはアメリカに限らず、「明らかにヤバい近所の人間」を何とかしてほしい、という人民の需要は巨大なものがあると思えるのだが……