プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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選挙「買収」はなぜ違法?-良心と義理人情があるからこそか

 統一地方選の季節だからだろう、福井新聞の「ゆるパブコラム」に次の記事が掲載された。

(⇒ 福井新聞 2023年3月30日記事:街中に並ぶ無地の旗、「○○党だから」の口説き文句…福井に移住して触れた選挙の「異様さ」【ゆるパブ】)


 なんでも福井県の市町村には、「色付きの無地の旗」が至る所に立っているらしい。
 
 それは、選挙のための旗であるらしい。(議員たちのポスターなら、日本全国至る所に貼られているが)

 この情報化社会と言われて久しい現代でも、私はこんなことを初めて知った。
 
 地元民には当然の光景でも、よその地方の人間にはまるきり知られていないことというのが、今でもたくさんあるのだろう。

 そういうのを知るのは、何の得にもならないにしても確かに楽しいものである。

 それはともかく、このコラムに書かれた「ショッピングセンターで議員が有権者に堂々とカネを渡す」というのは、なかなか強烈である。

 これも私が見たことがないだけで、日本全国至る所で行われているのだろうか。

 しかし普通は、「議員が選挙に通るため有権者へカネを渡す」というのは、もっと人目に付かないところで行われる。


 さて、ここからが本題である――

 こういうことは買収と呼ばれ金権政治と呼ばれ、考えるまでもなく「当然に悪で違法」なものである。

 これに異議を唱える人――悪いことではないという人――は、おそらくいない。

 だが私は、子どもの頃からこれが不思議だったのである。

 だって、そうではないか……

 「私に投票してください」と現役議員や立候補者からカネをもらったからと言って、その人に投票する必要はないではないか。

 カネをありがたくもらっておいて、いざ選挙の時には「バ~カwww」と思いながら他の人に投票すればいいではないか。

 そうしたことがカネをくれた人にバレるというのは、まずないのではないか。

 いやはや皆さん、そう思いませんか? そんなこと誰でも簡単にできますよね?

 しかしどうやら、世間の人はそう思わないようなのだ。

 どうも「カネを渡したらバカ正直にその人に投票する」人というのは、ものすごく多くいるらしい。

 これは、逆説的ながら――

 そういう人たちには良心があり、義理人情を大切にする人たちなのだ、と思わざるを得ない。

 そりゃあカネをくれるんだから恩があり義理がある、それを裏切るのは悪いことだ……と感じる「善男善女」が、日本にはまだまだ多くいるということだ。

 きっとその人たちは悪徳犯罪者とはほど遠い、「いい人」たちと言った方がより正解に近いと思われる。

 たぶん私みたいなひねくれた(笑)人間は、とんでもない奴だということになるのだろう。

 
 別に本気で言うわけではないが――
 
 いっそのこと、選挙でカネをばらまくのを完全フリーに解禁してみてはどうだろうか。

 そうすれば本当に金持ちがこぞって選挙に勝つのか、カネで勝負が決まるのか、実験できそうではないか。

 そして加えるに、間違いなく有権者も潤うではないか。

 何人もの候補者から重複してカネをもらえば、さぞ「経済も回る」だろう。景気だって良くなるかもしれない。

 最終的に個々の有権者たち――「いい人」たち――は、「一番多額のカネをくれた候補者」に投票するのかどうかも興味津々である。

 もちろん私は、もらったカネとは関係なく政策を見て投票する。

 投票されないのにカネをくれた候補者は、いい面の皮である。
 
 
 しかし、繰り返しつくづく思うが――

 選挙でカネをばらまくとか金権政治とかが本当に効いているとするなら、それはやはり人間には「素朴な良心」があるからではないかと思うのである。
 
 言い方を変えれば、しょせん主権者だと言われてみてもその程度の単純な精神であって、とうてい帝王学を受けた統治者の器ではない、とも言えようか。

 世の中が私のような人間ばかりであれば、選挙買収が刑事犯罪であるなどということにはならないと思うのだが……(笑)