2月3日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(JOC)の会長を務める森喜朗 氏(元首相)が、JOC評議会の席で
「女性が多い会議は時間がかかる」
などと発言した。
これは女性蔑視だとして、(謝罪会見が「逆ギレ」だったとされたこともあって)世界中から総攻撃を食らっている。
森氏を擁護する意見はただの一片もなく、見事なまでの「オール怪獣総進撃」みたいな状態である。
さて、森喜朗元首相と言えば、「失言界の長老」みたいな人である。
その失言の最高傑作は、首相在任時代に「IT革命」を「イット革命」と読んだ(とされた)ことだろう。
あれから20年くらい経つが、そのことはいまだに覚えているので、やっぱりあれはインパクトがあったのである。
(その森首相時代の「インターネット博覧会」略して「インパク」というのも、やはりいまだに覚えている。)
その失言歴から言えば、今回の失言などほとんど物の数にも入らない。
正直これって、そんなに世界中から寄ってたかってタコ殴りされるようなもんじゃないだろうとも感じるのだ。
たとえば
「男にカネを渡したらパッパと使うから、女がカネを管理した方が(財布を握ってた方が)いい」
とは、本当によく聞く言葉である。
私はこれこそ男性蔑視の決めつけだと思うのだが、しかしどうやら世間では問題視されないらしいのは、不思議なことだと思われないか。
あるいはまた、「女性は買い物が長い。だから辛い」と言うのは女性蔑視に該当するのだろうか。
しかし本題は、この「森の失言」(むかし何かの雑誌で、森氏のインタビューが「森の清談」と題されていたことがあった)に対し――
東京都のオリンピック・パラリンピック準備局に、5日昼までに電話とメール200件超が寄せられた、ということについてである。
端的に問うが、あなたはこういうことが起こるのを「当たり前だ」「仕方ないことだ」と思うだろうか。
私はこれを、当たり前とも仕方ないとも思わない方である。
それどころか、異常なことだと思っている。
「森の失言」とオリパラ準備局の職員(で、電話に出る人)とに何の関係もないことは、三歳児にだってわかる。
抗議電話で思い知らせてやりたいとか自分の怒りを伝えたいとか言ったって、森氏自身が出るのでなければ何の意味もないのはあまりにもわかりきった話である。
いったいこういうとき抗議電話をかける人というのは、どういう神経をしているのだろう。
ハッキリ言って、頭がおかしいレベルではないか。
おそらくこういう人たちは、森の失言とオリパラ職員に「もちろん」関係はある、連帯責任がある、と怒って反論するだろう。
しかし、あるわけないのである。
そういう風に「アレとアレとは関係がある」などとやたら思いたがるのは、古代人や原始人の心性である。
古代人に「天候が悪いのは、王様が身を慎まないからじゃないよ。そんなの何の関係もないよ」と言えば、
やっぱり現代の抗議電話人のように「いや、ある。ないわけないだろう」と反論するのが目に見えるようだ。
率直に言ってそういうのは、「土人根性」というものではあるまいか。
私はこの、「ある人の失言・不行跡に対して何の関係もない人に抗議電話する」ということに、
世の中が「寛容」で「当然視」していることに、ある種慄然としたものを感じる。
せめて共産党ぐらいは、そういう人を「労働者の敵」と言ってもいいのではないか。
こういうことがまかり通っている限り、日本の労働環境は永遠の闇に閉ざされている……
というのは、決して言いすぎではないと思うのだが。