この、連日コロナ感染者の急拡大が報じられる中、それも緊急事態宣言が出た中――
神奈川県横浜市では、36,000人の新成人を対象とした大規模成人式を、従来の予定どおり実施した。
もちろん感染対策は徹底してやったろうが、
それでも(いや、案の定)路上で酒を回し飲みして警官とトラブルになる集団も、あったようである。
当然ながらこれについて、世間の反応は厳しい。
他の自治体では――それも横浜市に比べれば全然人口の少ない自治体でも――成人式を取りやめたところも多かったろうに、それでも成人式をやる。
アタマがおかしいんじゃないか、と思う人が多くても仕方ないというものだ。
しかし、それにしても、である。
なぜ成人式は、そんなに特別だと思われているのだろうか。
「一生に一度のことだから大事に決まってる」と、多くの人が善意に真摯に思っているのはなぜなのか。
(しかしそう思っているのは成人の親の方であり、成人自身がそう思っていることは少ない気もするが……)
もちろん成人式強行の裏には、着物業界・着付け業界の圧力がある、というのも穿った見方ではあろう。
しかしそれよりずっと大きいのはやはり、「成人式は極めて大事」という「常識」の圧力である。
有り体に言って、もし横浜市の成人式が中止になっていたら、必ずや何百件もかかってきていたに違いないのだ――
「大事な、一生に一度の成人式を何でやらないんだ!
成人の心に傷が残ったらどう責任取るんだ!
感染対策を徹底してやればいいじゃないか!」
という(主に成人の親からの)苦情電話が、である。
私個人は、成人式が一生に一度の大事な式典だという感覚は全くない。(実際、行かなかったし)
そしてまた、成人式ってそんなに大事か?思い出になるか?と思っている人たちは、きっと他にも大勢いるのだ。
(そしてあなたは、あなた自身の成人式がはたして記憶に残っているのだろうか。
たぶん忘れていると思うが……)
言うまでもないが、成人式とは「戦後に始まった」行事である。
その起源は1946年(終戦の翌年)、埼玉県は(現)蕨市で開催された「青年祭」とされている。
そしてこれが急速に全国に広まり、何と1949年(たった3年)には、1月15日が「成人の日」と国によって定められた。
これは、驚くべき普及ぶりである。
この行事が終戦直後の民心をこれほど急速に掴んだ理由は、私などには全く見当も付かない。
しかし今思えば、蕨市も「罪」なことをしたものである。
成人式は、それ以後全国に何十何百・何千と増殖する「公営イベント」の先駆けとなった。
そして公営であるが故に、戦後生まれのニワカイベントであるにも関わらず、
国家公認のお墨付きの付いた「一生に一度の大事な式典・行事」となった。
(だからと言って、来賓の祝辞をみんなが真面目に聞いているわけでもないが……)
これは、「大事な伝統」というものが、いかに近過去に短期間で作り上げられるかという、見本のようなものである。
我々が伝統であり大事なものだと思っているものが、いかに本当はそうでないかを表している身近な事例である。
そして、こちらの方がより重要だが……
「公営イベント(社内イベントでもそうだが)を新しく始める」ということに、我々は慎重の上にも慎重を重ねなければならない。
それはいつの間にか、「絶対にやらねばならぬ、コロナがあってもやらねばならぬ、大事な伝統」へと、いとも簡単に転化してしまうからである。
しかもそれは、善意によって支えられているのである。