10月1日、菅首相は、「日本学術会議」が推薦した同会議の会員候補者105名のうち、6名の任命を拒否した。
その6名は、安倍政権時代の安保法制に反対したメンバーだという。
それについて「学問の自由を侵すもの」と猛反発が起こる一方――
この日本学術会議とは何なんだ、という反発も盛んである。
かくいう私も、日本学術会議というものがあるのは知っていても(と言うより、いかにもそんな組織はありそうなので、「聞いた覚えがある」とした方が良いかもしれない)……
その会員が政府(総理大臣)に任命されるものであるとか、
210名もの大勢が任命されているとか、
今回の件があるまで全く知らなかった。
さて、日本学術会議とは内閣府に属するものの、「政府とは独立した特別機関」らしい。
また、総理大臣による任命というのは「全く形式的なもの」であり――
会議自身が推薦した者をそのままそっくり形式的に任命するのが「本当」であり従来の慣例でもあり、
そうしなかった今回の措置は「違法」(じゃないか)とまで言われている。
(⇒ ヤフーニュース 2020年10月1日記事:菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性)
しかしもちろん今の御時世、「ある団体が推薦した者が、そのまま政府に任命される。そうでなければ違法」なんて話は、
「特権階級」
「既得権益」
「何様なんだ」
という反応を引き起こさずにいるわけがない。
ここですぐ(誰でも?)思いつくのが、「経団連」(日本経済団体連合会)という存在である。
いくら何でも経団連の名を聞いたこともない人は、日本にはあまりいないはずだ。
そこでもし、経済産業省の特別機関として「日本経済会議」という特別機関があり――
そのメンバーは、経団連の推薦する者がそのまま政府に任命される、そうでなければ違法、なんて話があったら、やっぱりそれはおかしいと思われるのではあるまいか。
経団連は今のままでも、政府に提言を行っているはずである。
だったら日本学術会議というのも政府機関でなくてよく、民間有志の団体として政府に提言を行えばよい。
なぜ、経済団体と学者とでは違うのか。
学者はそんなにエラいのか――
という風に国民が思うのも、それは無理からぬ話ではある。
しかし、日本学術会議というのは、昭和24年(1949年)にできた歴史の古い団体(いや、政府機関か)である。
これはもう、今の日本の「体制」の中にガッチリ組み込まれているのである。
そして一般的な話として――
政府や行政機関が一度始めてしまったものは、よほどのことでないとやめられない。
もし日本学術会議という機関そのものを廃止しようとすれば、どんな蜂の巣をつついたような批判が巻き起こるか、誰でも想像できるだろう。
田舎の町の「夏祭り」だって、いったん始めたらやめられはしないのである。
もしやめられるとしたらそれは、今回のコロナ禍ほどの超巨大情勢変化が起こるしかない。
もしかしたら日本学術会議というのは、昔の中国でいう「諫議大夫」のようなものかもしれない。
わざわざ君主にとって耳の痛いことを言って諫言するのが職務、という政府機関の現代版なのかもしれない。
それならば、政府の意向に反するようなことを言う人がメンバーにいても、おかしくないのかもしれない。
(そんな人がいるからと言って、そんな人ばかりでもないのだから……)
しかしやっぱり、いかに形式的だろうと「政府に任命される」というのは、普通の人にとっては「やっぱり任命権は政府にあるんじゃないか、任命したくない人を任命しないのも、そりゃアリだろう」と思わせるには充分である。
昔の諫議大夫だって、もちろん皇帝の臣下であったのは間違いないのだから。
行政の世界では、いったん始めたことはまずやめられない。
日本学術会議は半世紀以上続き、もはや日本の体制であり「世の中の当たり前の仕組み」である。
なので、どうせできっこないことなのだが――
日本学術会議は、政府とのつながりを断ち切って純粋な民間団体になった方がいいのではないか、と「提言」したい人は多いのではなかろうか。