コロナ禍を契機に、一気に普及?した観のあるテレビ会議。
しかしテレビ会議というもの、こんなにも「普及が遅れ」ることを、昔の誰が予想しただろう。
こんなもの、1960年代・70年代の「未来はこうなる」系の記事では、21世紀を迎える前にとっくに普及していたはずではなかったか?
それはともかく、現時点での日本におけるテレビ会議の主役と言えば、Zoomである。
そのZoomが、会議のホストが参加者の表示順を並べ替えできる「カスタムギャラリービュー」という機能をアップデートしたことについて、それが「偉い人を上座に表示できる」機能だとして、ネット上での論議を呼んでいるらしい。
Zoom日本法人が「そんな意図はありません」と回答するのは、当たり前のことである。
そりゃそうだろう、「日本文化と日本人の要望に合わせて「上座」設定を追加しました!」なんて言うわけないのは、わかりきったことである。
しかし一方、日本文化と日本人が「上座設定機能」を要望・要求するのもまた、わかりきったことと言える。
よってまず間違いなく、カスタムギャラリービュー機能は、まさに上座設定のため使われるだろう。
カスタムギャラリービュー機能というものが、
単に「並び順を自由に設定できる」という、
「上座」なんて想定しない中立的な機能であることは全く正しい。
しかし使う側の人間によって、それは簡単に中立的ではなくなる。
すなわち日本人の手にかかれば、たちまち何でも「序列的」に使われるのだ。
(もっともこれは、日本人に限った話ではないかもしれない。
たぶん中国や韓国、つまり北東アジア文化圏では、同じ使い方がされるのではなかろうか。
この点、日本人も中国人も韓国人も、やっぱり同じ穴のムジナである。)
おそらくZoom会議上の「上座」とは、画面「左上」なのだろう。
その左がナンバーツーで、その左がナンバースリー、
画面左端まで行ったら折り返し、
最も右下に表示されるのが序列最下位の人なのだろう。
皆さんも、きっと賭けてもいいだろうが――
少なくとも日本の中には、トップを左上に配置しないと「無礼だ」「配慮がない」と感じる人が、全体の7割くらいいるだろう。
上記引用記事には、「メインスピーカーが誰かわかりやすくなる、という肯定的な意見もある」とあるが、おそらくそこで言うメインスピーカーとは、当該会議で「最も偉い人」のことである。
だから当然、Zoom会議を開くに当たっては、
「誰が参加者の中で最も偉いか、
誰を最下位にして並べるか、
その中間の人たちはどう配列するか」
という生産性のない、しかし日本では非常に重視される重大な仕事を、せざるを得ないことになるだろう。
このブログでも電子書籍でも、何度となく書いてきたが――
日本人の「人間には上下がある、あるべきだ」という道徳・信念・確信は、あまりにも強固で骨がらみのものである。
これは若い人の間でさえも、「反社会的」と自他共に認める人たちでさえ、そうなのではないか。
「人間には上下が、上下関係がなければならない」というのは、1945年の敗戦から75年も経った今も、依然として日本の「国体」である。
西欧の国体護持が「人間は自由だ、平等だ」というのなら、日本の場合の国体護持とは「人間には上下があるべきだ」というものである。
本当に、この国体を護持するためなら命を張るくらいの気でいる人が、日本には草の根でウヨウヨいるのではなかろうか。
日本人は、どこを見ても何を見ても「上下」を見る。
どこにいても何をやっても、何が何でも「上下」を設定する。
もちろんカスタムギャラリービュー機能を使っても、人間の上下を設定しないはずがない。
いや、そのように使わなければ、非道徳的で無配慮な人間だと見なされるのは目に見えている。
これはもう、文化と言うより病気ではあるまいか……