4月19日、2020年の大河ドラマは明智光秀を主人公とした『麒麟がくる』にすると、NHKから発表があった。
ついにというかやっぱりというか、ネット上では相当の反響を呼んでいるようだ。
明智光秀は、戦国時代どころか日本史全体でも最大の謎と人気を誇る「本能寺の変」の立役者である。
大河ドラマと言えば戦国時代か幕末(江戸時代末)時代ばっか取り上げているイメージがあるが、それは制作陣がそんなものしか作れないからではなく――
当たり前のことながら、視聴者がそれを望むからである。
そうしてみると可哀想なのは来年(2019年)の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』の方で、いくら『三丁目の夕日』からこのかた昭和30年代が人気だからって、「戦国時代&明智光秀&同時代の武将たち」の素材に勝てるわけがない。
なんだか放送前から「早よ終われ」なんて思われないか、心配である。
と言うか大河ドラマは、本当に戦国時代と幕末しかやらなくていいんじゃないか(その方が商業的にも成功じゃないか)と思わないでもない。
ともあれ明智光秀がとうとう主人公になったことにより――
「日本人なら誰でも名前を知っている戦国武将」で大河ドラマの主人公になったことがないのは、上杉謙信のみとなった。
光秀は、「戦国時代、最後の大物」から数えて2番目の男になったわけだ。
ところで大河ドラマと言えば、少年時代の私は「こういうのは近いうち(今の言葉で言えば)オワコンになるだろう」、なんて思っていた。
それは同じくNHKが日曜昼間に放送している、「全国のど自慢」についても同じ感想を持っていた。
ところがどっこい、大河ものど自慢も21世紀の今でもピンピン健在である。
特に大河の場合、ネットがテレビを潰すどころか、ネットによって昔よりずっと大きな影響力を及ぼしているように思える。
この点NHKは、実に見事にネット時代に適応したと言っていいのではないか。
そしてNHK大河は、学問の世界(というより “日本史新書本の世界” と言った方がいいか?)の最新の研究成果を取り入れていることで評価を高めても来た。
きっと『麒麟が来る』も、確かに今までの大河になかった「新しい」信長像・秀吉像・家康像・マムシの道三像・足利義昭像・光秀像を意図的に描くはずである。
(まず間違いなく、「長篠の三段撃ち」は三段撃ちでない形に映像化される。)
それについてツイッターなんかが賑わうのが、今から目に見えるようではないか……
とはいえ最大の焦点が、「本能寺の変の真相」にあると目されるのは確実である。
はたして「最新の研究成果」を取り入れた本能寺の変が――
光秀単独犯説を採用するのか、
それとも足利義昭、朝廷、羽柴秀吉、織田信忠(信長の長男)が黒幕であるとするのか、
これを巡ってやっぱりネットでは「大反響」が入り乱れるのが、またまた目に見えるようである。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
現代日本の明智光秀は、逆臣として嫌われているどころではない。
むしろ知将、はなはだしくは仁将として、とても人気の高い戦国武将である。
(ちなみに、足利義昭の人気も相当なものだと思う。)
そしてその前半生は(史料不足により)ほとんど謎に包まれているため、脚本家の自由度も非常に高い。
(つまり、大河「小説」を書くことができる。)
そのうえ光秀には「熙子(ひろこ)という正妻1人だけを愛し、彼女が死んだときには自らその棺を担いだ」なんていう泣かせる逸話まで残っている。
もちろんそれらは、『戦国戦記』などの著書がある歴史学者の故・高柳光壽 氏に言わせれば、「誤謬充満の悪書」に書かれている逸話なのであるが……
(しかし「誤謬充満の悪書」って、スゴい言い方である。)
2020年の『麒麟がくる』は、21世紀に入ってからの大河ドラマ中、最大のスマッシュヒットになる可能性が高い。
逆に言えば、これほどの素材をチョイスして大コケするなんてことになれば、相当な大恥である。
私は大河ドラマって21世紀になってから一度も見たことがないのだが――
その成否がどうなるかだけでも、ちょっと見てみる気にはなるものだ。