偶然か何かの因果か――
つい先日渋谷暴動事件(1971年)で警察官を殺害した大坂正明が46年越しで逮捕されたばかりなのに、今度は三菱重工など連続企業爆破事件(1974~75年)の犯人で死刑囚だった大道寺将司が、5月24日刑務所で病死した。享年68歳。
三菱重工爆破事件(1974年、東京・丸の内)と言えば、8人死亡・重軽傷者165人を出すという、日本においては最大規模のテロ事件である。
彼は1987年にとっくに死刑判決を受けていたのだが、(冤罪の恐れがあるわけでもないのに)例によってと言うべきか、今の今まで生き長らえてきた。
彼は獄中で俳句を詠んで出版し、その一面「爆弾に人を殺すほどの威力があるとは思わなかった」という失笑ものの理由で再審を求め続けてきた。
(なお、彼の獄中句集『棺一基』は、2013年度の「日本一行詩大賞・俳句部門」を受賞している。
どうも日本の文学界には、犯罪者の文学活動を高く評価したい/賞を贈りたいという抜きがたい衝動があるようだ。)
しかしこのニュース、現代に生きる日本人にとっては、全くどうでもいい・知る価値もないニュースなのではなかろうか。
日本赤軍だの(北朝鮮にいる)よど号ハイジャック事件の犯人だの、今の日本人にはすっかり関心の対象外である。
よど号ハイジャック犯たちもこれから北朝鮮でボツボツ死んでいくのだろうが、そのたびにヤフーニュースに載りはするのだろうが、ほとんど全ての人にとって「ああ、そういう奴らもいたな」程度の感想しか引き起こすことはないだろう。
もちろん大道寺らのやったことは、見方によっては偉業ではある。
現代の爆破事件と言えば、そこらの愉快犯が爆破予告して(もちろん本当に爆弾を仕掛けているわけでもなく)学校を休校させたり職場から避難させるのが関の山――
あるいは(やっぱりそこらの老人が)手製爆弾で公園で自爆死するくらいである。
(2016年10月23日、「冤罪DV」を訴えていた栗原敏勝(72歳)が自宅と自家用車を時限装置で爆破したうえ、宇都宮城址公園で自爆死した。)
今だって大企業や官庁を爆破するくらいできそうであるが、素人はおろか生き残っているはずの極左過激派だってそんなことをやろうとしないのは、見方によっては退廃であり怠慢である。
もし今、三菱重工や間組(はざまぐみ)の本社が爆破されようものなら、それは大ニュースになるだろう。
しかし、やってやれないことはないはずなのに、今も残る過激派の皆さんはそんな気力も能力も持っていないかのようだ。
(あるいは高齢化しすぎて、爆弾を仕掛ける/持ち込むなどという動作自体ができないのか?)
それにしても、今も国際指名手配されている将司の妻・大道寺あや子(68歳)は、夫の死をどう思っているのだろう。
大道寺あや子と言えば、日本全国どこにでも貼ってある指名手配ポスターの一人――
田舎のバーに何人もいそうな「おばさんホステス」そのものの容貌で、絶大な知名度と印象度を誇る。
しかし、この手配写真に載っている人たち、今となってはことごとく「どうでもいい人たち」である。
北朝鮮や世界各地に散らばっている彼らは、自分たちが現代日本人の興味も関心もさっぱり引かない、老残の身となって死んでいくことにどんな感慨を覚えているだろう。
革命の季節は過ぎ、爆破に燃えた日々は遠く去り、若き情熱も老いぼれた身とともにほどなく滅びる。
そして何より彼らのやったことも抱いた思想も、人の記憶からまるで何事もなかったかのように消え失せてしまう。
それを掘り返してみるのはただ、少数の好事家のみ。