プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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今度は「#図書館辞めたの私だ」 その1 「安い値段でいいものを」の帰結

 「#保育園落ちた日本死ね」「#保育園落ちたの私だ」「#保育園辞めたの私だ」に続き、今度は「#図書館辞めたの私だ」というのが出てきた。

 非正規の図書館員が手取り月給10万円程度であり、それなのに大きな責任・仕事量を割り振られるブラックな職場であるとの内容である。

 ちょうどつい先日、次の記事を書いた。

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 「#図書館辞めたの私だ」「#保育園辞めたの私だ」は、この記事によく当てはまるように思える。

 いい図書館・いい保育園を作ろう/維持しようと思えば、もちろん経費がかかるのである。それが公立だとすれば、もちろんより多くの税金を投入せねばならないのである。

 いい人材・有能な人材を求めようとするなら、給与を高くせねばならない。これはあまりにも当たり前すぎる。

 しかし、なぜそうではないのか。ここでは図書館員に限定して見てみよう。


 さて、ここでいう「非正規の図書館員」とは、「司書資格を持つ非正規図書館員」ということだろう。

 司書は図書について専門的な知識を持ち、よい図書館運営には欠かせない存在とされる。

 そこまでは言わないにしても、それはいる方がいないよりいいだろうとは誰でも思う。

 しかしながら、現実には図書館に司書は必要でない。

 これには二つの意味があり、一つは法的に図書館に司書の必置義務はないこと。

 もう一つは、実際的及び利用者意識的に、別に必要とはされていないことである。 

(なお私は図書館に行くことはなく、もっぱら古本屋やamazonで安い本を買う。

 自分の読みたい本が近くの公立図書館にあることはあまりないし、何より所有欲がそうさせる。)

 
 図書館利用者が図書館司書に求めるのは、おそらく十のうち九までは「○○という本はありますか?」「××についての本はありますか?」という質問に答えてくれることだろう。その本のところまで案内してくれることだろう。  

 そしてこれは、コンビニ店員や百円ショップの店員に求められていることと全く変わらない。

 司書には専門性があると言うなら、コンビニ店員にも百円ショップの店員にもその店舗についての専門性があると言える。

 結局利用者にとってみれば、司書の持つ専門性とはその程度のことなのである。

 そしてもちろん、コンビニ店員や百円ショップの店員が専門職であり高い給与を払って然るべきだとは、ほとんどの人が言わないし思ってもいない。

 ああいう職は当然バイトであり、賃金はそんなに高くないのが当たり前だと思っている。(現実にそうだということが、「そうあるべき」にまで変化しているとも言える。) 

 だから図書館司書だって、非正規で賃金が低いのはそんなにおかしなことではない。

 そして実際、そんなことが半ばわかっててもその職に就きたい人は多いのだ。こんなことで賃金が上がるわけはなかろう。


 しかしここで思うのは、だったら世の中のほとんどの仕事は「専門性」などないんじゃないかということである。

 端的に言えば、全ての労働者が非正規で(安いバイトで)いいんじゃないかということである。

 だって、それしかなければ正社員との待遇格差なんて問題もなく――

 それでもみんなそういう職に就こうとするのだから(安いバイトの非正規しか選択肢はないのだから)、何の問題があるだろう?

 そんなことをすれば日本で働く人はいなくなる(労働者が海外に流出する)とか言ったって、日本を出て働く根性・度胸のある日本人なんてあまりいなさそうなのは、みんなわかっているではないか?


 私が経済学に詳しくないのは(正直、その数字やグラフが全然わからないのは)認めなくてはならないが――

 労働界が“みんな非正規”になっていないのは、やはり「いい人材を集めるには給与を高くしなければならない」原則があるからに違いない。

 そして、日本(及び世界)の全ての会社が「雇うのは全て非正規にしよう」とカルテルを結ぶのが不可能だからに違いない。
 

 しかしそれでも、「安い賃金で有能な人材を使いたい」というのは経営側の永遠不滅の願望である。

 そして当然かつ合理的な欲求でもある。

 これはもう絶対的な真理・原則であって、たとえ低賃金の非を鳴らす人・それに共感する人であっても――

 ひとたびひょんなことで経営者・経営側になってしまえば、絶対にそうしたくなるのである。

 しかもそれは、市場及び納税者の願望・要求でもあるのだ。