プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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森友学園と「政治家への陳情」-これが平均的な日本人像?

 渦中の森友学園について、ついに国有地の払い下げに関し政治家へ「口利き」を頼んでいた事実が明らかになった。

 3月1日の衆議院予算委員会共産党小池晃書記局長が、某自民党議員事務所の作成した森友学園からの陳情記録メモの存在を明らかにし――

 その自民党議員とは、鴻池祥肇(こうのいけ よしただ)参議院議員であったことも公表したのである。

 鴻池氏はこれに応え、メモの作成と陳情があった事実を認めた。

 そしてもちろん、本件に関して財務局・財務省へ圧力をかけたとか介入したとかいうことはなかったと否定している。

 このことについては産経ニュースが3月1日付で、鴻池氏へのぶら下がり会見の全文をネットに掲載している。

www.sankei.com


 これを読んでまず感じるのは、鴻池氏は(今76歳だが)良く言えば豪放磊落、悪く言えばそこらの柄の悪いオッサンのような話し方をする人だということである。

(彼の事務所員は、彼のことをホントかどうか「おやっさん」と呼ぶらしい。何とも昭和30年代的な雰囲気ではないか。)

 籠池理事長夫妻は兵庫県議を通して鴻池氏に面会し、妻の籠池諄子氏(塚本幼稚園の副園長)は――

 「白い封筒」を“オーオーと泣いて出しよった”らしい。(「気持ち悪いやろ」と鴻池氏は続ける。)

 むろん鴻池氏でなくても、その中身がカネ以外の何物でもないことは一瞬でわかる。

森友学園側は、これは挨拶としての「商品券3万円分」だったと説明している。)


 鴻池氏はプライドを傷つけられ、「無礼者!」と中も開けずにそれを投げ返し席を立ったそうである。

 まるで戦前を舞台にしたドラマの話を聞いているかのようだが、しかし、作り話とは言えないようなリアリティも感じてしまう。たぶんこれは、本当の話なのだろう。

 鴻池氏は「あんなん教育者にしたらいかん。幼稚園も閉じた方がいい」とも言っている。

 そして「政治家の事務所の宿命で、いろんな人が来る」とも言っている。

 私もあなたも、これは真実だと認めざるを得ないだろう。


 役所との交渉が難渋している時をはじめ――

「何かあったら議員(政治家)に頼め」というのは、むしろ日本人の平均的な考え方と言える。

 何かあったら議員に頼め、議員に頼めば効く、議員とはそのためにいる、口利きするのが議員の仕事、それを受けなくて何の議員か、そんな議員は役にも立たん……

 これが世の中の常識とまでは言わないが、しかし広く一般に広まった「庶民感覚」だということは、きっとあなたも認めると思う。

 そしてこんな風なのだから、議員やそのスタッフの側が「いい加減にしろよ」「またヘンなのが来たよ」「めんどくせぇなぁ」とたびたび感じることがあるのも、当然至極のことである。

 籠池理事長夫妻は鴻池氏の事務所に対し、「上から政治力で早く結論が得られるようにお願いしたい」「土地価格の評価額を低くしてもらいたい」などとの露骨な陳情を2013年に9回、2014年に4回はやっていたようだ。

 案の定陳情記録メモには、事務所員の書いた「どこが教育者やねん!」「不動産屋と違いますので。当事者間で交渉を!」との書き込みもあったとのこと。

(しかし、記録メモにこんな“感情・感想”を書き込むのは、日本人の感覚としてはかなり異例である。

 鴻池氏の事務所って、やはり相当に下町的なアットホームな雰囲気があるのだろうか。)


 私には鴻池氏のぶら下がり会見は、かなり説得力があるように感じる。(つまり、ありそうな話だと感じる。)

 政治家・議員というものの日常生活の一端を、かなりのリアリティと率直さをもって語っていると思う。(本当のことを言っているならば当然だが……)

 学園のパンフレットに勝手に自分の写真を使われたりとか、確かにそういうことはありがちだと思う。

 そして、それでも陳情を完全無視することはできないから、事務所から近畿財務局に「こういう話があった」と伝えることも理解できる。

 一方でそのこと自体が、「国会議員の絡む案件だ」と近畿財務局を緊張させ、「配慮しなくちゃ」という気を起こさせるのもわかる。

 あなたはまっとうに「政治家の口利きなんてとんでもない、それで何かが動くのも許せない」と思うかもしれないが――

 しかし、まさにあなたの勤める会社、あなたの親や親戚連、友人や近所の人々が、議員・政治家に口利きを依頼するなど絶対にないと断言することもできないだろう。

 これはもう日本の文化の一つであり、風土とも呼べるものである。

(もっとも、「議員」というものが存在する国では、たぶんどこでもこんな風土はあるのだろうが……)


 なお陳情記録による限り、森友学園の鴻池氏への陳情は、途中で途切れたようである。

 ただし2014年と2015年には、それぞれ10万円の政治献金があったようだ。(鴻池氏はそれを返却しろと指示したとのこと)
 
 国会議員を動かすのに年10万円とは、あまりにも少なすぎると誰もが感じる――

 そしてこの少なさこそ、森友学園が「他の政治家にも」政治献金ないし個人献金していたことの状況証拠になるのだろう。

(そうなると当然、議員一人あたりへの配分額は少なくなるからだ。)
 

 ところで不思議なのは、(私がニュースをよく見てないせいかもしれないが)

 なんで自民党重鎮議員の事務所のメモが、共産党の手に渡ったのかということである。

 鴻池氏側がわざとリークしたのでなければ、どうやって入手することができたのだろう。

 これは、「共産党恐るべし」と感じるべきことなのだろうか……?

森友学園と街宣右翼、「真の逆賊は誰なのか?」

 森友学園の運営する塚本幼稚園についてのニュースを、NHKのネット動画で見た。

 それは民進党議員が本日国会質問したときのネタになったもので、幼稚園の昨年の運動会を映したものであった。

 選手宣誓で幼稚園児の男子女子4人が右手を挙げ、

「安倍首相頑張れ、安保法制、国会通過よかったです。日本頑張れ、エイエイオー」

 と唱和している。

 またこの映像にはなかったが、

「日本を悪者として扱う中国、韓国が心を改め、歴史でウソを教えないようお願いします」  

 とも唱和させていたとのこと。


 幼稚園児の可愛い声で言えばどんなことを言おうとも可愛く聞こえる、というのは確かにそうだ。

 しかしこれ、さすがに安倍首相自身もビックラこいたのではなかったかと思う。

 そして私は、「うーむ、キモい、キモ過ぎる」と思わざるを得なかった。

 ここまで行くと、そんじょそこらの宗教団体も顔負けのカルトぶりである。

 幼稚園児に「安保法制国会通過よかったです」と言いましょうと指導するなど、いったいどういう感性からそんな発想が出てくるのだろう。

 この子たちの親御さん、いかに「そういう幼稚園だと知ってて」子どもを入園させたのだとしても、本当にこんな光景を見てニコニコしたりジーンときたりしてるのだろうか?

 確か産経新聞社から出ていた本だと記憶しているが、1970年代の中国の「紅衛兵」(こうえいへい)について述べた節で――

「年端もいかない子どもに政治的活動・発言をさせる連中に、ロクなのがいない」との意味の文章があった。

 私はこれに、全く同意するものである。

 重ねて言うが、「日本頑張れエイエイオー」は措くとして、「安保法制国会通過よかったです」などと運動会の選手宣誓のとき幼稚園児に言わせるなんて、とてもまともな日本人の発想とも思えない。

 一応フォローしておくと、NHKネット動画で見る籠池泰典理事長は、別にそんなにトチ狂った変人のようには見えなかった。

 ごく普通の常識人のように落ち着いた口調で、いかにも良識ある教育者然としている……と言えばそうである。

 しかしやはり、人間、外見だけでは判断できない。 

 この人が幼稚園児に「安保法制国会通過よかったです」と言わせているのだから、全く世の中、油断も隙もあったものではない。

 それにしてもこの人、どうしてこんなにも安倍首相に傾倒しているのだろうか。 

 幼稚園児にあんなこと言わすなんて、よっぽどの安倍首相支持者や安保法制支持者でもドン引く人が多いだろうに……

 そして――

 安倍首相に対してさえもこうなのだから、天皇誕生日や昭和の日など、いったいどんな儀式が行われているのかと興味を持つのは不謹慎だろうか?


 籠池理事長は(このたびの一連の報道のこともあり)生徒集めに苦戦しているのを認めているらしいが、それも当然のことである。

 こんなことさせる幼稚園・小学校に我が子を入園させようなんて、よっぽど奇特な父兄だろう。

 たぶん本件に関して今なお森友学園を擁護する人たちも、いざ自分自身の子のこととなると――

 たとえこの幼稚園や小学校が自宅のすぐ近くにあったとしても、行かせるつもりはサラサラないものと思われる。


 また世間一般について言うなら、太平洋戦争敗戦からずっと続く「国民の通念」が、本件によってまたしても固まってしまったと言えるだろう。

 その国民の通念とは、「天皇陛下万歳とか愛国とか声高に唱える奴は、コワくてロクなもんじゃない」というものである。

 私は子どものことから思ってきたが、あの街中をデカい黒い車で軍歌を大音量で流しながら走る、街宣右翼――

 あれを見て「おお、頑張ってる頑張ってる。自分も天皇陛下のため国のため命を捧げたい」などと感じる人が、はたして一人でもいるのだろうか?
 
 もちろんあれを見る人・聞く人は、「またロクでもないヤクザみたいな連中が走ってる」としか思うはずがないのである。

 はっきり言って彼らは、天皇とか愛国心というものに対する国民感情を、何十年にもわたって悪化させてきたと思う。

 「やっぱり愛国とか天皇とかはヤバいものだ」という心を、ずっと育んできたと思う。

 その意味で彼らこそ、とんでもない逆賊であり国賊だと言うべきではないだろうか?

 たぶん“まっとうな”愛国者天皇崇敬者は、ずっと彼らのことを苦々しく思ってきたことだろう。

(もしかしたら天皇陛下はじめ皇族方も、彼らのことを迷惑がっておられるかもしれない。)


 そして今回の森友学園もまた、「やっぱり“右翼”はロクなもんじゃない」との国民の通念を固めさせる役に立った。

 むろん安倍首相が、本件のことを迷惑がっているのは疑いない。

 なんだか、あえて安倍首相に同情的な表現をすると、「おかしなファンにつきまとわれたアイドル」のように見えるのである。


 先日の記事にも書いたが、私は森友学園のような教育で培養された「愛国者」が、真の愛国者とは思わない。

 そりゃ子どもの頃からこんな教育をしていれば、愛国者になるに決まっているのである。

 だからどうしたというのだろう、何の感銘があるのだろう。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 
 
 愛国心に限ったことではないが、思想も信条も学識も、自分の意志で選び取ったり作り出したりするものである。

 「子どもの頃から愛国教育を受けてきたから愛国者になりました」って、そんな胸を張って言うようなことか?

 そんなのを作り出したからって、誇りとするようなことなのか?

 
 ここに至ってなお、森友学園の教育方針を弁護する人に聞いてみたいが――

 あなたはもし「憲法九条を暗唱させる」幼稚園があったら、どう思いますか?

 それは「トンデモ幼稚園」で「カルト」だと、直ちにネットに書き込むのではありませんか?

 むろん私もこんな教育で培養された子どもたちを、「インチキ平和主義者」だと思う。カルト宗教の犠牲者だと思う。
  
 それをただベクトルが真反対というだけで森友学園を弁護するのは、当たり前に理にかなっていない。

 「憲法九条暗唱幼稚園」がカルトなら、「安保法制国会通過よかったです唱和幼稚園」もまたカルトと見なすべきである。

 前者がインチキ平和主義者養成施設なら、後者はインチキ愛国者養成施設と見なして然るべきである。


 そして街宣右翼たちも、軍歌を流して街を車で走るよりは――

 駅前のゴミ拾いでもした方がよっぽど国民の支持と天皇陛下への敬愛の念を得られるだろうに、いつになったらそういうことをするのだろうか?

(もしかして、やっている団体があったら申し訳ないが)

国有地9割引売却問題と「安倍晋三記念小学校」その6

(前記事からの続き)

(5) 近畿財務局と森友学園との交渉・面会記録は、すでに廃棄されていた。

 2月24日の衆院予算委員会で、財務省の佐川宣寿理財局長は、「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と説明した。

 何でも財務省文書管理規則では、これらの記録は「保存期間1年未満」に分類されるらしい。

 ちなみに財務省文書管理規則は、財務省サイトで見ることができる。

http://www.mof.go.jp/procedure/disclosure_etc/disclosure/kanrikisoku/bkanri20150401.pdf

 遺憾ながら私には、「(国有財産売却の)交渉・面会記録の保存期間は、1年未満とする」という記載を見つけることができなかった。(針をも通すような精読をしていないのは認める。)

 しかしおそらく、どこかにはそういう規定があるのだろう。

 「運用内規」というものがあり、そこで定められてはいるのだが、内規なのでサイトに載せていない“だけ”かもしれない。


 さてこのことは、本件国有地問題のハイライトである。

 率直に言って私には、佐川局長の言うことが全く信じられない。

 「廃棄したという行動」が信じられないのでなく、「廃棄されてこの世にもう無い」ということ自体が信じられない。

 これは、この報道を聞いた人の全員が等しく感じることだと思う。


 佐川局長は「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と言う。

 森友学園との売買契約締結は昨年(2016年)6月。今は2017年2月なので、保存期間は最短8ヶ月だったことになる。

 あなたの勤める会社にも、文書の保存年限というものは定められているかもしれない。

 しかし「保存年限5年」とされた文書(ファイル)が、10年経った今でも保管されているなどということは日常茶飯事のはずである。

 別に近畿財務局という特定官庁に限った話ではないが、人間は文書を捨てられないものだ。

 「1年前より前に作成した文書の99%は、もう使われることがない」とかいう話を、我々は確かに聞いたことがある。

 それは決して俗説ではなく、いろんな調査で確証された事実であることも頭ではわかっている。

(ちなみにこれは「ナレムコの統計」と呼ばれる。ナレムコ(NAREMUCO)はアメリカの記録学会の略称で、

 職場で実用される書類の90%は半年以内に作成したもの、99%は1年以内に作成したもの、たった1%が1年より前に作成したもの、

 というのがその統計結果である)


 しかしそういう知識をいくら研修で仕入れたとしても、人間はなお書類を捨てられない。

 「もし必要になったら」「その1%に当たったら」と思うと、定められた保存年限に公然と反旗を翻して(反論までして)いつまでも取っておきたいと願うものなのだ。

(もっとも、確かに、過去の書類が必要になることはそこそこあるような気もするが……)


 よって、近畿財務局が森友学園との交渉・面会記録を「保存期間1年未満」だからといって本当に1年未満で廃棄したなど、とても信じられる話ではない。

 さらに言えば、たとえ本当にそういう分類があるのだとしても、「保存期間1年未満」に分類された文書が今まで存在したのかどうかも極めて疑わしい。

 考えてもみよう、何かの文書を「保存期間6ヶ月」「8ヶ月」に分類してそのとおり廃棄するなんて、そんなことする組織がどこにあると思います?

 どんな書類であれ、保存期間1年未満に指定することなどほとんど考えられないだろう。そんな文書でも「1年」と指定するだろう。

 まして近畿財務局はれっきとした官庁である。

 もちろん日本のほとんどの官庁は文書の保存年限を定めているだろうが、本当にそれに従って確実に文書を廃棄しているところは、非常に少ないはずである。

(おそらく官庁こそは、日本で最も書類が捨てられない組織なのだ。)


 佐川局長は「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と言う。

 これは奇妙を通り越して支離滅裂である。

 いったい「売買契約を締結したら本件は完了だから、今までの記録は廃棄しよう」などと決めてある組織がどこにある?

 もちろん、売買契約書自体は(近畿財務局といえども)永久保存にするだろう。

 しかしそれまでの経過を廃棄するなんて、官庁ならずとも絶対にあり得ないことである。

 当然それまでの記録も何もかも、一件ファイルの中に一緒に綴じておくに決まっているのである。

 よしんば「契約書だけは残して、残りは保存年限が来たら捨てる」と決めてあったとしても、まだ1年も経ってないのにそんなことをするなんて、ほとんどこの世の惑星での話とも思えない。

 売買契約締結が2016年度(平成28年度)中ならば、どんなに最低でも2016年度中(すなわち2017年3月末)までは保管しておくに決まっている。

 それが普通かつ自然・当然な処理というものだ。

 もしこういう大問題にならなかったならば、森友学園への土地売却の一件ファイルは、20年でも30年でも保存されていた可能性が非常に高い。

 また、もし「いやいや、本当に廃棄したんですよ。この件に限らず、どんな書類でも決まり通りにちゃんと迅速に廃棄しているんですよ」――

 と言うならば、森友学園への売却以外の売却案件についても、そこに至るまでの経過記録は全て廃棄されているということになる。

 重ねて問うが、あなたはそんなこと本当に信じられますか?

 
 そしてまた思うのだが――

 仮に紙の文書が廃棄されていたとしても、パソコンで作った電子データは残っているはずである。

 言うまでもないが、紙の文書はパソコンで作ったデータを印刷して作られている。

 それなら作成した者のパソコンないしサーバの中に、電子データはあるはずなのだ。

 紙の文書は捨ててもデータは残しておくというのは、これまた世の中での日常茶飯事だからである。

(あなたも、あなたの会社も、きっとそうしているでしょう?)


 たとえ紙の文書が廃棄されたとしても、電子データはそのまま残っていた。これもきっと、こんな大問題にならなければずっとずっとパソコン・サーバに残り続けていたに違いない。

(それほどまでに人間は、“捨てる”ことに踏み切らないものだ。)

 おそらく今でも、電子データはどこかに――USBとかCD-ROMの中に――密かに保持されているのではないだろうか。

 誰かの自宅にでも、それは持ち帰られているのではないか。


 万一、本件についての検察による強制捜査が行われることになれば、当然パソコンのログの解析も行われよう。

 それでファイルの削除や移動の日時が明らかになるとすれば――

 私はむろんその日時は、本件が大問題になった後の日時である、という方に賭ける。


 きっと佐川局長は、「文書は廃棄した」と言おうものなら、上に述べたような反応を当然引き起こすとわかっていたろう。

 自分の話に無理があるというのは、重々承知の上だろう。

 まだしも「初めから記録を取ってませんでした」と言う方がマシだったかもしれない。

 それはとんでもなく杜撰でデタラメな仕事ぶりだと指弾はされたろうが、「廃棄した」と言うよりは、はるかに信じられることである。

 (部外者との面談をいちいち記録に取らないというのは、あり得ないことのようだが確かにあり得る=ありがちなことだ。)


 しかし佐川局長は、それでも「廃棄した」と言った。

 信じがたい話を、当然に「隠蔽工作」だと受け取られる話を、あえてした。

 つまりそれは、森友学園との交渉・面会記録に、いかに知られては困ることが書かれていたかの自白に等しいものだと思う。

 このことだけで、本件にはやはりドス黒い陰があると断定してよいと思えるのだ。

(もっとも私には、その背後に安倍首相がいるとは断定できない。

 今のところはまだ、「強引な客に財務局の人が譲歩し続けてきた結果」ではないかと感じている。)