(前記事からの続き)
(5) 近畿財務局と森友学園との交渉・面会記録は、すでに廃棄されていた。
2月24日の衆院予算委員会で、財務省の佐川宣寿理財局長は、「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と説明した。
何でも財務省文書管理規則では、これらの記録は「保存期間1年未満」に分類されるらしい。
ちなみに財務省文書管理規則は、財務省サイトで見ることができる。
http://www.mof.go.jp/procedure/disclosure_etc/disclosure/kanrikisoku/bkanri20150401.pdf
遺憾ながら私には、「(国有財産売却の)交渉・面会記録の保存期間は、1年未満とする」という記載を見つけることができなかった。(針をも通すような精読をしていないのは認める。)
しかしおそらく、どこかにはそういう規定があるのだろう。
「運用内規」というものがあり、そこで定められてはいるのだが、内規なのでサイトに載せていない“だけ”かもしれない。
さてこのことは、本件国有地問題のハイライトである。
率直に言って私には、佐川局長の言うことが全く信じられない。
「廃棄したという行動」が信じられないのでなく、「廃棄されてこの世にもう無い」ということ自体が信じられない。
これは、この報道を聞いた人の全員が等しく感じることだと思う。
佐川局長は「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と言う。
森友学園との売買契約締結は昨年(2016年)6月。今は2017年2月なので、保存期間は最短8ヶ月だったことになる。
あなたの勤める会社にも、文書の保存年限というものは定められているかもしれない。
しかし「保存年限5年」とされた文書(ファイル)が、10年経った今でも保管されているなどということは日常茶飯事のはずである。
別に近畿財務局という特定官庁に限った話ではないが、人間は文書を捨てられないものだ。
「1年前より前に作成した文書の99%は、もう使われることがない」とかいう話を、我々は確かに聞いたことがある。
それは決して俗説ではなく、いろんな調査で確証された事実であることも頭ではわかっている。
(ちなみにこれは「ナレムコの統計」と呼ばれる。ナレムコ(NAREMUCO)はアメリカの記録学会の略称で、
職場で実用される書類の90%は半年以内に作成したもの、99%は1年以内に作成したもの、たった1%が1年より前に作成したもの、
というのがその統計結果である)
しかしそういう知識をいくら研修で仕入れたとしても、人間はなお書類を捨てられない。
「もし必要になったら」「その1%に当たったら」と思うと、定められた保存年限に公然と反旗を翻して(反論までして)いつまでも取っておきたいと願うものなのだ。
(もっとも、確かに、過去の書類が必要になることはそこそこあるような気もするが……)
よって、近畿財務局が森友学園との交渉・面会記録を「保存期間1年未満」だからといって本当に1年未満で廃棄したなど、とても信じられる話ではない。
さらに言えば、たとえ本当にそういう分類があるのだとしても、「保存期間1年未満」に分類された文書が今まで存在したのかどうかも極めて疑わしい。
考えてもみよう、何かの文書を「保存期間6ヶ月」「8ヶ月」に分類してそのとおり廃棄するなんて、そんなことする組織がどこにあると思います?
どんな書類であれ、保存期間1年未満に指定することなどほとんど考えられないだろう。そんな文書でも「1年」と指定するだろう。
まして近畿財務局はれっきとした官庁である。
もちろん日本のほとんどの官庁は文書の保存年限を定めているだろうが、本当にそれに従って確実に文書を廃棄しているところは、非常に少ないはずである。
(おそらく官庁こそは、日本で最も書類が捨てられない組織なのだ。)
佐川局長は「売買契約の締結をもって、この事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」と言う。
これは奇妙を通り越して支離滅裂である。
いったい「売買契約を締結したら本件は完了だから、今までの記録は廃棄しよう」などと決めてある組織がどこにある?
もちろん、売買契約書自体は(近畿財務局といえども)永久保存にするだろう。
しかしそれまでの経過を廃棄するなんて、官庁ならずとも絶対にあり得ないことである。
当然それまでの記録も何もかも、一件ファイルの中に一緒に綴じておくに決まっているのである。
よしんば「契約書だけは残して、残りは保存年限が来たら捨てる」と決めてあったとしても、まだ1年も経ってないのにそんなことをするなんて、ほとんどこの世の惑星での話とも思えない。
売買契約締結が2016年度(平成28年度)中ならば、どんなに最低でも2016年度中(すなわち2017年3月末)までは保管しておくに決まっている。
それが普通かつ自然・当然な処理というものだ。
もしこういう大問題にならなかったならば、森友学園への土地売却の一件ファイルは、20年でも30年でも保存されていた可能性が非常に高い。
また、もし「いやいや、本当に廃棄したんですよ。この件に限らず、どんな書類でも決まり通りにちゃんと迅速に廃棄しているんですよ」――
と言うならば、森友学園への売却以外の売却案件についても、そこに至るまでの経過記録は全て廃棄されているということになる。
重ねて問うが、あなたはそんなこと本当に信じられますか?
そしてまた思うのだが――
仮に紙の文書が廃棄されていたとしても、パソコンで作った電子データは残っているはずである。
言うまでもないが、紙の文書はパソコンで作ったデータを印刷して作られている。
それなら作成した者のパソコンないしサーバの中に、電子データはあるはずなのだ。
紙の文書は捨ててもデータは残しておくというのは、これまた世の中での日常茶飯事だからである。
(あなたも、あなたの会社も、きっとそうしているでしょう?)
たとえ紙の文書が廃棄されたとしても、電子データはそのまま残っていた。これもきっと、こんな大問題にならなければずっとずっとパソコン・サーバに残り続けていたに違いない。
(それほどまでに人間は、“捨てる”ことに踏み切らないものだ。)
おそらく今でも、電子データはどこかに――USBとかCD-ROMの中に――密かに保持されているのではないだろうか。
誰かの自宅にでも、それは持ち帰られているのではないか。
万一、本件についての検察による強制捜査が行われることになれば、当然パソコンのログの解析も行われよう。
それでファイルの削除や移動の日時が明らかになるとすれば――
私はむろんその日時は、本件が大問題になった後の日時である、という方に賭ける。
きっと佐川局長は、「文書は廃棄した」と言おうものなら、上に述べたような反応を当然引き起こすとわかっていたろう。
自分の話に無理があるというのは、重々承知の上だろう。
まだしも「初めから記録を取ってませんでした」と言う方がマシだったかもしれない。
それはとんでもなく杜撰でデタラメな仕事ぶりだと指弾はされたろうが、「廃棄した」と言うよりは、はるかに信じられることである。
(部外者との面談をいちいち記録に取らないというのは、あり得ないことのようだが確かにあり得る=ありがちなことだ。)
しかし佐川局長は、それでも「廃棄した」と言った。
信じがたい話を、当然に「隠蔽工作」だと受け取られる話を、あえてした。
つまりそれは、森友学園との交渉・面会記録に、いかに知られては困ることが書かれていたかの自白に等しいものだと思う。
このことだけで、本件にはやはりドス黒い陰があると断定してよいと思えるのだ。
(もっとも私には、その背後に安倍首相がいるとは断定できない。
今のところはまだ、「強引な客に財務局の人が譲歩し続けてきた結果」ではないかと感じている。)