最も強硬な生活保護反対論者にしても、「病気や障害で働けない人」を生活保護することには反対しないだろう。
たまたま不幸にも、災害や事故や失業で「一時的に」収入がなくなった人についても同じだろう。
しかしそうでない場合――五体満足で充分働けそうなのにもかかわらず、そうしようとする意欲がない人。これをずっと生活保護することには、反対するに違いない。
まして彼が、一般的には浪費と見なされることに保護費を使って「のうのうと暮らして」いれば、そういう生活をずっと続けようとしているように見えれば、である。
ところで私には、ずっと前から疑問に思っていたことがある。
それは、「生活保護者は働けよ」と言う人・思っている人は数多いが、じゃあその人が雇う立場なら生活保護者を雇うのだろうか、という疑問である。
世の中には、五体満足だろうが外見は「普通」に見えようが、誰もまともに雇おうと思わないような人がいる――
これは厳然たる事実ではないだろうか?
病気・障害・その他の不幸で収入のない人を保護していくのには、(たぶん)みんな異論がない。
真の論点は、「そうではないが、誰も雇おうとは思わないような人を税金で(他人のカネで)保護していくべきか?」ということのはずだ。
私は、こういうことこそ国民投票で決めるべき事柄なのではないかと思う。
そしてまた私個人としては、「誰も雇おうと思わない」人というのは、生まれながらにそういう“障害”を持っているというのとほとんど同じではないかと感じている。
さて、最後に述べるのは、憲法や生活保護法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」とは、それを営む権利というのは、いったいどういうことを指しているのか、という点である。