文部科学省は今年2月、中学校社会の次期学習指導要領(2021年度導入)において――
従来の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」とし、「鎖国」は「幕府の対外政策」と変更することを公表していた。
しかし今月末に告示予定の最終版では、これらを元に戻す(変更しない)方向で検討しているとのことだ。
変更しようとした理由は「最近の歴史研究成果を反映させたため」で、変更しないこととした理由は「一般からの意見公募で、わかりづらい/教えづらいとの意見が多かったため」らしい。
これだけ見ると即興的に思うのは、「悪しき民主主義に迎合した」という感想である。
歴史研究も科学も、多数決で決まるのではない。一般庶民にわかりにくいからと言って真実を曲げて教えるのは、衆愚政に他ならない――
と反射的に思いたくなるような話である。
しかしこれについて私は、やっぱり「変更しない」方がよいと思っている。
もっと正確に言うと、変更すべきだという声の方が“ウサン臭い”と感じている。
まず聖徳太子については、そもそも「聖徳太子非実在説」というのがある。
聖徳太子だろうと厩戸皇子だろうと、まさにそういう一個人が架空の存在だという説である。
しかしさすがに、これは定説とまでは行っていない――ではなぜ「聖徳太子」と呼ぶのが間違いなのかといえば、彼の生前にはそう呼ばれていなかったからだという。
なんだか納得しがたい話だ。
生前にそう呼ばれていなかったからダメだというなら、歴代天皇名だって全部そうである。
我々は歴史教科書で「昭和天皇」と呼ばず「裕仁天皇」と呼ぶべきだろうか。
後鳥羽上皇はもちろん生前は後鳥羽なんて名(これは、死後の諡(おくりな)だ)で呼ばれていなかったのだから、何と呼べばいいのだろう。
そして“正しい名”で呼ぶべきだというのなら、スターリンもレーニンも本名で教科書に書くべき(と、主張すべき)ではなかろうか。
(この2人の本名については、ウィキペディア参照のこと。)
そして「鎖国」についてだが――
「江戸時代は決して鎖国じゃなかった、長崎などを通じて確かに世界に窓は開かれていた、江戸時代の人間に国を鎖(とざ)してるという意識はなく、強いて言えば“海禁政策”だった」
などと表紙やオビに書いてある本がゴマンと出ているのは、みなさんもご存じのとおり。
しかしみなさん、そういう話を聞いても読んでも、こう思わなかったろうか――「だから、それを鎖国と言うんじゃないのか」と。
私もやはり例に漏れず、「いや、これ、閉ざしてるだろ」と思った人間である。
長崎だけで限られた国だけに貿易を許し、しかも日本人の海外渡航・海外からの帰国は禁止する。
これは「国を鎖す」という表現がピッタリであるし、素晴らしい表現であるし、そうとしか言いようがないんじゃないかと思っている。
そしてついでに、もう一つ。
鎌倉幕府の成立が、今は1192年(いい国つくろう鎌倉幕府)でなく1185年(いい箱つくろう鎌倉幕府)とされていることについてだが、これも非常に疑わしい“新しい常識”だと感じる。
1192年が鎌倉幕府成立の年とされてきたのは、その年に源頼朝が征夷大将軍に任命されたためである。
それが1185年になったのは、その年に頼朝が全国への守護・地頭の設置権を得たため――
つまり“実質的に”幕府が成立したからその年の方が相応しい、というのが歴史学の中で通説になったかららしい。
そこで誰でも不思議に思うのは、では江戸幕府の成立年はいつなのかという話だ。
江戸幕府の成立年は、いまだ1603年とされている。それは徳川家康が征夷大将軍に就任した年である。
しかし征夷大将軍への任命は「形式」で、「実質」の方が大事というなら、江戸幕府が実質的に成立したのは1600年(家康が関ヶ原の戦いで勝利)になるのではないか?
いやいや逆に、家康が豊臣家を滅ぼした1614年(大坂夏の陣)に繰り下がるのではないか?
私にはやはり、守護・地頭の設置なんかより、頼朝の征夷大将軍就任の方がはるかに歴史的意義が大きい――
よって鎌倉幕府の成立年は1192年であるべきだと思っている。
頼朝は別に征夷大将軍を望んだわけではなかったらしいが、そして将軍就任で新時代が開いたという意識はなかったかもしれないが、以後“征夷大将軍になった者が幕府の創始者とされる”前例を開いた意義は、ものすごく大きい。
(だいたい今の我々も、「征夷大将軍になった者の子孫が継ぐ世襲政権」のことを「幕府」と呼び、それに何の疑問もないのだから。)
しかし、では、なんでこのような「常識」が歴史学会では誤りとされ、修正すべきだと言われているのだろうか。
これは、少なからぬ人数が思っていることと思うが……
そこには、歴史学者の功名心が絡んでいるのではないだろうか?
というのも、「常識」や「通説」に沿った解説書・研究論文を書いていても、名は上げられないからである。
名を上げようと思うなら、名を残そうと思うなら、(何十冊もの本のオビに書いてあるように)「通説を覆す!」ことしかない――あるいは手っ取り早いからである。
通説を否定する論は、学会ではともかく商業本にすればウケる(売れる)ものである。
そもそもそういう本でないと、出版社は商業出版しようと思わない可能性が多分にある。
本が売れれば知名度が上がり、知名度が上がるということは現代では権威が増すことを意味する。
そして権威が上がれば、やっぱり学会でも威信が増すのではなかろうか。
これにより、学会での地位の向上が見込めるのではないだろうか。
学会という世界でのヒエラルキーは、(たぶん)学校や会社でのそれよりはるかに硬直的なものなのだろう。
普通に研究活動していては、上にのし上がるのはかなり難しいことなのだろう。
言ってみれば「下克上」を狙い、初めから通説に反する/否定する研究をしてやろうともくろむのは、人間として自然な感情だと思うのである。
確かに、通説を追認するだけでは学問の進歩はない。(だいいち、やっている本人自身が面白くない。)
しかし我々は、「通説を覆す」とウリ文句の書いてある本を見るとき――
「そんなにしょっちゅう通説を覆すようなことがあるのか」と疑ってかかるべきかもしれない。
それは超常現象をまるきり否定はしないが、そんなにしょっちゅう超常現象が起こっているとは容易に納得しないのと同じ態度である。
なんだか「通説を覆す」本を読むたびに「そうだ」と得心するのは、UFO本に書いてあることを全て「そうだ、本当にあったんだ」と感じるのと同じようなことの気がする。
さて、江戸幕府のはじまりが「1600年」とされる日はやってくるだろうか?
そういう主張をする歴史学者が出てこないなら、鎌倉幕府に対する態度と明らかに矛盾していると思うのだが……
(もっとも、「幕府のできた年」などというものはない、そんなのを決めようとするのはナンセンス、という学者は何人もいそうだが……)