プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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韓国・徴用工勝訴判決で新日鉄住金に賠償命令-法を司る裁判所こそ「治外法権」及び「大仁田厚の引退論法」との類似

 10月30日、韓国の大法院(最高裁)は、第二次大戦中に日本に徴用された工員4人の訴えについて――

 1人当たり1億ウォン(1000万円)の支払いを、新日鉄住金(昔の新日本製鉄)に命じる判決を下した。

 もちろん日本政府はこれを厳しく批判し、駐日大使を呼んで抗議もしている。

(⇒ 時事ドットコム 2018年10月30日記事:新日鉄住金に賠償命令=徴用工訴訟で韓国最高裁-河野外相、大使呼び抗議)

(⇒ 聯合ニュース 2018年10月30日記事:徴用工訴訟の原告勝訴 韓国首相「司法の判断を尊重」)

(⇒ 産経新聞 2018年10月30日記事:日本企業撤退、投資減少…韓国、経済への影響不安視 徴用工勝訴)

(⇒ 産経新聞 2018年10月30日記事:徴用工訴訟 歴代韓国政府見解は「解決済み」、現政権と与党困惑)

 
 さて、この件の詳しい内容は、上記記事を読んでいただくとして……

 私がまず思うのは、(日本でも韓国でも)裁判所や裁判官、果ては裁判所に事務職で勤務しているだけの人にとっても、

 「裁判所は三権分立だから特別だ、つまり治外法権だ」

 という意識があるのではないか、ということである。

 これは推測に過ぎないが、きっと日本でも――

 政府機関から経費節減を求められた裁判所は、「ウチは三権分立ですから」とニベもなく断る、なんてことが結構ザラにあるような気がする。

 そして実際、三権のうちの立法(政治家)と行政は何かあればすぐさまボロクソに叩かれるが、司法たる裁判所が国民やマスコミからボロクソ叩かれることはほとんどない。
 
 それがますます、裁判所関係者の治外法権意識を増長させている、と推測するのは行き過ぎだろうか。

 たぶん韓国でも、裁判所関係者にこういう意識はあると思われる。

 つまり、


「1965年の日韓請求権協定なんて関係ない。

 
 それは政府が、つまり政治家と行政が勝手にやったこと。

 ウチは治外法権なんだからそんなの関係なく判決を下せる」


 という意識である。

 これが根底にないなんてことは、ちょっと想像しがたいことだ。

 むしろ韓国の政権は、こういう日本への損害賠償請求の動きを極力抑えようとしていたという。

 だったら日本政府に呼ばれて抗議された駐日大使も、「オレにそんなこと言われてもね」と思っても無理はない。

 抗議するのはむしろ、韓国の政府にではなく大法院に対してだろう。


 ところで次に思ったのは、全然脈絡はないのだが、プロレスラーの大仁田厚のことである。

 大仁田厚61歳は昨年「7度目の引退」を行い、

 しかし今年になって世界初の「ボランティアレスラー」(ギャラはもらわず1000円だけもらう)として活動することを宣言、

 10月28日の鶴見青果市場大会で復帰を飾った。(電流爆破マッチで勝利した。)

(⇒ 2018年9月29日記事:大仁田厚「ボラレスラー」として7度目の復帰-大仁田の引退と復帰は棚橋の「愛してま~す!」?)

 
 ただ大仁田厚、来年1月にはイギリス、4月にはニューヨークに海外の団体に呼ばれており、そこではギャラをもらうという。

 それじゃ「プロレスラーじゃなくボランティアレスラーだから、プロレスラー引退と言ったのはウソじゃない」という理屈はウソじゃないか、という問いに対し、大仁田の答えは


「海外は治外法権

 日本では確かにプロレスラーは引退してボランティアレスラーだが、

 海外では引退してないからプロレスラーとして活動する」


 というものであった。

www.hochi.co.jp


 もちろん、韓国の大法院が今回の判決に当たって大仁田厚のこの理屈?を参照した――

 なんてことは絶対にない。

 しかしその根底の思想に「治外法権」というものがある点において、韓国大法院と大仁田厚は実によく似ている。

 
 「むろん」というか「なし崩し」というか、プロレス界は大仁田厚を許す。(今度こそつくづく呆れるファンは多かろうが……)

 しかしそれは大仁田だから、6度も引退と復帰を繰り返した名物男だからこそ、許される。

 では韓国は、大仁田になれるか。

 国家間で請求権放棄の約束を交わしたのに、それを反故にしてなお世界から許されるか。

 国際社会はそうそうプロレス界ほど甘くない、と普通の人間なら誰しも思うところである。


 だがそれでも、韓国がどうなろうと、やっぱり韓国の裁判界は「ウチは治外法権」だと思い続けるだろう。

 裁判界は世間に叩かれることもなく、もちろん政治と行政の責任も負わない。

 ある意味、世の中で最も羨ましい世界である。

 しかしそれが永遠に続くのかと言えば、そんなこともないのだろう。