プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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銃剣道の普及のために-それは「最強最新の武道である!」とアピールする

 さて私は銃剣道の愛好者でも何でもないのだが、今はマイナージャンルである(としか言いようがないだろう)銃剣道が普及・発展するための案をいくつか出してみたい。

 まず何と言ってもネックなのは、「銃剣道」「銃剣」という言葉の響きの悪さである。

 銃剣なんて世界中の軍隊が採用してきたのだが、しかし現代日本人が銃剣と聞いて思い出すのは、一も二もなく旧日本軍のことなのだ。

 おそらくこれは、日本とアメリカが昔戦争したことさえ知らないような若者でも、やっぱりそうなのではないかと思えるほど強烈なイメージである。

 そしてむろん、「旧日本軍=銃剣=他国への残酷な仕打ち=悪の象徴・軍国主義の象徴」といった公式が頭の中で描かれることになる。

 それが左翼に凝り固まったイメージだとしても、では他に思い浮かぶ公式と言えば――

「旧日本軍=銃剣突撃=バンザイ突撃=精神主義=兵士が死ぬばかりで勝てない」という、どうにもこうにもマイナスイメージなものでしかない。

 そう、「銃剣突撃」は、旧日本軍の象徴であり名物である。

 銃剣突撃と聞いてイギリス軍や中国軍、アフリカのどこかの軍隊を連想する日本人はほぼ一人もなく、絶対間違いなく旧日本軍を思い浮かべる。

 しかしこれ、逆に言えばスゴいイメージ喚起力ではないだろうか?

 そしてこれは、「銃剣道なんて武道ではない。そもそも明治以後に西洋から入ってきたものじゃないか」という論に対する、強力な反証にもなっている。

 だって少なくとも現代日本人の間では、銃剣と言えば日本なのである。

(つまりある意味、日本を最も象徴する武技とさえ言える。)

 これはもう、「新しい伝統」とでも言うべきではないか?

 そこで二つ、銃剣道を世界にアピールするフレーズが思い浮かぶ。


(1)銃剣道は「日本最新の武道」である。

(2)銃剣道は「和洋融合の武道」である。


 実際、海外展開することは銃剣道にとって、最も有効な普及手段ではないかと思われる。
 
 例えばその英語名称を、


(3)「ガンソード・ファイティングアーツ」もしくは「ライフルソード・ファイティングアーツ」とする。


 というのはどうだろう?

 もちろんこれは、ふと思いついた和製英語に過ぎない。外国人にとって滑稽に聞こえるのかどうか、私は知らない。

 しかし「日本には、剣道・弓道などと並ぶ最新・独自の武道、ジューケンドーというのがあるらしい」 

 と外国人にアピールするのは、まんざら効果がないわけでもあるまい。

(偶然だが、ブルース・リーの創始した「ジークンドー截拳道)」と極めて音が似通ってもいる。)

 あの銃剣がブドーになるのか、と意外性を感じ、そこから銃剣道を習い始める外国人だって皆無ではないのではないか?

(だって外国には、「忍術」を習う人が結構いるのだから……)


 そして日本においては、海外で銃剣道をたしなむ外国人の姿を映像で流す――つまり逆輸入するのである。

 日本人は外圧に弱い、と言われるが、「海外で大ヒット!」というフレーズに弱い面は確かにある。

 外国人が大勢習っているのであれば、日本人が「銃剣」に抱く悪いイメージも緩和されることが期待される。

 そして国内向けとしては、


(4)銃剣道の「カッコ良さ」と「実用性」及び「最強説」をアピールする。


 のがよいかもしれない。

 そもそも銃剣とは、クールな最強性を人に(男子に)抱かせて然るべき武器である。

 なにせ「銃」と「剣」という、人類史上の二大武器――それも映画やゲームで大活躍する大人気の武器が、合体・融合しているのだから。

 ヨーロッパの戦場から槍兵を駆逐したのは、銃剣の登場と普及だった。

 火器以外の武器で最強なのは「槍」であるとよく言われる(刀はその足下にも及ばないとされる)が、銃剣はそれすらも消滅させた。

 タマも撃てるし剣・槍の代わりになるともなれば、これはもう最強と言って当然ではないか?


 そして前記事で述べたように銃剣道は事実上、道具を使う武道としては、剣道・なぎなたよりもはるかに護身術として有効だと思われる。

 「突く」という動作に特化し、基本的には非常にシンプルで習得しやすいからである。

(むろん、バカみたいに簡単だという意味ではない。)

 「実戦では“斬りつける”なんて動作は通用しないのじゃよ、お若いの」

 とか銃剣道の達人老師が微笑んで言う格闘漫画があれば、それはそれで結構リアリティを感じるのではないだろうか?

(ちょっとこれは、自信がないが……)


 最後に、「銃剣道=人殺しの訓練」という拭いがたいイメージについて。

 あるいはこれは、単に銃剣道の歴史が浅いからに過ぎないだけなのかもしれない。

 なにせ剣道も弓道も、人殺しの技術であった歴史は銃剣道のそれよりはるかに長いのに――

 今そんなことを真顔で言って剣道・弓道を指弾する人は、異常者扱いされるからである。

(ただし、「エホバの証人」の信者は例外かもしれない。

 エホバの証人信者の少年が学校の授業で剣道をやらされるのを拒否し、その代わりの課題を与えなかった学校の対応は違憲である、とした最高裁判例がある。)

 我々は、剣(刀)や弓で人を殺し戦争を行った時代から、遠く離れた時代に生きている。

 しかし銃剣を使って人を殺し戦争した時代からは、まだそんなに離れてはいない。

 もし銃剣道がこれからもそんな「時効」を迎えず、相変わらず忌まわしい人殺しの道具扱いされるのだとしたら……

 それは銃剣がいまだ戦争で使われる時代が続くからだろうし、逆説的に言えば、銃剣がこれからも実戦で有効だということを示しているのかもしれない。

銃剣道は役に立たないのか? 実戦性がないのか?

 新潟県知事の米山隆一氏は、

 言わずもがなですが日本で「銃剣」を所持することはできません。
 銃剣術を習っても護身に用いることは不可能ですし棒を使った護身術なら剣道が上です。
 習った後競技を続けられる人も極めて限定されます。
 当然ですが近代戦において何の役にも立ちません。
 戦前精神論への郷愁以外のいったい何でしょうか?

 という。

 社会的にも戦争においても銃剣は役立たずで、護身術としては剣道の方が上だという。

 私は剣道も銃剣道もやったことがないが、護身術として剣道の方が銃剣道より上だというのは、正直噴飯物の話だと思う。

 なるほど近代戦においては、銃剣というものは役に立たないとされている。

 それが役立つのは鉄条網を切ったり缶詰を開けたりするときで、むろんその時は銃から剣を外し、剣をナイフとして使うのだとされる。

 しかし実戦性というなら、剣道には何の実戦性があるというのだろう。

 言わずもがなだが、日本で「剣」を持ち歩くことはできない。

 そして竹刀を持ち歩くこともない。(剥き身の竹刀を日常で持ち歩く人は、異常者である。)

 それは傘やステッキで代用できるというならば、銃剣道だって同じである。

(ただし意外なことに、剣道の竹刀は銃剣道の木銃よりずっと短い。

 銃剣道の木銃は中学生以上なら長さ166cm&重さ1,100グラム以上、小学生以下は133.5cm&800グラム以上のものを使うよう決められているのに対し、剣道の竹刀は成人なら120cm程度である。

 傘やステッキなど日常で持ち歩く/手に入る棒としては、確かに剣道の竹刀の方に分がある。)
 

 しかし銃剣道の優れた点は、それが「突く」という攻撃方法に特化しているということだ。

 私見では銃剣道は、実質的には「棒術・槍術」の一種である。(「突き棒術」とでも言おうか。)

 そこには実戦における「斬りかかる/打ち下ろす」などという無駄がない。

 そう、我々の先祖が日本刀で“斬り合って”いた時代でも、日本刀の真の使われ方というのは、斬り殺すより突き殺すことにあったのではないか?

 おそらく護身術としては米山知事の言とは逆に、銃剣道の方が剣道よりはるかに実戦的であることだろう。

 面だの小手だの多種多様な打ちかかり方を練習する必要はなく、ただ突くことだけを目指せばいい――

 これはその覚えやすさ・訓練しやすさという点で、弓と鉄砲の関係にも似ている。

(弓は習熟するのに長い訓練がいるが、鉄砲はそうでもない。それが鉄砲が弓を駆逐した一因だというのは、軍事史の本でよく見かける記述である。)


 中学部道の選択肢である柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなた銃剣道のうち――

 「道具」「武器」を使うのは、剣道、弓道なぎなた銃剣道の4つ。

 この中でどれが一番実戦性があるか、すなわちストリートファイトで使えるか(現代の「実戦」とはそういう意味だろう)と問われれば、弓道は問題外として、疑いなく銃剣道だということになるのではないか?

 そしてまた、これまでの記述でわかるとおり、しょせん武道というものは全て、人殺しの道具や手段なのである。

 なぎなたをやってる女の子はかっこいいと言ったって、なぎなたが人殺しの道具であることはわかりきった話である。

 剣も弓も同じことなのは当然である。

 しかし米山知事は、間違っても「剣道・弓道なぎなたをやるのは時代錯誤。そんなのは実戦で何の役にも立たない。そんなのを子どもたちがやることに恐怖を覚える」とはツイッターに書き込むまい。

 なぜか?

 それはもちろん、変人と思われたくないからである。

 剣道や弓道は競技人口が多く、その反発を恐れずにいられないからである。

 しかし銃剣道なら、前記事「(5)競技人口が少なすぎる」のとおり、時代錯誤とか恐怖を覚えるとか言ったって反発は知れている。

 そういうマイナー競技に対してなら、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなたに対しては決して言わない(言えない)ことが言えるのである。

(そして米山知事は、「合気道ってホントに実戦性あんの?」という格闘技ファンの抱く長年の疑問も、決して口に出さないだろう。)

銃剣道の中学武道「追加」、国体毎年実施昇格について

 3月8日、日本体育協会は、2023年から4年間の国民体育大会(国体)の実施競技を決めた。

 その中で銃剣道」が従来の隔年実施から毎年実施に昇格し、逆にボクシングは毎年実施から隔年実施に降格している。

 なんでも競技ごとにジュニア世代の充実度や競技団体のガバナンス(運営ぶり)など6項目を点数化し、その合計点に基づいて決めたそうである。

(よく知らないがボクシングって、ジュニア世代の充実やガバナンスの確立が劣っているのだろうか……?)


 そして文部科学省は3月31日の官報で、小中学校の新学習指導要領と幼稚園の新教育要領を告示。

 ここで中学校の武道科目に「学校や地域の実態に応じて種目が選択できるよう」にとして、新たに「銃剣道」を選択肢として追加した――

 と言われているのだが、本当は従来の学習指導要領で言う「武道」とは、日本武道協議会なる団体が正式採用している9種目――

 柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなた銃剣道

 の9種目を指しているとのこと。

 つまりもともと学習指導要領には、中学武道の選択肢として銃剣道も入っていたのだが、新学習指導要領では削除されかかっていたらしい。

 それがやっぱり削除されずに生き残ったことが、「新規追加」と報道されているようだ。

(ただ、今まで指導要領の解説だけに記載されていたのが、本文記載に「昇格」したのは事実である。)


 さて案の定、「銃剣道が中学武道に追加」と報道されると、世の中ではたちまち拒絶反応が発生した。

 もちろんそれは銃剣というものが旧日本軍を即座に連想させるからであり、忌まわしき軍国主義の復活(の企み)と直結してしまうからである。

 これはもうこのニュースを聞いた100%の人が、そう直感したのではないか。

 そして銃剣道の追加を支持する人は、そう直感した後で「いやいや、そんなことはない」と脳内で意識的に意識を切り替えようとしたのではないか。

 その拒絶反応の中で代表的なのは、新潟県知事の米山隆一氏のツイッターである。

 

米山 隆一 @RyuichiYoneyama
2017-03-31 06:14:25
 新学習指導要領で選択制とはいえ中学校の武道に「銃剣道」が入るとの事です。
 私は反対です。
 柔道、剣道、相撲はルールも整備され、競技人口も多くスポーツとして確立していますが、銃剣道はその状況になく時代錯誤としか言えません。恐怖を覚えます。

米山 隆一 @RyuichiYoneyama
2017-03-31 07:47:09
 言わずもがなですが日本で「銃剣」を所持することはできません。
 銃剣術を習っても護身に用いることは不可能ですし棒を使った護身術なら剣道が上です。
 習った後競技を続けられる人も極めて限定されます。
 当然ですが近代戦において何の役にも立ちません。
 戦前精神論への郷愁以外のいったい何でしょうか?

 
 銃剣道への拒絶反応は、おおむね次のとおりまとめられるだろう。

(1)それは軍国主義、戦前回帰、右翼的である。

(2)それは人殺しの訓練である。子どもにやらせるなどとんでもない。

(3)銃剣道は役に立たない。(実戦性がない)

(4)そもそも武道ではない。

(5)競技人口が少なすぎる。


 まず(5)だが、日本銃剣道連盟によると、いま日本で銃剣道に取り組んでいる中学校は、神奈川県に1校しかないらしい。

 そして銃剣道を教えられる教員は、全国にたったの10名程度。

 確かに柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道少林寺拳法なぎなたの他8種目に比べれば、人員体制も世間的知名度も圧倒的に劣っている。

(私としては、全国に10人も教えられる教員がいるということの方が驚きだ。)

 よって、他8種目をやっている人から言わせれば、(4)そもそもあんなのは武道のうちに入らないだろう、一緒にしてくれるな――

 と思われているのかもしれない。

 しかしもちろん、(4)(5)だからといって銃剣道への拒絶反応が生じているのではない。

 その主たる部分は(1)~(3)にあるのは言うまでもない。