今回の参院選で当選を果たした、テレビ出演で知名度の高い日本保守党の北村晴男弁護士――
その彼がSNSで石破首相のことを「醜く奇妙な生き物」と評したことは、さすがにいくら何でも批難を呼んでいる。
全文で言うと「醜く奇妙な生き物を国のリーダーに選んだ日本。一刻の猶予も無い」となるのだが、
実は彼はこれまでも石破首相のことを「奇妙な生き物」と言い、「間違いなく工作員」だなどとも評していたという。
(⇒ 中日スポーツ 2025年7月27日記事:「批判じゃなくて誹謗中傷」北村晴男・参院議員の発言が物議…一国の首相を「醜く奇妙な生き物」呼ばわりに非難殺到「政治家が使う言葉か?」)
まるでネット民がコメント欄に書くようなこと――いや、最近はこんな書き込みは削除されているのだろうか――を国会議員がSNSに打ち込んでいるということだが、
もしこれが誰かと話をしていて(とはいっても、さすがに石破首相に面と向かってではないシチュエーションではあるが)、あるいは熱く持論を語っていて口をついて出たというなら、まだしもわからないことはない。
心の中で真にそう思っているのなら、思わずも口走ってしまうということが人間にはあるからだ。
だが、口で言うのではなく指で打ち込んでしまうというのはどうだろう。
そこに「思わず打ち込んだ」ということはなく、やっぱり確信犯的に「明らかにそう思って」打ち込んだに違いない。
さて、この件で私が思うのは――私以外にも思う人は多いだろうが――、もし女性首相に対してだったら北村氏はこんなことを打ち込んだだろうか、ということである。
十中八九そうはしなかっただろう、打ち込もうと思ってもその前に「いや、そんなことしちゃまずいだろう」と感じて止めただろう――
と想像するのは、間違っているだろうか。
私は、全然間違っていないと思う。もし女性首相が相手なら、北村氏は決してこんなことを打ち込まなかったろうと確信的に想像する。
これは、世の中に賛同多数ではなかろうか。
女性に対して(たとえ内心では思っていても)こんなことを言っちゃいけない、あるいは「言ったら自分にとって実にまずいことになる」というのは、国民的コンセンサスと言って差し支えないだろうからだ。
ところがこれに対して、男性に対してはそういう「規制」がユルいというのも、一種の国民的コンセンサスめいた面があると思う。
結局のところ北村氏も、ある意味そうした「庶民感覚」を持っているということなのだろう。
もっとも北村氏が反論するとすれば、「醜い」「奇妙」というのは見た目の話ではなく、精神面や振る舞いの面の話なのだと言いたいところだろう。
何と言っても見た目の話をするならば、別に北村氏も石破首相とそんなにたいして変わったものではないからである。
しかし、たとえ醜い奇妙な生き物というのが精神面や振る舞いのことを指しているとしたとしても、それでも女性に対してそんな書き込みはしなかったろうと感じるのは間違いだろうか。
よく言われる「オジサンに対しては何を言ってもいい」という「一般常識」に、北村氏もまたハマッていると考えるのは間違いだろうか。
そして、これもよく「女の敵は女」と言われるが――
それが真実であるとすれば、「オジサンの敵はオジサン」というのもまた真なり、と言えそうである。