例のNHK人気番組『チコちゃんに叱られる!』について――
あのチコちゃんの「なんで?」という問いは最悪の愚問である、と愛知県立大学教授・亀井伸孝氏がツイートしたのが話題となっているという。
氏の専門である文化人類学の分野においては、
そういう問いをして、しかも答えられなければ叱るという態度が、いわゆる「西欧の思い上がり」として厳しく反省されてきたことを踏まえてのツイートらしい。
(⇒ プレジデントオンライン 2023年1月13日記事:チコちゃんの「なんで?」は最悪の愚問である…「5歳児の罵倒芸」に文化人類学者が本気で怒りを抱いたワケ)
さて私も、このチコちゃんが「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱るのを、正直言って冷めた目で見ていたものである。
それは、文化人類学がどうこう以前に――
「そうやって叱るアンタは、そんなに何でもかんでも知ってるのか」
と思わずにいられないからである。
そして、もう一つ――
「何であろうと質問するのは極めて簡単、答える方は極めて難しい」
とも思うからである。
いや、これは単に私が思うというだけでなく、それがこの世の明々白々の真実ではないだろうか。
「空はどうして青いの? 海はどうして青いの?」と他人に問うことは誰でもできる。
これは、あなたにだっていともたやすく(それも、ロクに考えもせず)口をついて出る質問だろうし、三歳児にとってさえそうだろう。
しかしこれに正確に答えることは、極めて難しい。
いや、難しいというより、無理難題ではないか。
きっとあなたは答えられないし、この世の9割以上の人は答えられないはずである。
私にとってもあなたにとっても、他の誰にとっても、世の中のほとんどの事象は
「質問は易し、回答は難し」
であるに違いない。
そしてこれくらいのことこそ、誰でもわかっていそうなものではないか?
それなのに、人に「なんで?」と聞いて答えられなければ「叱る」。
しかし、いざチコちゃんの方が質問される側になりさえすれば、どうせチコちゃんはそのほとんどの問いに答えられはしないのだ。
そんなこと、当然わかりきったことである。
要するにチコちゃんは、「常に質問者の側である」という「絶対安全圏」に身を置いているからこそ、常に優位で叱りつける側にあるというだけのこと――
もし私があの番組に出ていたら、冷たい声で
「アンタそんなに何でも知ってるんですか、
じゃあ何で日本人の給与は30年間も上がってないんですか」
と質問返ししそうである。
これにチコちゃんが答えられなければ(答えられないとわかっているが)、猛烈に罵倒してもきっとおかしくはないだろう。
つまるところあの番組は、「なんで?」という悪問を発しているから、それがバラエティになっているから悪い番組だというよりは――
とにかく「質問者の圧倒的優位」「常に質問する側であれ、回答する側になるな」という意識を視聴者に植え付けるからこそ、悪い番組だと言うべきではなかろうか。