7月23日予定の、東京オリンピック開会式。
その演出を務める総合統括のCMクリエイター・佐々木宏 氏(66歳)が昨年3月、
演出チームのLINEに「渡辺直美をブタ役とする“オリンピッグ”案」を送ったが、チームから不適切と反発されて断られた、
という経緯が、1年後の今になって週刊文春にスッパ抜かれた。
それが女性蔑視・容姿差別ということで、猛バッシングを受けている。
そのLINEの文面は、こうである。
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◎=渡辺直美
への変身部分。
どう可愛く見せるか。
オリンピッグ●
歴史を振り返るというより、過去
大会ハイライトシーンを、
どうワクワクする様に見せるか。
(註・◎=ブタの絵文字、●=ブタ鼻の絵文字)
例えば、
・離れ業、特集、
・号泣シーン、
・セレモニー忘れられない感動シーンなど、
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この「事件」はある意味、人に夢を与える話である。
佐々木氏は、缶コーヒーBOSSの「宇宙人ジョーンズ」シリーズ、ソフトバンクの「白戸家」シリーズなど、国民誰もが知る有名CMを作った人らしい。
しかし“オリンピッグ”を抜きにしても、「珍プレー好プレー」「離れ業」「号泣シーン」「忘れられない感動シーン」とか、
まるで小学生に案を出せと言ったら出してきたような案ばかりではないか。
「こんなのだったらオレでもできる、オレもCMクリエーターになれる。オレは単に、なってないだけじゃないか」
と、思わない人がいるだろうか。
世の少年少女はこのニュースを見て、自分にもチャンスがあると思うのではないか。
それはともかく今回の件、佐々木氏にも言い分はあるだろう。
中でも最も言いたそうな言い分は、
「渡辺直美って、ブタキャラで売ってきたんじゃないのか。
それを「どう可愛く見せるか」とまで書いてるんだから、何が悪いのか」
というものだろう。
これはたぶん、過去なら通用した言い分である。
過去ならネットも、こうまで炎上しなかったかもしれない。
しかしもう、そういう時代ではなくなったのである。
おそらく佐々木氏も、いくら何でも森喜朗氏が「女性蔑視発言」で叩かれた後なら、こんな案をLINEでチームに送りはしなかったろうと思う。
その意味で1年前のLINEを今頃晒されたのは、不運と言えば不運だ。
(しかもボツ案だし……)
ところでこれに関連して思いつくのが、故・志村けんのギャグである。
渡辺直美にブタキャラを演じさせるのが不適切な炎上案件なら、
志村けんの演じた「ひとみばあさん」や「変なおじさん」は、高齢者や精神障害者をバカにした不適切な案件ということにならないのだろうか。
昨年のコロナ禍で死去した志村けんは、もう「思い出の聖人」の一人である。
東村山市には、その「アイーン」ポーズの銅像が建てられようとしている。
しかし、予言しておくと――
いずれ近いうち志村けんの演じたキャラは、ギャグは、不適切案件のうちに入ることになるだろう。
そんなことは絶対ないと思うだろうか。
いや、あるのである。
渡辺直美にブタを演じさせる開会式だって、もし少し昔に実行されていたら「カワイイ~!」という反応になっていた可能性は充分ある。
よその国から批判されたら「日本人はわかってこれを楽しんでるんだよ」とでも反発しただろうと思う。
いずれにせよ、もう「容姿ネタ」の通用する時代ではない。
しかしまた一方では、人々は依然として日常生活で・心の中で、「容姿差別」を続けている。
ネットでも雑誌でもどこでもかしこでも、容姿の「美しさ」賛歌は止むことがない。
容姿ネタを叩いている人と全く同じ人が容姿賛歌に加わり、共感しているという現実がそこにはある。
「ホンネとタテマエ」と言うより「オモテとウラ」を使い分けるのが、現代の道徳リテラシーということなのだろう。