プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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宇和島訪問記(3) 宇和島城の内部と城山郷土館、児島惟謙と穂積重信・八束は同郷

 わずか10分程度の滞在であったが、小さな宇和島城の内部も一応紹介。
 まず一階の周囲を巡る廊下だが、さすがに「むかし造り」というか、柱が重厚で野趣のある建築である。

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 ちなみに左端に映っているのは、宇和島城のお仲間である日本百名城(の代表的なもの)のそれぞれの写真。
 こう言っては何だが、いささか安易な展示である。(もうちょっと宇和島独自の展示がありそうなものだが……)
 そして廊下に囲まれたただ一室には、天守閣自体のミニチュア模型も置いてある。

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 こういうのが好きな人・欲しい人は数多いだろう。

 急階段を上がった二階には、“現代墨絵”の画家である茂本ヒデキチ氏の屏風が展示してある。
 これもまた好きな人が多いだろうから、じっくり見ると良いだろう。(どのみち二階にはこれしか置いていないのだから……)

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 さて、天守閣を出て玄関から見ると、天守広場の向こう(北端)に絶好のフォトポイントになりそうなところが見える。
 そこには「櫛型門矢倉跡」と書かれた小さな杭標示が打ち込まれているが、それより“いかにも”な木の切り株が気になる。
 この切り株の上に乗るという誘惑に屈しない人は少ないだろう。もちろん私も上に乗って城下を眺め、写真を撮った。

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 ちなみに私だけでなく、後で女性一人・男性一人も切り株の上に立ち写真を撮っていた。
 今まで何千人がそうしてきたかと思うと、まことに感慨深い。
 
 天守広場を下りるとき(下山するとき)は、もちろん上ってきたのとは別のルート(南ルート)を選択する。
 そうすると「城山郷土館」というのがあるので、入ってみる。展示されているのは「郷土の偉人たち」である。

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 ここで初めて知ったのは、あの児島惟謙(こじま いけん)と穂積重信(ほづみ しげのぶ)・穂積八束(やつか)の兄弟が同じ宇和島出身者であることだった。
 この3人とも明治時代の有名人で、児島惟謙は大審院(今の最高裁判所の前身)の長を務め、穂積兄弟は高名な法学者である。

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 ロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世ロシア革命で家族ともども殺される)が訪日したとき、警護に当たった津田巡査に斬りつけられ負傷した。
(教科書に必ず出てくる「大津事件」であるが、まったく今考えてもとんでもない事件だ。)
 世論も政界も津田巡査を死刑にしろと沸騰したが、児島惟謙は「傷害罪で死刑にはできない」との立場を貫いた。
 これは“司法権の独立を守った”として今でも激賞されている。
 そして穂積兄弟の名は、大学で法学部だった人なら必ず聞いたことがあるだろう。
 重信は今の民法の起草者の一人で、梅謙次郎と双璧をなす存在。
 八束はその民法の前にフランス人ボアソナードが起草した「旧民法」に対し、民法出デテ忠孝亡ブ”と大反対したフレーズが有名である。
 いやあ、まさか彼らが同郷者だったとは……
 これは宇和島に来なければ一生知ることのなかった事実である。

 なお、宇和島と言えば闘牛で有名なようだが、城山郷土館の玄関にも次回闘牛大会のポスターが貼ってあった。

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 なかなかファンキーな名前揃いで、読むだけで楽しくなってくる感じである。
 これはひょっとしたら、闘牛を見るために再び宇和島に行く日が来るかもしれない――