先日たまたまネットで、次の記事を見つけた。
佐賀県知事のボーナスを増額することについての意見と応答である。
*******************************
佐賀県知事ボーナス増額に反対
佐賀県知事のボーナス増額は必要ありません。
お金が欲しいわけではない佐賀県知事はどうしてボーナスを増額したのでしょうか。
増額したボーナスを何に使用したのでしょうか。
県民の税金を何だと思っているのでしょうか。
他の知事より給与が低くても何の問題もありません。
むしろ誇るべきことです。
増額した給与に群がる人材は、その時点で有能な人材ではありません。
見栄のため、お金欲しさのために増額したとしか考えられません。
県民を納得させる言い訳があるでしょうから、それを示して県民を納得させてください。
*******************************
私は佐賀県知事の報酬額が高いのか低いのか、高くすべきなのかすべきでないのか、判断することはできない。
しかしこの中の一文、「増額した給与に群がる人材は、その時点で有能な人材ではありません。」は、呆れたタワゴトだと思う。
しかしまた、こういう意見を持っている人/共感する人は、佐賀県民と言わず日本国民の中のかなりの割合を占めるのではないかとも思う。
(ひょっとしたら、半数を超えるかもしれない。)
高い給与に惹かれてその職に就きたがる人間は、その時点で有能な人材ではない――
本当にもう、言いも言ったりである。
たぶん外国人(特に欧米人)からすれば、こういうのは「ニホン土人の奇怪な観念」に見えるのではないだろうか?
だがそれでも、日本にはこういう考え方をする人が多いのは認めなくてはならないと思う。
もちろん「自分だけは例外」なのだが――
高い報酬を求めることを罪悪視し「汚い」と感じることは、極めてたやすく「それなりの報酬を求める」ことまでも生意気だという話に変わる。
おそらくこの意見を出した人は、経営者ではないのだろう。一労働者か、一労働者だった人なのだろう。
その「市井の一般人」にしてからがこれである。給与の高さを求める人は、それだけで有能でないダメな奴だと言うのである。
そしてこれがもう一つの奇怪な観念――「仕事する以上、何でもかんでもやるべきだ。仕事とはそういうものだ」とする観念と合わさると、いよいよ労働環境は救いがたいものとなっていく。
こんなのが社会の「普通」であるのだから(そしてむろん、人民の意識がそれを作り出し支えているのだから)――
保育士も司書も、非正規の低賃金でありながら何でもかんでもやらされるのはむしろ当然の帰結と言える。
他者の「高サービス」や「有能性」や「献身」、そして「何でもやること/やれること」は求めながら、まるでそれらは「当然」ローコスト・低料金・あるいは全くの無料で供給されるものだと――いや、そうあらねばならないとでも思っているかのようだ。
しかしそれはやはり、成り立つはずのない詐欺話なのである。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
残念ながら、社会の雰囲気はあまりに大きく、すぐに変えることは見込めない。
しかし、変える方法がないわけではない。
それは、こういう詐欺話をする人・奇怪な観念を抱く人を徹頭徹尾バカにすることである。
人は反論されるより、バカにされることを恐れる。
反撃には耐えられても嘲笑には耐えられない人は多いのである。
それを続けていくことで、いつか(思ったより早く)社会の雰囲気は変わるだろう。
確かに、日本の労働の夜明けは遠い――しかし地球の自転が止まることでもない限り、必ずや夜明けは来るものなのだ。