プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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Amazon、中国から撤退-抑圧国家はGAFAの支配に抗する砦?

 4月18日、米Amazonは本年7月18日までに中国でのマーケットプレイスを閉鎖すると発表した。

(⇒ ロイター 2019年4月18日記事:米アマゾン、中国版サイトのマーケットプレイス閉鎖へ)

 
 中国市場から撤退する理由は、現地ネット通販企業との競争に勝てなかったからだという。

 あの世界的超大企業・アマゾンですら、こんなことがあるのである。

 ちなみにこれで、地球を代表するかのような4大企業GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)のうち、中国市場で活動できているのはアップルのみとなった。

 世界を変革したとまで言われるGAFAですら、世界最大の人口を持つ中国を攻略できない――

 考えてみれば、スゴいようなヘンなような話である。

 もちろんGAFAにとっては中国市場に喉から手が出るほど参入したいに決まっているが、

 グーグルが中国市場に再参入しようとすれば「検索検閲」を受け入れねばならず、

 フェイスブックが中国での使用禁止を解かれようとすれば、むろん保有情報の中国政府への提供が必要になるのだろう。

 こんな状況なのに中国が世界中から「抑圧国家」と指弾されないのは、極めて不自然な話である。

 今の中国こそ「人民解放」されなきゃいけないんじゃないか、とごく普通に思うのは、何も私だけではないだろう。

(だから私は、あのアノニマスの人々が中国をサイバー攻撃しないのを不思議に思うのだ。)


 しかしこれ、逆に見れば――

 中国は世界の大国の中で唯一、巨大IT企業GAFAの侵入と経済支配を防いでいるとも言える。

 GAFAが強大になりすぎて“横暴”をほしいままにしている、と危惧する人は世界中にかなり多いので――

 たいへん逆説的ながら、「抑圧国家が巨大企業支配に抗する砦となり旗手となる」、

 つまり中国こそ巨大企業の専制支配に抗するヒーローである、と言えないこともない。

 今の中国には、たぶん中国政府が最初から意図したことではないだろうが、そういう風に取れる面が確かに多々ある。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 もちろん歴史の法則的に言えば、鎖国も抑圧もいずれ維持しきれない時が来る。

 中国の場合もきっとそうなるし、そうなる時とは今の共産党王朝(これは清朝の次に成立した王朝だというのが、私の理解である)が崩壊する時を意味する。

 私は中国共産党王朝の寿命は2049年を超えることはない(つまり、王朝創立100周年は迎えられない)と思っているが――

 あなたはアマゾンが商売できずフェイスブックが禁止されグーグルも使えない抑圧王朝が、それを超えて存続すると思われるだろうか……? 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

「何事も 斜めに見るのが 人の道」道徳が日本の転落を加速させる

 フェミニストとして有名な上野千鶴子東京大学名誉教授の東大入学式での祝辞が、反響を呼んでいる。

 それを受けて“コミュニケーション・ストラテジスト”(ホントに、何でも肩書きになるものである。まるでプロレス技のようで面白い)岡本純子氏が、次のような記事を書いている。

president.jp


 私もこの記事は、だいたい正しいのではないかと思う。

 しかし「日本人は冷たい」と言うよりは、「日本人は何事も斜めに見る」と言った方がいいのではないかと思う。

 それをヘタな川柳にすると、こうなる。


 何事も

 斜めに見るのが

 人の道

 
 これが今の日本人に共通の「道徳観」だというのは、そんなに外れていないと思う。

 大変失礼ながら、たぶんあなたも「斜めに見るのが人の道、そうでなければ知的じゃない」と思っているのではないだろうか。


 サムライTVテレビ埼玉などでは、「This week in WWE」という番組をやっている。

 世界最大のプロレス団体「WWE」の週間情報番組である。

 そこではとても頻繁に、WWEの社会貢献が紹介されている。

 障害者スポーツ支援や乳癌防止団体との提携、難病の子どもたち・軍人たちへの慰問などである。

 そういうのを見て平均的な日本人がイの一番に思うことは、やはり


「イメージアップ(に必死だな)」とか、

「はいはい売名行為」

「こんなこと放送するのがいやらしい」


 などということではないだろうか?

 これはもう、日本人の思考遺伝子に組み込まれているのかと思うほど強固に根付いた反射反応の域に達している。

 そういうのが良いこと・立派なこと・心温まること、と素直に受け止めるのは「単純な奴」のやること――

 そんなになるのは、そしてそんな風に思われるのは、自分という人間の沽券に関わるとでも反射的に感じるように、今の日本人はできているのではあるまいか。


 たぶんあなたも「寄付」と聞けば、真っ先に「税金対策」という言葉が思い浮かぶのではないかと思う。

 かくいう私も、恥ずかしながらそうである。


 しかしつらつら思うに、慈善活動や寄付といったことを常に全て「斜めに見る」のが道徳である国民は――

 きっと、そうでない国民よりも不幸だろう。

 それ以上に、そうでない国民に結局は「勝てない」のだろう。

 今の日本では、よその国や民族や文化をバカにするのはタブーである。

 その唯一の例外はアメリカだが、

 そして確かにアメリカは銃社会とかいろんな問題を抱えてはいるが、

 それでも日本ほど「何事も斜めに見るのが人の道」道徳は浸透していないように思う。

 アメリカは連続殺人鬼の一大産地ではあるが、その社会は病んでいるかもしれないが、

 しかし一方で善行や理想に身を捧げる人間もゴマンといるのである。

 このようである限り、たぶん日本は永遠にアメリカには勝てないだろう。

 
 もしかしたら今の日本は、「お利口な/小利口な」人間が「善行を心がける良心的な」人間に負ける、という、非常によくある教訓話の題材になっているのかもしれない。

 そもそも今の日本では、「善行」や「良心的」という言葉自体が、なんだか小馬鹿にするニュアンスを含んでいまいか。

 それはまあ、こういう国や国民が世界の頂点に立つわけはないし、立ってはいけないだろうというものだ。

ノートルダム大聖堂炎上は「文化財破壊テロ」のきっかけになる?

 4月15日、パリのノートルダム大聖堂が炎上し尖塔は崩壊、有名なステンドグラスも粉々に砕けた。

 どうもこの大聖堂は“フランス人の魂”のようなものらしく、フランス人とパリジャンは大ショックを受けているようだ――

 と言っても、フランス人ならぬそしてカトリック教徒ならぬ日本人にとっては、大変なのはわかるがそのショックがどんなものかは全然わからないだろう。

 エジプトのピラミッドが崩壊したというならともかく、他国の文化財の破壊なんて、よその国・よその文化圏の人にとってはそんなもんである。

 しかし、パリ市民が燃える大聖堂を見つめながらみんなで賛美歌を歌うというのは、日本ではまず見られない光景だ。

 たとえ東大寺法隆寺が炎上したからって、日本人があんなことをすることはない。

(みんなでスマホで写真を撮ってる光景が、あなたにも思い浮かぶはずである。)


 ところでこんな大事件が起こると、それに感化されて文化財に放火する人間が増えそうである。

 ただでさえ放火というのはバカにでもできる犯罪なので、なぜもっと件数が多くないのか不思議に思っている人もいるだろう。

tairanaritoshi.blog.fc2.com


 そしてもう一つ、私が不思議に思うのは――

 かのイスラム国が盛んにテロをやっていた頃、なぜこういうキリスト教文化財を狙わなかったのか、ということである。

 今回の大聖堂炎上はテロでも放火でもなく、改修工事(の作業員)が原因なのだろう。

 しかし今回の件で、大聖堂炎上がキリスト教世界に大ショックを与えるということがわかったのだから、イスラム国の残党あたりは今後はキリスト教建築・美術を狙ったテロを起こしてよさそうなものだ。

 いや、別に今回の件がなくたって、彼らは教義上そういうことをやるべきだったのではないか?

 
 これは有名な話だが、アフガニスタンイスラム原理主義団体のタリバンは、あの「石窟の仏像」を破壊した。

 どうしてそういうことを(カトリック総本山の)ローマやその他のキリスト教都市でやらないのか、疑問に思っていた人も多いのではないか。

 もちろん、教会やイコンを破壊したって実利はないだろうが――

 実利とか何とか言うより、教義上どうしてもやらねばならぬことではないのか。


 繰り返して言うが、放火は殺人テロよりずっと簡単である。

 たとえば服の下に可燃物を付けて美術館や教会へ行き、キリスト教芸術の至宝の前で我が身に火を付ける(同時に至宝へ飛びかかる)なんてことは、自爆テロができる人ならできるはずだ。

 そこまでしなくても、単に建物に火を付けるのはただの浮浪者にだってできそうなことだ。

 
 これは不吉な予言になってしまうが……

 おそらくはここ日本でも、テロでなくても「そこらの一般人」が文化財に火を付けて炎上させる事件は、充分に起こり得る。

(実際、金閣寺がそうなったのは有名である――もう忘れられているかもしれないが。)


 ノートルダム大聖堂がフランスの歴史であり魂の故郷だというなら、まさにそういうものを燃やしてやりたいと思っている人は、フランスの内外にたくさんいそうである。 

 同じように今の日本でも、この社会に恨みを持つ人間はそこらに溢れていそうではないか……