プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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風呂の湯量めぐり元警官の父と娘がドツキ合い-同居有害説と賃貸市場の活路

 9月23日、兵庫県網干署は、元警官で交番相談員の父(60歳)とその娘(28歳)を、二人とも暴行の容疑で逮捕した。

 親子は以前から風呂の湯量を巡っていがみ合っており、ついにこの日、娘が

「今日は湯量を増やしてやったぞ」

 と言ったその言い方に激怒した父が、平手打ちを仕掛けた。

 娘は父の方などを拳で殴り、「DVされた」として自ら110番通報したとのこと。

(28歳の女性の発言として「今日は湯量を増やしてやったぞ」と新聞に書かれているのは、いささか面白みがある。)

www.kobe-np.co.jp


 実に小さな、そして切なくもある事件であるが、ここには日本を揺るがすような大問題が含まれてもいる。

 それは、

「いい歳した大人の男女が親と同居しているというのは、やっぱり有害なのではないか」

 という問題である。

 湯量を巡って殴り合うと聞けば、世の中のみんなが「そんな小さなことで……」と感じる。

 しかし誰かと同居している限り、こういう「小さなこと」が煮詰まって大問題になるのはよくあることだ。

 殴り合いにならずとも、夫婦が離婚やそれに近い精神状態になってしまうのは、全然珍しいことではないだろう。

 この問題を解決するのに最も簡単なのは、もちろん「離れて暮らす」ことである。

 しかしもちろん、この簡単なことが何らかの理由でできないため、日本中で(親子の間ですら)実に多くの不和と確執が起こっているのだ。


 たぶん世の中の多くの人は、「いい歳して親と同居」することを、いいこととは思っていないはずである。

 あるいはまた、まさにこれこそが非婚化の一因になっていると指摘もするだろう。

 これは本当にそうかもしれず――

 また特に、親子間の殺人事件を引き起こしているという因果関係は、絶対確実だと思われる。

(子が親を殺し、親が子を殺す殺人は、ほとんど全ての場合被害者と加害者が「同居」している。)

 この点確かに、「親子同居有害説」は真実だろう。


 では、こうした同居を減らすにはどうしたらよいか。

 その日本的な解決策は、当然ながら今よりもっと世の中の人が、同居というものに偏見を持つことである。

 親と同居している人、それを受け入れている親を、ネット上でも日々の会話でも偏見の目で見ることである。 

 そうすれば効果てきめん、たちまちみんな「いい歳」になったら親元から出て一人暮らししようとするだろう。

 それを嫌がる親は、たちまち「毒親」認定されることになるだろう。

(世間からも、子からもである。)


 「雰囲気」にはいともたやすく心を変えられるのが日本在住の人間の大部分なので、これはかなり効果があるはずだ。

 そしてきっと、親子間の殺人事件は激減するに違いない。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 そしてまたこれは、前途暗澹たる賃貸不動産市場の救命策・延命策にもなると思われる。

 日本の人口が減少するのを知らない人はいないのだが、それでも都市部のマンションや田舎部のアパートが新築されるのは終わらない。

 もちろん全部とは言わないが、それは自分の所有地が更地のままなら相続税・固定資産税が重くかかるが、賃貸住宅を建てればそれがめっきり安くなるという動機が大きい。

 そういうセールストークに乗せられて、めっきり人口減少するとわかっている(つまり、いずれ経営が成り立たなくなる)田舎にアパートを建てる地主が跡を絶たないのは、もう何年も前から有名な話なのである。


 これから賃貸住宅市場が――特に田舎のそれが――ますます悲惨なことになっていくのは、ほとんど火を見るよりも明らかだ。

 しかしもし「親との同居は有害」というのが日本の雰囲気になりさえすれば、賃貸市場は息を吹き返す可能性がある。

 そして実際賃貸業界では、できるなら同居有害説というのを公然と言いたくて仕方ないのではないかと思う。

 もし私が賃貸業界の大物なら、こういう説を唱える学者なんかに密かに資金援助したいくらい……かも、しれない。

大坂なおみフィーバーほか-「何が好きかは他人が決める」の世界

 先日の全米テニス決勝で勝ち、テニス界四大大会を制覇した大坂なおみ選手のフィーバーが収まらないとのこと。

 彼女が使用するヨネックス社製のラケット(税抜き3万5千円)は優勝後1週間で売上が4倍に伸び、

 勝戦ではめていたシチズンの腕時計(税抜き8万円)も予約が殺到し、

 テニススクールへの入会問い合わせも増えているらしい。

(⇒ スポーツ報知 2018年9月19日記事:大坂なおみ、フィーバー収らず 使用ラケット売上げ4倍)

 

(⇒ 産経新聞 2018年9月18日記事:ビジネスにも「大坂なおみ旋風」 ラケット、腕時計…関連商戦が過熱)

 
 そして彼女がハイチ系アメリカ人と日本人のハーフであることによる「人種」「排外主義」「純血主義」についての論説も、まだ多く語られている。

www.newsweekjapan.jp


 ところでこれは大坂選手に限ったことではないし、また日本に限った話でもないはずだが、私が昔から不思議に思ってきたことがある。

 それは、

「なぜ日本人が世界的“偉業”を達成したら、日本人はフィーバーするのか」という疑問である。


 これは一般に、ごく当たり前で自然なことだとされている。

 それどころか、そうあるべきだとされている。

 それは違うんじゃないかと言おうものなら、非国民と思われそうな勢いである。

 だが、これは本当に当然で自然なことだろうか。  

 私はこれ、自然どころか不自然なことだと思うのだが。


 「大坂なおみは純粋な日本人じゃないから、いったい日本人はどこまで喜んでいいものなのか」

 という疑問は、むろんネット上でボコボコに叩かれている。

 だがその叩き方にはどうも、「純血主義もいい加減にしろ。ちょっとでも日本人の血が入っているならいいじゃないか。どうして素直に喜べないのか」みたいなニュアンスが感じ取れるのだ。

 だが、どうして日本人の血がちょっとでも入ってたら日本人(日本代表)と見なしてよく、日本人が歓喜するのは「当たり前」で「自然」なのだろう。

 かつてペルーで日系人フジモリ氏という人が大統領になったことがあったが、私の感想は「へぇ」という以上のものではなかった。

 そりゃそうだろう、フジモリ氏のことなんて何も知らないし、別に日系人がなろうが誰がなろうが、この自分とは縁もゆかりもない人なのだから……

 

 いや、前からテニスが好きで、少なくとも国内の試合はテレビ(CSやBS)なんかで頻繁によく見ていた、というなら話はわかる。

 前から大坂選手のことは知っていて、以前からたとえ密かにでも応援していたというならわかる。

 最低でも、テニスというジャンルそのものが前から好きだったというなら、フィーバーするのは自然で当たり前と言ってよい。


 しかし、実のところはどうなのだろう。

 大坂選手の使っているラケットや腕時計を急遽注文する大勢の人、

 これからテニスクラブに入ろうとする大勢の人、

 そしてテレビの中やお茶の間や会社の雑談で「大坂なおみスゴイ」と言っている人たちは、

 本当に前からテニスに関心があったのだろうか。

 実のところその大部分は、

 ふだんテニスは見てないし大坂選手の名前も知らず、

 知っていたとしても顔と名前は一致せず、

 まして彼女がハーフだなんてこと思いもよらない(名前だけ見れば日本人としか思えない)、という人たちなのではないか?


 そのジャンルに大して興味がなく、その選手の名も顔も知らなかったのに、世界大会に優勝したら歓喜してフィーバーする……

 これが「自然」なことだろうか。

 逆にこれ、不自然極まることだと思えるのだが。


 そして人種や純血主義の話については――

 いっそ彼女が、日本に帰化(国籍取得)した純粋白人・純粋黒人だったら、日本社会の反応はもっと面白いものになったと思う。

 いや、帰化した中国人・韓国人だったらなおさらだろう。

 また、「大坂なおみ」という日本人そのものの名前ではなく、モロに外国系や李ナントカという名前だったら面白かったろう。

 このとき日本人がフィーバーするのかしないのか、その反応は非常にスリリングかつ試金石的でありそうである。


 ところで朝日新聞と言えば、ネット上では「反日左翼の諸悪の根源」みたいな言い方をされている。

 朝日新聞は、ことあるごとに日本の悪口を(世界に向けても)言ってきた、と言われている。

 しかしその朝日新聞ですら、「日本人がスポーツで活躍したら日本人がフィーバーする」ことを阻止することはできなかった。

 いや、阻止するどころか、むしろ煽ってきた/尻馬に乗ってきた、と言っていいだろう。

 スポーツ、そしてもう一つノーベル賞というのは、「日本嫌い」の朝日新聞ですら侵せなかった「日本人スゴイ」の聖域である。

 それはやっぱり、

 「日本人の血が入っている人(あるいは日本風の名前の人)が凄いことを成し遂げたら、日本人が喜ぶのは当然」

 という「自然な感情」には抗えないからなのだろう。

 しかしこの自然な感情というのは、血縁主義とか民族主義以外の何ものでもないと思うのだが、違うのだろうか。


 「そのジャンルに大して興味もなければ、その選手の名前も知らなかった」人がこんなにも大勢フィーバーする(と報じられている)のは、本当は誰がどう考えても不自然なはずだ。

 それが「自然」と捉えられているのは血縁主義の理由の他に、(あなたももちろん知っているように)

 「スゴいと報道されるからスゴいと思う」

 「人がフィーバーしてると言うから自分もフィーバーする」

 という人が、むしろ世の中で優勢を占めているからとしか考えようがない。

 
 だがそれにしても、世の中にはそんなにも感じやすい人が多いのだろうか、と思わざるを得ない。

 自分は何が好きか、何をスゴイと思うか――

 というのは、その人間の根幹を成す核とも言える部分のはずだ。

 自分は何をスゴいと思うかなんてことが、自分の心以外のところで生じるなんて、あり得ないこととさえ思える。

 しかし現実には、「自分が何が好きかは他人が決める」みたいな人が、想像以上に多いのだろう。 


 これほど感じやすい人・感化されやすい人が多いとなれば――

 しかもそれが「自然なこと」どころか「望ましいこと」だとあなたも考えるのであれば――

 そりゃあ、

 「あなたの悪口を言う人が出てくれば、周りのみんなもあなたをそういう目で見る」

 なんてことも、自然で望ましいことと納得しなければならないだろう。

再びの交番襲撃・警官殺し事件-交番に防犯カメラがないって不用心すぎないか/交番制度の弱点露呈

 9月19日午前4時過ぎ、仙台市宮城野区東仙台交番に21歳の男子大学生が「落とし物がある」と訪れ、隙を見て33歳の男性警察官を刺殺。

 物音を聞いて戻ってきた40代巡査長が、拳銃3発を発射して大学生を射殺した。

 奇しくも6月26日に富山市で起こった交番襲撃・警官殺しの犯人と同じく、彼もまた21歳である。

www.fnn.jp

 

www.yomiuri.co.jp

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 「警察官が狙われる時代」は過去にもあったが、今はもう極左暴力集団ではなく、そこらの一般人が単独でやる時代である。

 これは確かに、昔の警察が予想もしなかった展開かもしれない。

 とはいえ私が今回初めて知って驚いたのは――

 なんと全国の交番には、防犯カメラというものが設置されていないということである。


 いやはや、まさかこんなことだったとは、私の他にも知らなかった人が多いのではないか。

 よりにもよって防犯の拠点、軍隊で言えば小規模駐屯所であるのに、防犯カメラがないなんて――

 いや、確かに今回と前回(富山市)のケースでは、防犯カメラがあったって警察官を救うことにはならなかっただろう。

 管内全ての交番に防犯カメラを付けるのは、予算的に無理という言い方もあるだろう。

 それにしても、全国のほとんど全ての交番に防犯カメラが付いてないって、ちょっとヒドくないだろうか。

  
 思えば我々は日本の「KOBAN」システムについて、褒め言葉ばかり聞かされてきたものである。

 それはややもすると国民皆保険」制度と同じく「日本の誇るべき制度」として紹介され、海外でさえ導入が進んでいるとかいった、「イイ話」ばかり聞いてきたものである。

 しかしながらもちろんのこと、交番(と駐在所)制度には弱点や懸念もある。

 ごく少人数、いやたった一人の警察官が詰めている交番・駐在所というのは、ちょっと田舎に行けば実に見慣れた光景である。

(それより見慣れているのは、「交番・駐在所の中に誰もいない光景」かもしれないが……)


 確かに私でさえ、「たった一人が相手なら、隙を見てオレでも殺せるんじゃないか。拳銃を奪えるんじゃないか」と思うものである。

 通り過ぎる男子中学生や男子高校生あたりなら、なおさらそう思っているのではないか。

 今回のケースでは、まだ警察官が2人いたから犯人を射殺できた。

 しかしたった1人であれば、人知れず殺された上に拳銃も奪われていただろう。

 そしてたった1人であれば、たとえばわずか2人の共同犯に狙われただけで一巻の終わりである。

 しかもそこには防犯カメラもなければ、警察署と直結するテレビカメラもないときている。

 日本の交番・駐在所というのは、こうまで脆弱なものだったのだ。

 もしこれが日本でなければ、警官のストライキや勤務拒否が起こっても不思議ではないだろう。

 
 何にせよ今回の事件で、「警官2人組」相手でも警官殺しはできることが実証された。

 となればやはり、常にその場に「3人」以上いることが再犯防止の対策になるはずだ。 

 それがマンパワーの都合上できないのであれば、小規模な駐在所は閉鎖して中規模交番に集約するのも致し方ない。


 交番制度は、確かに効果的で素晴らしいものかもしれないが――

 それは欠点がないというのではなく、まして「ずっと素晴らしい」というわけでもない。

 警察官の人命保護のためにも、「単独テロリスト犯」の時代に対応することを期待したい。