まず、道後温泉側(北側)から湯築城に登っていく。
そのすぐ横に、松山市立(正岡)子規記念館があるのだが、時間の都合で今回はそこへは行かなかった。
最初にあるのは、屋根付きで置かれた大きな湯釜である。
ちなみにこういうタイプの湯釜、道後温泉本館(の一番安い浴場、「神の湯」)でもほとんど同じものが使われている。
なんとこれ、奈良時代に作られた(と言い伝えられている)らしい。
いきなりすごいものを見たような気がするし、そんなのが簡単に手を触れられるところ(もちろん柵で、乗り越えなければ中には入れないようにはしているのだが)にあるのがまたすごい。
やはり何かをどうしても後世に残したい場合、それは石で作り、石に刻んでおくのが正解なのだろうか?
現代の記憶媒体なんて、百年どころか五十年もつかも怪しいものだ……
それはともかくもう少し上に上がると、広い公園のような場所に出る。
ここは「杉ノ壇」と案内板に書かれているが、戦国時代はそういう言い方はされていなかったらしい。
何でも発掘調査では、ここで金属の精錬・金属用具の製造が行われていたという。
近世城郭では「二の丸」とされるべき位置にあるこの場所で、そんなことがされていた――
これもやはり、我々の持つ「城」のイメージからは離れている。
我々のイメージの中では、そういうのは城下町で行われていることのはずだ。
しかし、湯築城ではそうでなかった。何とも原初的で土臭く、こういうところが中世のさほど大規模ではない城の魅力である。
さて、ここにはベンチもあり、伊予電鉄(いよでん)道後温泉駅前のローソンで買ったおにぎり2個とパン1個、そしてジュースを朝食に使った。
(その日は朝早くから来たのである。)
そこからすぐ、近世城郭では「天守閣」のあるべき本丸部分――「本壇」と名付けられているが、これも戦国当時の呼称ではない――に上ることができる。
写真で見てもわかるが、非常に小規模。
むろん天守閣など(この城の現役時代にも)存在せず、ただ展望台があるだけである。
(この写真では全景がわかりにくいのは申し訳ない。)
展望台からは、近傍の様子をかなり広く眺めることができる。
そして、松山市のもう一つの(というよりメインの)城、松山城の三重天守も見ることができる。
松山市民及び松山城に行ったことのある人は、先刻ご承知だろうが――
松山城は、驚くほどの巨大城塞である。とてもとても、湯築城と比較になるような規模ではない。
松山市へ観光に来て湯築城跡には行っても松山城には行かない、という人はごく稀であろうから、それゆえに二つの城を体験し比べてみるのも一興ではなかろうか。
本壇から南側に細い「山道」(まさに山道である。道に沿ってフェンスはあるが)を南側に降りていくと、小さな祠(ほこら)がある。
それはどう見ても「ほこら」なのだが、ちゃんと「岩崎神社」との名前があり、神社扱いされているようだ。
しかしこういうミニサイズの「神社」、日本全国にいくつあるのか数え切れないくらいではないか?
世の中には、こういう神社を訪れて写真に撮ったり記録していくのが好きな人もきっといるのだろうが、絶対にコンプリートは無理そうである。
一応ここで参拝して、さらに南へ降りていこう。