プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「学校にエアコン不要」の人はエアコンなしで仕事してるのか?

 連日の猛暑により、全国で熱中症に倒れる人が続出している。

 特に小学1年生が熱中症で死亡したニュースは大きく報じられ、それが「学校にエアコンを付けるべきだ」という論に火を付けた。

 ネットにはそういう論がにわかに溢れている。

 もちろん、というべきか、私は学校にエアコンを付けるべきだと思う。

 というか、付けないなんて選択肢を取る人がいるのがわからない。

 いったい「学校にエアコンを付けるべきでない」と言う人は、自分が暮らしたり働いたりする場所ではエアコンを付けてないのだろうか。

 もし付けているのなら、その説得力はほとんどゼロになるはずである。


 私には、この気候でエアコンを付けずに仕事したり暮らしている人がいるなんてことがまず信じられない。

 仮にエアコンなしで仕事しているというなら、それはもう非人道的な、ブラックどころではない労働環境ではないか?

 そしてまた、そんな環境でロクな仕事ができているわけないではないか?

 それなのに自分はエアコンの中にいて子どもたちはいるべきではないと言い張るのは、革命戦争で吊されて然るべき貴族みたいな言い分である。

 
 もしそれでも「いや、子どものうちからエアコンで“甘やかして”いては、子どもたちのためにならない」と言うのなら――

 教室には当然ながら子どもだけでなく教師という成人男性・女性がいるのだが、その人のことはどうなるのだろう。

 「それはもちろん、子どもと一緒にいるのだから暑さを共にすべきだ」とでも言うのだろうか。

 私としてはこれ、労働安全衛生法(の、少なくとも理念)に反することだと思うのだが。

 そしてまた、そんなこと言ってる人も「子どもと暑さを共にすべき」だと思うのだが、そこまでは頭が回らないのだろうか。


 なるほどエアコン整備にはカネがかかる。

 むろん、電気代という維持費もこれからずっとかかってくる。

 しかしそれなら会社経営・会社存続の観点から、全ての会社はエアコンを撤廃するか、付けないようにするべきではないか?

 なのに決してそうならないのは、(当たり前すぎることだが)そんなことしたら仕事なんてやってられなくなるからである。

 これは学校についても全く同じで、エアコンのない学校なんてロクな勉強はできてないのではなかろうか。

 いや、そんな状態で勉強する気になる方がおかしい。

 ひょっとしたら「学校にエアコンは不要」論者は――

「学校の勉強なんてどうせ自分は重視してない、本当の勉強は塾でするもんだ」

 とでも思っているのかもしれない。

 その塾には、間違いなくエアコンが付いているというわけだ。  

 しかし学校の教室というサウナに閉じ込められていれば、塾に行ったときも眠くて仕方ないのではないか?


 学校にエアコンを付けないことが正当化される理由は一つだけ、それは純粋に「カネがない」ということだけだろう。

 確かにエアコンを取り付けるだけでも、1校だけで何千万円を要することになる。

 しかしおそらくそれくらいの金額は、どこかを削って持ってこれるのである。

 たとえばナントカの会への補助金とか、(1年にいくつもある)イベントの開催費用とかである。

 それを削るのができないからエアコンを付けられないというのなら、それはつまり「エアコンを付けられない/付けない会社」と同じで、すぐにでも潰れる地域と見なされて仕方ない。

 いやぁそれにしても本当に、学校にエアコンを付けるのに反対する人は、自分はエアコンを付けずに仕事している(してきた)のだろうか? 

女毒殺魔は看護師-クレームストレス殺人の時代「遺族に説明するのが面倒だから殺した」に共感の嵐?

 神奈川県横浜はじめ病院(2017年12月までは大口病院)の31歳女性看護師が、20人以上を殺害したらしい。

 方法は、患者の点滴に消毒液や界面活性剤(洗剤?)を混入したことによるもの。

 先日の家族相手の女毒殺魔とは違うタイプの、そしてはるかに危険な女毒殺魔である。

www.asahi.com

 

www.yomiuri.co.jp

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 「看護師が犯人」

 「看護師が患者に毒を盛って(入れて)殺す」

 「看護師は大量殺人鬼」

 と聞けばセンセーショナルでショッキングな話のようだが――

 欧米では、女性看護師が大量毒殺魔であることは割とありふれた伝統である。

 これはコリン・ウィルソンをはじめとする犯罪本をいくらか読んできた人であれば、とっくにご存じのことだろう。

 だから今回の事件も、その一端に連なる同パターンの反復とも言える。


 しかしちょっと注目なのは――

 欧米の女毒殺魔というのは、とにかく毒殺に憑かれたような「殺しの本能」に突き動かされて犯行を重ねる人が多い(と言うか、そんなのばっか)印象があり、

 そもそも人の死が見たいから看護の職に就いたという人が多そうなのだが……

 今回の看護師はその動機として、「自分が勤務のときに亡くなると、家族への説明が面倒だった」と言っている点である。

 これはもしかしたら、ネットニュースの定番フレーズ「共感の嵐」がよく似合う動機ではなかろうか。

 少なくとも、「容疑者の動機に密かな共感」と見出しが付いても不思議ではないように思える。

 もちろんそんな見出しを付けるニュースサイトはなさそうだが、それは単に炎上を恐れるからに過ぎないと思う。
 

 きっとこの終末期医療の業界では(あるいはこの病院では)、患者が亡くなったときの状況について「その時の担当の看護師が遺族に説明させられる」ことになっているのだろう。

 それはもちろん当然のことかもしれないのだが、たぶん面倒なことでもあるのだろう。

 なぜ面倒かと言えば、おそらくは「食ってかかる」「恨み節を言う」「責める」遺族がいるから/多いからなのだろう。 

 そんなことばかり重なって、ストレスが高じたあげく毒殺に手を染める……

 これはけっこう、世の多くの労働者(特にサービス業)の「共感」を呼び起こしそうな心理ではないか?

 「クレームの元になる人」をいっそ殺したいと思った人、死ねばいいのにと思った人というのは、日本中にものすごくゴロゴロいそうである。


 もしかしたらこういう理由による殺人は、これからの日本の殺人の一主流になってもおかしくはない。

 なにせ、これほど多くの一般人に共有されている動機は他にほとんどなさそうだからだ。

 そしてそういう殺人が頻発すれば、実際に世に溢れるクレームを減らす効果があるのかもしれない。

 犯罪は社会を映す鏡というが、「クレームストレス殺人」というのは、21世紀前半の日本社会に特徴的な殺人形態になるだろうか。

文科省局長、裏口入学収賄容疑で逮捕-子を思う気持ちが親をバカにする

 7月4日、文部科学省の科学技術・学術政策局長の佐野太(58歳)氏が、東京地検特捜部に逮捕された。

 東京医科大学を同省の私立大学支援事業の対象に選定する見返りに、今年2月の入試で自分の子どもを合格させてもらった(点数に下駄を履かせてもらった)との容疑である。

 これに加え、「会社役員」の谷口浩司(47歳)氏もそれを幇助した疑いで逮捕。

 この谷口氏という人、こんな裏口入学スキームには全然不要な人だと思うのだが、それでも関与があったらしい。

www.nikkei.com


 このニュースを聞いてまず思ったのは、きっと「東京医科歯科大学」に抗議の電話やメールを入れる人がいるだろう、ということだ。

 先の日本大学殺人タックル事件でも、「日本体育大学」に抗議した人が多かったのは記憶に新しい。

 なぜかはわからないが、「東京医科大学」と「東京医科歯科大学」では、知名度において後者の方がはるかに上である(と思う)。

 これはおそらく、「イカシカ」という言葉があまりにも語呂が良く、耳と記憶に残りやすいからなのだろう。

 私も思わず、「東京医科歯科大学」は当然知ってるが「東京医科大学」なんて大学があったのか、と思ったものである。


 さて、裏口入学・裏口就職なんてのは、日本中に腐るほどある話である。

 そうやって大学や職場に入って普通に卒業・定年退職した人が、たぶん日本には何百人・何千人といるのだろう。

(いや、ちょっと見積もりが少なすぎるだろうか。)

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 
 しかしさすが、文科省の局長級キャリア官僚ともなるとスケールが雄大だ。

 20万円とか50万円を払ったというのではなく、学校そのものに便宜を図ってやるというのだから……

 とはいえこれ、私だったら絶対やらない。たとえ一片の良心もないとしても、それでもやらない。

 なぜならこんなことすれば、相手方にキンタマを握られることになるからである。

 何かあったら相手方が裏切って秘密をバラす――

 そんなストレスを抱えながらこれから生きていくなんて、バカバカしいことではないか。

 さらにその上、谷口氏なる怪しげな第三者が介在しているとあっては、もう何をか言わんや……

 よしんば東京医科大学の関係者は裏切らないにせよ、谷口氏にキンタマを握られるのはもう確実ではないか。

(一体この人がどういう風に関与したのか、詳しく聞いてみたいものである。)


 もちろん佐野局長も、まともな精神であればこんなことはわかっていよう。

 しかしよく知られているように、子を思う親の気持ちは、親の精神を歪み狂わせてしまうのだ。


「子を思う 気持ちが親を バカにする」――

 という川柳があるのかないのか知らないが、「バカを出せと言ったら親を出した」に類する警句は、昔から伝えられてきたものである。
  
 ま、エリート官僚(の中でもトップクラス)とはいえ、しょせんは「頭のいい一般人」である。

 一般人なのだから、子どもを裏口入学させようなんて、心が歪んだり魔が差したりするのもきっとよくあることなのだろう。

 だからこれ本当は、庶民の怒りを買うと言うよりは実は共感を呼ぶべき話とも言える。

 しかし私は、もちろん共感しない。

 子どもと言ってもしょせんは「血を分けた他人」であり、他人は他人で勝手に人生を切り拓くものだと(ごく普通に)思うからである。