プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

市川猿之助「遺言」内容報道-生きてるのにバラされる是非

 5月18日に両親と共に一家心中を図ったとみられる市川猿之助は一命をとりとめ、既に退院したという。

 しかし、両親が死亡したのに一人だけ生き残った方が地獄だと、思わない人はいないだろう。

 そしてまた、自宅の半地下室で彼と共に発見されたという「遺言書」の内容が、報道された。

 それは、まさにこの心中事件の第一発見者である彼のマネージャー兼俳優に、「愛してる」「全財産を譲り渡す」というものだったらしい。

(⇒ 集英社オンライン 2023年5月20日記事:〈市川猿之助・自殺未遂〉発見者のマネージャー兼俳優に「愛している」と宛てた遺書と財産分与を示すメモが。俳優の母は「兄のように慕っていた」「昨日から連絡がとれません」…両親の死因は向精神薬中毒の疑い)

 
 ちなみに、記事のどこにもそんなことは書いていないのだが、このマネージャー兼俳優というのは男性である。

 一昔前なら、必ずやそのことを書いた(書き立てた)に違いないのだが――

 それをあえて書かないのは、やはり同性愛を少しでもバッシングしたと世間に思われようものなら袋叩きに遭う、という懸念によるものだろうか。

 だが、それはともかくとして……

 これは誰もが思ったことだと思うが、

 「本人が生きてるのに遺言書の内容が世間に報道される」

 というのは、是だろうか非だろうか。

 あなた自身が自殺を図って失敗したとして、書いていた遺言書の内容が世間にバラされるというのは、受け入れられるだろうか。

 しかもその内容には、「誰々を愛している」ということが含まれているのだ。

 
 さあ、これは難問である。

 たぶんあなたは反射的に、「そんな内容は他人が知る必要はない、プライベート中のプライベートな秘事ではないか」と感じるだろう。
 
 そんなものをマスコミは報じる必要があるのか、

 何千万人もの赤の他人が知る必要があるのか、

 これはマスコミの商業主義によるプライバシーと人権の蹂躙ではないか、

 そもそも捜査関係者がそんなことをマスコミに漏らしていいのか……

 と、誰しも思う。

 しかし一方、それならば

「世の中のほとんどのことは、誰かのプライバシーの秘事に当たる」

「世の中のほとんどのことは、赤の他人が知る必要はない。いったい知ってどうするのか、知ったからってどうなるのか?」

 というのも真実ではあるまいか。

 そうなったら報道という分野は成り立たず、まさに「報道の死」である。

 全ての出来事は「真相は薮の中」になってしまう。

 確かに私もあなたも、世の中のほぼすべての人が――

 今回の「市川猿之助一家心中事件の真相」を知ったからって、いったい何になるだろう。知ってどうするというのだろう。

 市川猿之助の書いた遺言書の内容をマスコミが報道する権利、世間がそれを知る権利なんてものが、あなたはあると思うだろうか。

 しかし、くどいようだが、そんなこと言ったら「報道する権利」「知る権利」がある事柄なんて、世の中にいくつあることになるだろう。


 この有名な「知る権利」というのは、非常に多くの場合「知りたい欲望」であることが多い。

 その欲望に応じ、マスコミの「知らせたい欲望・動機」もあるわけだ。(むろん、儲かるからである)

 では、この欲望と欲望充足の関係、需要と供給の関係を否定するのは、是か非か。

 否定してしまったら、経済活動というもの自体が成り立たないのではないか。


 遺言書の内容というのが、事件の真相解明の超重要な素材であるのは論を俟たない。

 世間の赤の他人たちにそれを知る「権利」があるという人はいないだろうが、知りたい「欲望・興味」があることは否定できない。

 はたしてその欲望・興味は、権利として守られるべきか。

 守られるべきでないのだったら、世の中で起きることは全てプライバシー・プライベートの名の下に隠蔽されることにならないか。

 これこそ、憲法学者法哲学者が正面から論ずべきことではあるまいか……