3月12日、埼玉栄高校の男子サッカー部員が、東日本大震災の犠牲者を侮辱する「不謹慎動画」をSNSに投稿配信したとして大炎上した。
彼は動画で
「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。
また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うが(笑)、ほんとに悔しいです。
ザーメン」
と笑いながら言ったとのこと。
そして埼玉栄高校は、これについて謝罪文を学校公式サイトに掲示した。
(Smart FLASH 2023年3月12日記事:「お墓で聞こえない(笑)」東日本大震災犠牲者を侮辱する高校生の“不謹慎テロ動画”が大炎上「怒りを通り越して悲しい」)
アーメンをザーメンと言う、これは男子学生が必ず思いつく(そして時には口に出す)定番のギャグである。
今日も誰かがどこかで、そんなことを言っているに違いない。
しかしまあ、言うには言うにしても、それをわざわざ配信するのだ。
この「何でもすぐパッと配信する、配信せずにいられなくなる」というのは、疑いなく現代病だろう。
こういう病人が、世の中には何人もいるのである。
それはそれとして、この「生徒の不始末を学校が謝罪する」という現象である。
これはいったい、世界共通の現象なのか。
たとえばアメリカの学生がこんなことをしたら、彼が所属する学校が世間に謝罪するのだろうか。
ブラジルの学校ならどうか、ケニアの学校ならどうか。
もちろん私は、こんなことに詳しくないが――
推測されるのは、「世間と一緒になってこの生徒を断罪する、非難する、放校する」という態度をとるだろう、ということである。
きっと、それが世界標準なのだ。
これまた例によって、日本のガラパゴス的風習の一つなのだ。
いくらネットリテラシー教育をやったからとて、こんな生徒が必ずいるのはわかりきった話である。
それがわからない人間は、それこそよほどのアホとしか言いようがない。
もし埼玉栄高校に外国人職員がいるとすれば、「いったいなんでこんなことで自分が謝らなくてはならないのか」と憤りを感じるだろう。
そう、日本にはこんなガラパゴス的風土・奇習があることなど、たぶん外国にはそれほど知られていないからいいようなものの……
こんなことが知られるようになったら、外国人人材なんて日本で就職しようなどと思わないのは請け合いである。
他人のバカ餓鬼のせいで自分が謝罪し責められなくてはならないなんて、侮辱であり人権問題だと感じるのが世界標準ではあるまいか。
日本においては、人を預かるのは責任が大きいというだけではない。
それは責任と言うよりリスクである。
人を預かるとか人と接するなんていうのは、その数が多くなればなるだけリスクが増えるということである。
きっと埼玉栄高校も、この生徒を退学処分にはしないのだろう。
こんなのを、この先も抱え込まなくてはならないのだろう。
それは何というリスクの上塗りだろうか。
日本で「人を預かる仕事」「人と接する仕事」というのが、いかにリスキーなものであるか……
これでは確かに、仕事への熱意や労働生産性で、外国にどんどん抜かれていくはずだと思うのである。