他人の握ったおにぎりなんて、食べられない・食べたくない――
そういう人が多いというのは皆さんご存じだと思うが、ついにその「問題」が大学の医学部の入試試験に採り上げられたという。
そういう人が多いというのは皆さんご存じだと思うが、ついにその「問題」が大学の医学部の入試試験に採り上げられたという。
リンク切れを考慮して問題文だけ抜粋してみると、次のようになる。
********************
【問題】
あなたは高校の教師である。
ある日、授業の一環として稲刈りの体験作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。
あなたは高校の教師である。
ある日、授業の一環として稲刈りの体験作業があり、僻地の農家に田植えの体験授業に生徒を連れて出かけた。
稲刈りの体験作業の後、農家のおばあさんがクラスの生徒全員におにぎりを握ってくれた。しかし、多くの生徒は他人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残してしまった。
[問1]
あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。
[問2]
あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。
あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。
(2019年 横浜市立大学 医学部医学科小論文試験 改題)
********************
何だか、まるで医学部ではなくて哲学科の入試問題のようだが――
逆に言えば、医者の世界にはこういう事態に直面する局面が現実に多い、ということの反映なのだろう。
私はと言えば、他人が握ったおにぎりでも平気でありがたくいただく人間である。
しかし同時に、こういう自分が少数派なのだろうということも自覚している。
他人の握ったおにぎりなんて食えない・食いたくないという人は、たぶん三十代以下の日本人の半分以上を占めるのではなかろうか。
そういう人は、いや食べられるという人のことを「不潔でオゾましい、常識のない人間」と内心思っているのではなかろうか。
なので、いや食べられるという人も、そういう風に思われるのが嫌なものだから、「いやー、それは食べられない……」というフリをすることがあるのではなかろうか。
思うにこれは、日本人に脈々と受け継がれてきた「ケガレ意識」の現れである。
そう、「ケガレ意識」というのは「人には上下がある、あるべきだ」という意識とともに、日本の真の伝統だと思われる。
この二つこそが日本人の核心であり柱であり、魂の原郷とさえ言っていいように思う。
近年はやたら「若者の●●離れ」という言葉が使われているが……
しかし「若者の伝統離れ」というのは、この点では完全に当てはまらない。
それどころかケガレ意識というもの、21世紀に入ってますます日本人の中に深く広く浸透しているように見える。
日本人の「ケガレ圏」は拡大の一途を辿っていると、あなたは感じることがないだろうか。
(「タバコ」というのも、その一つだろう。
タバコというもの、そしてそれを吸う人たちは、いまや忌むべきケガレ圏に入ってしまっている。)
ハッキリ言って、今の日本の社会問題の根底には、ほとんどこの「ケガレ意識」があるとしても間違いではないかもしれない。
たとえば、今の日本の最大の問題と言えば「少子化」である。
「非婚化」であり「セックスレス」である。
しかしこれらも、ひとたび「ケガレ意識」というキーワードを挿入すれば、いとも簡単に原因が算出されそうではないか?
なぜかって、他人の握ったおにぎりを食べられないのなら、どうして他人と肌を合わせたり唾液を口で交換し合ったりすることに耐えられるだろう――
ということになるからである。
それとこれとは話が別だ、と大勢の人が必ず言うに決まっているが、しかし何がどう違うのかを説明する人は必ずしも多くなさそうだ。
現実に今の日本では、「他人に触れる」ということ自体がタブーになっているように思われる。
他人が自分に、他人が自分の子どもに触れること自体が、基本的に穢らわしい礼儀知らずの悪行なのである。
なお私としては、引用した医学部入試問題に続けて、次のような問題を作ってみたい――
それは、「あなたは、握手を習慣とする欧米人のことをどう思うか」という問題である。
日本人のケガレ意識としては、もちろん赤の他人の手を握ることなんて、汚いに決まっているはずである。
その手は、直前まで何を触っていたかわからない。
もしかしたら小便して性器を摘まんでいた指を、洗わずにそのままにしているのかもしれない。
(これは、相手が男性なら大いにありうる話だ。)
これは例によって、「日本人がやるのはダメだが、外国人がやるのは構わない」という、日本人の特性感覚によって答えが出てしまうのだろうか。
外国人の手は汚くないが日本人の手は汚い、だから相手が外国人名OKだが日本人が相手なら握手したくない、というのは、言うまでもなくバカバカしい。
しかしそのバカバカしさを、日本人はナチュラルに受け入れる「才能」があるようなので、本当にそれが答えになる可能性は充分ある。
そしてもう一つ――
「あなたは、こんな問題に直面しなければならない医者という仕事をどう思うか」という問題も面白いかもしれない。
「他人の握ったおにぎりなんて嫌だから食べない」子どもたちと、「そのおにぎりを握ったおばあさん」の板挟みになるのは、誰だって嫌なものである。
そして、その嫌な立場に立たねばならない職業自体が、卑しく穢れたものだと見なされる可能性は充分あると思われる。
まさか医者が賤業と見なされるようになるなんてあり得ない、とあなたは思うだろうか?
しかし、日本人のケガレ圏が、ますます拡大していることを忘れてはならない。
古代以来の日本伝統のケガレ意識は、ほとんど何でも飲み込むパワーを持っていると見た方が良い。
それはある意味、民族の美意識に殉じた美しい最期ではある。
もちろん他の民族にとっては、単なる笑い話の一つに過ぎないのではあるが……